夏の強い日差しが降り注ぐ。
まとわりつくような湿気を連れて、熱く肌を刺していく。
時折、その熱さに紛れて、肌の表面をぞわりと擽るような感触が、通るときがある。
細く柔らかな刷毛に撫でられたような、そんな感覚だ。
気付かぬうちに小さな虫が肌の表面に止まったのか。髪の毛束がはらりと落ちたのか、それは分からぬが。
私はまだ一度だってその虫を目で捉えられたことなどないし、私の髪は幼少の頃からずっと、肩になど掛かったこともない、ショートヘアーなのだけれども。
【日差し】
トン、トン、トン。
窓のガラスを叩く音がする。
部屋の中にあるベッドの縁に腰を掛け、手近にあった本を読んでいた私は、ふと読むのを止めて窓の方へと顔を上げた。
「ねぇ、ねぇ、中に入っていい?」
窓の外からそんな声が聞こえる。私は閉じた窓をじっと眺めながら、はっきりとした声で告げる。
「ダメ」
私は再び本のページに視線を戻す。
窓の外が大きな影に塞がれたように暗くなり、悔しそうな叫び声が響き渡った。
【窓越しに見えるのは】
「ちょっと小指かして」
そう言われて咄嗟に小指だけを立たせた右拳を差し出せば、彼女は何やらポケットから取り出したものを、僕の小指に巻き付けた。
「何この毛糸・・・・・・」
「赤い糸の代わり」
はあ。そうですか。と、曖昧な返事をする。なぜ彼女が急にこんなことをし始めたのかその理由はわからないまま、作業を見守る。
「できた」
糸からぱっと指を離した彼女は、僕の小指に留まった赤い蝶々結びを、誇らしげに眺めていた。
「・・・・・・えっと、これは?」
「君が私のものだっていう印」
・・・・・・さいですか。と、僕は心の内で微妙な相槌を打った。
「でも、赤い糸って運命の人に繋がってるものなんじゃないの? これだと僕は誰とも繋がってないし、君のものっていう証明にはならないんじゃ・・・・・・?」
ふと浮かんだ疑問を口にすれば、彼女はきょとんと目を丸くする。
「証明じゃなくて、これは印。君が私のものだっていうことは、君と私だけが知っていればいいことだから、別に周りに明かすこともないでしょ」
とりあえず周りの人には、君が誰かのものだっていうのが分かればいいんだと、何とも彼女らしい持論を振るう。
「・・・・・・それじゃあ、君が僕のものだっていう印もつけてよ」
そう提案してみたら、彼女は「いいよ」と言ってやや小指を浮かせた形で右手を突き出してきた。
僕はポケットに手を突っ込む。まさかこんな流れになるとはと、いささかの驚きを抱えながら、彼女の右手の指先を掴む。
「・・・・・・先に言っとくけど、僕の印は赤くはないから」
その言葉に彼女が一瞬だけ小首を傾げる。彼女的にはちょっとしたお遊びも兼ねてこの赤い糸の印を思い付いたんだろうけど、僕の場合はお遊びにして貰ったら困る。
「その代わり、無くさないでね」
けっこう悩みに悩んで選んだんだからと、彼女の指先をぱっと離せば、小指の代わりに薬指の根元へ小さなリングを留まらせる。
薬指を見た彼女が目を見張り、嬉しさで跳びはねるまでの数秒の間、僕の心臓は気が気じゃなかった。
【赤い糸】
晴れ渡った青い空に
高く伸びた入道雲
その雄大さに
思わず下を向いていた顔を上げれば
さっきまで友達とケンカして
落ち込んでいたはずの心が
少しだけ軽くなった気がした
【入道雲】
ギラギラとした太陽が、容赦なくこちらを照り付けてくる。額や首を何度となく汗が伝い落ち、湿ったTシャツが肌に貼り付いてうざったい。
俺は夏が嫌いだ。
暑いし、蒸せるし、寝苦しいし、いいことなんて何もないくらいに思っている。
「私は夏って好きだよ」
俺のすぐ隣をついてきていた彼女が、そう言って楽しそうに笑った。
「・・・・・・へぇー」
こちらがすごく興味がなさそうな返事をしても、彼女はやはり楽しそうだった。
「ほら夏ってさ、夜もどことなく騒がしい気がするじゃない? そこかしこで生き物がいる気配ががするの。私、あれ好き」
だって、寂しくないもの。
そう締めくくって柔らかに笑った彼女が、ふわりと跳ぶ。
俺はそんな彼女の横で、早くクーラーの効いた室内に入りたいと切に願っていた。俺が無言になったのが気になったのか、彼女が俺の前へと回り込んだ。
「・・・・・・君は本当に変わってるね」
「いや、俺から見れば、夏が好きなお前のほうが変わってると思う」
俺の正面でくるりこちらに反転した彼女と向かい合う。「私にそういう自然な返しをしちゃえることが、すでに変わってるよ」なんて言葉が聞こえたが、俺は暑さのせいで、もはや何かを思考するのも限界だった。
「あ」
そこで俺は、はたと気付く。
「そうだ、お前、ちょっと俺に触れてみろ。この際乗り移ってもいい。お前、幽霊だから体温ないし、俺が涼むにはちょうどいいかもしれん」
こうしている今も、強い日差しと茹でった気温に俺は体力を奪われている。
自分としては何ていいアイデアだろうと思ったうえでの発言だったが、俺の目の前にふわりと浮いていた彼女は「バーカ! 死んじゃえ!」と何とも辛辣な言葉を投げ掛けた後、ぷいっとそっぽを向いた。
【夏】