ここではないどこかへ行こうと君を誘うけれど、君は頑なに首を横に振り、僕の手を取らない。
こんなところにいたって何も変わらないよと、説得を試みるけれど、やはり君は首を縦に振らなかった。
どうして君はここにいたいの? と聞いてみたら、君は大きな目をきょとんとさせる。
そして──。
「どうして君は、ここではないどこかへ行きたいの?」
と、僕に問うてきた。僕がその質問に押し黙ったままでいると、「君が何を変えたいのか、私にはわからないよ。わからないうちは、ここではないどこかへなんて行けない」とまた首を横に振る。
「ここではないどこかへ行ったって、結局はまたここではないどこかへ行きたくなってしまうわ」
それでは意味がないのよ、と言う君の言葉が僕の胸を貫いた。
ああ、そうか。
僕はただ、僕ではない誰かになりたかったんだ。
ここではないどこかになら、僕ではない誰かがいると思った。
どこに居たって僕は僕なのに──。
【ここではないどこか】
君が私を思いだすときは、いつだってかわいくてとびきりの笑顔の私でいたい。
そう思っていたけれど。
君と最後に会った日、私はちゃんと笑えていたのかなと思うのに。
ききたい君はもういないんだ。
【君と最後に会った日】
荒廃した大地に降り立った元兵士は、彷徨い歩くように辺りを見渡した。
かつては一面が焼け野原で、そこかしこに敵か仲間か分からない遺体が転がっていた。
今は何もかもがなかったように取り払われ、けれど、確かに傷付いた跡がそこかしこには残っている。未だ固く衰えた地面はまるで死んでいるようにどす黒く、空も澱みが消えないまま灰色に朽ち果てている。
自分は何をしに再びこの地に帰って来たのだろう。兵士に目的はなかった。ただあの戦場から自分だけが生き残ってしまった虚しさと、散っていた仲間の無念を思ったら、自然と足がこの場所へ向かっていたのだ。
しばらく歩くと兵士はぱたりと歩みを止めた。止めた場所には見覚えがあった。ここは戦友が亡くなった場所だった。敵の銃弾からその戦友が、自分を庇ってくれた場所だった。
兵士は両膝を折り、背を丸めて蹲った。胸の内側から苦しいものが込み上げる。苦しいのに吐き出せなくて、兵士はぎりりと奥歯を嚙んだ。
ふわりと、柔らかな風が頬を掠めた。この廃れた大地に吹くにはあまりにも柔らかであたたかな感触に、兵士はつい俯かせていた顔を上げる。
そうして兵士は息を飲んだ。
見上げた視界に映ったのは、一輪の小さな花だった。
黒い地面にたったの一輪。たったの一輪だけ白い小さな花弁が咲き誇っていたのだ。
兵士は無我夢中でその花の元まで駆け寄った。見るからに繊細で、ちょっとでも触れたら折れてしまいそうなほどに細い。
けれど小さな花は雲間から僅かに射し込んだ日の光を受けて、凛と上を向いていた。まるで何ものにも負けてなるものかという、強い意思を主張するかのように。
兵士はその花の前で声を上げて泣いた。
繊細な花の勇敢さと、優しさに、彼の地で亡くなった人々を思い、また自分自身の心もその時だけは許してもいいような気がして。
【繊細な花】
1年後にまた会いに来る。
そう言って旅に出た友人は1年と経たずにあっさりと帰って来た。俺がどうしたんだと問い質せば、「お前がいないと毎日が退屈でさ、時間が経つのも長く感じたからそのせいかも」と、こちらの力が抜けてしまうような、何とも呑気な答えを寄越してくる。そんな友人の様子を見て自分が安堵しているのを自覚しながら、「バーカ。なら旅に出るなんて言って、俺を置いていくなよ」と、恨みがましくふざけてみれば「・・・・・・だって、俺、お前みたいになりたかったんだよ」と、こっちが全く意図していなかった言葉を吐き出してきたので、俺は僅かに瞠目してしまう。
こんなこと絶対に言うつもりなんてなかったのに、「俺だって、お前みたいになってみたかったよ」と、ついずっと抱えてた願望を漏らしてしまったら「・・・・・・なんだ、そっか」と、ひどく子供みたいな顔であいつが笑うので、1年後でも、10年後でも、この眩しさだけは変わらずここにあるんだろうなと、俺はまたこいつを羨んでしまった。
それでもこいつがしばらく経って、再び旅に出るなんて言い出したら、きっと俺は止めることもせずに見送って、また1年後でも、10年後でも、こいつの帰りを待っているのだろうと思う。
【1年後】
息子が迷子になった。
繋いでいたはずの手からいつの間にか離れ、気付けば姿が見当たらない。慌てて僕は辺りを見回す。
今日は近所のお祭りで、屋台も並ぶことから気晴らしがてら行ってみようということになり、先月6歳になったばかりの息子と一緒に、こうしてやって来たわけなのだけれども。
まだ人が多くならない時間帯だからと油断していた。僕はとりあえず、元来た道を戻ってみる。人ごみの間を縫うように歩き、キョロキョロと我が子の特徴を思い出しながら周囲を確認する。
だんだんと焦りが募ってきた。このまま見付からなければ役員のテントに行って応援を頼もうか。そんな考えが頭に過り始めた時──。
「パパ!」
後ろから大きな声が響いた。振り返るとあんなに探して見付からなかった息子が、道の真ん中に堂々と立っている。
「パパ、見つけたぁ~」
どんっと突進する勢いで、息子が僕の腰に抱きついてきた。
「どこにいたの? 探したんだよ」
息子を受け止めると、見付かった安堵からほっと肩が下がった。息子の目線と合わせるように膝を曲げてしゃがむ。
「あれ? これどうしたの?」
よく見れば息子の手から水の揺蕩う透明なビニール袋が吊り下がっていた。水の中には小さな赤い金魚が一匹、尾ひれをゆらゆらとなびかせながら泳いでいる。
「もらった」
「屋体の人に?」
「ううん、狐のお面を被ったお兄ちゃん」
お兄ちゃんがこの金魚について行けばパパのところに帰れるって教えてくれたんだ。
そう言ってどこか誇らしげな様子で満面な笑みを作った息子は、何故だか少しだけ頼もしくなったように見えた。
どうやら僕の知らない冒険へ一人で旅立っていたらしい。僕は息子の笑顔を遠い日の自分に重ね合わせる。狐のお面の彼も元気そうだと知って、自分が子供だった頃の懐かしさと、あの頃の感情を思い出した嬉しさで、息子をぎゅっと抱き締めた。
【子供の頃は】