僕は罪人です。
生まれてからこのかた、生きるために何でもしました。
盗みも、騙しも、時には誰かを傷付けることも。
そうしないと、生きていけなかったから。
そんな理由を並べても、やってしまったことはやはり悪いことなんだと思います。
だからこうして捕まって、刑に処されるのは当たり前なことなので、僕は受け入れようと思いました。
『最期に伝えたいことはあるか?』
檻に入っている僕に向けて看守の人がそう言いました。僕がここに入れられてからずっと、僕の見張りをしていた人です。
伝えたいことなんて、そんなこと。
普通の看守だったら聞きません。
僕ら罪人のことなんて、人間とも思っていないでしょうから。
だからきっと彼は、看守にしては珍しい、いっとう優しい人なのでしょう。
伝えたいことなんて、僕にはありません。
今この瞬間まではそうでした。
だって伝えたい相手もいないのに、伝えたいこともないでしょう。
だから。
「ありがとう。僕のために泣いてくれて」
鉄格子を経て目の前に立つ彼は、ぽろぽろと涙をこぼしていました。
「ありがとう。僕の言葉をきいてくれて」
誰かに伝えたいことがある。
それはなんて誇らしく素敵なことなのでしょう。
そしてその思いが伝わった時、こんなにも心が満たされるなんて、僕は生まれてこのかた初めて知ったのです。
【伝えたい】
そこは世界からも見捨てられたような、うらびれた土地だった。固く乾いた地面はひび割れて、花どころか草木も生えていない。
そんな土地にある日ひとりの旅人がやって来た。旅人はみすぼらしいテントを一つ建てると、そこに住み始めた。
長い年月が過ぎ去った。それまで色んなことがあった。最初に住んだ旅人が呼び水になったのか、次第にその場へ人が集まり始めた。人が集まることによって渇いた大地は耕され、畑ができて、井戸ができて、家ができた。
そうすると土地はどんどん活気に溢れ、そこはいつの間にか賑やかな街となった。
そして、いま。
この場所には無数の墓標が建っていた。
再び長い長い年月が過ぎ去り、人は争いを起こして互いの命を奪い合った。
その土地はまた世界から忘れ去られていた。
かつての賑わいはどこにもなく、墓標の他には建物の残骸がそこかしこに転がっているだけ。
そこにまた何も知らぬひとりの旅人がやって来た。旅人はかつて街であったこの場所を奥へ奥へと進んで行き、あの無数の墓標たちの前に立った。
この場所で眠るかつての先人たちに、旅人は深く頭を垂れる。
旅人は訳あってひとりぼっちだった。帰る家を持たないまま各地を転々としていたが、いいかげん羽を休める場所が欲しかったのだ。
旅人はみすぼらしいテントをひとつ建てた。
この場所でまず生きてみようと、旅人は心に決めた。
【この場所で】
誰もがみんなひとりぼっちにはなりたくないと思っているのに。
誰もがみんな孤独を切り離せずに生きている。
誰もがみんなひとりぼっちにはなりたくないと思っているけど。
誰もがみんな繋がりを持てるばかりではないから。
きっと誰もがみんな、優しさを忘れられずにいるんだね。
【誰もがみんな】
一輪。
また、一輪。
大きな川にかかる橋の上。
そこを歩きながら、川面に向かって次々と花を落としていく。
買ったときはあんなに綺麗だった花々が、今は水の上に連なって寂しく流れ去っていく。
本当は君へと贈るはずの花たちだったのに。
君の幸せを叶えるのは僕ではなかったから。
「さようなら」
ただの飾りとなった花束に、僕はそっと別れを告げた。
【花束】
某有名ファーストフード店で、最新AI技術を搭載した接客ロボットが導入された。正確な顔認証と精緻な読唇機能付きで、客の注文に素早く応じられるうえ、聞き間違いによる注文のミスを限りなくゼロにするなど、着実な実績を叩き出していた。
しかも来店客の注文データーが蓄積され、同一チェーン店で共有される。つまり客が過去に頼んだメニューからその嗜好を読み取り、その者の購買意欲をそそるキャンペーンや新商品の紹介がどこの店舗でも的確にできるようになったのである。
「スマイルひとつ」
カウンターに手をつき、メニューの端っこを指差す。スマイル0円と書かれた文字に、AIの聞き取りやすい機械音が快く応じた。
『かしこまりました。ご一緒にこちらのナゲットはいかがですか?』
「いや、いい」
『それでは少々お待ちください』
ロボットの顔に当たる部分には液晶の画面がついている。その液晶画面に可愛らしいスマイルの絵文字がパッと表示された。
『ありがとうございました』
その絵文字を見届けて俺は店を出る。しばらく歩くと同じチェーンのファーストフード店の看板が見えた。迷わず店内に入り再び「スマイルひとつ」と注文する。
『かしこまりました。ご一緒にこちらのシェイクはいかがですか?』
「いや、いい」
『それでは少々お待ちください』
先程と同じくロボットがスマイルの絵文字を表示する。それを見た俺は店を出て、すぐにまた近くの同じチェーンの別の店へと入った。
どのロボットたちもスマイルと一緒にすすめる商品が毎回違うこと以外は、全て同じ受け答えである。
ちょっとこれではなぁと、半ば諦めかけていた時、「スマイルひとつ」と言い切った俺に向かって、けたたましい警報音が鳴り響いた。
『警告。貴方はこれまで9つの店舗で同じ注文を行っています。そのうち貴方が当社で購入された金額は0円です。これ以上の同メニューの注文は営業妨害とみなし、しかる処罰を下す可能性があります。繰り返します──』
辺りにいた客が一斉にカウンターの方を振り返る。俺は奇異な視線の注目を浴びる中、ニヤリと口角を上げた。
「それじゃあ追加でこのバーガーセットをお願いするよ。あ、ドリンクはコーラで」
俺がそう告げるとピタリと警報音は鳴り止み、『かしこまりました』とロボットが丁寧な接客で応対した。
頼んだバーガーセットを平らげた俺は、意気揚々と店を出る。自動ドアをくぐるとすぐにポケットからスマホを取り出し電話を掛けた。
「君のとこのロボットは優秀だね」
通話口に出た相手に挨拶もそこそこに、すぐさま感想を述べる。
「お気に召していただけましたか?」
「ああ、我が社でも前向きに検討させてもらうよ」
スマイルとはただ振り撒けばいいってもんじゃない。メニュー表に書いてあろうがなかろうが、簡単に安く売っていいものではないのだ。
俺は通話を切るとすぐにまた別の通話で秘書を呼び出し、近くまで車を回すよう指示を出した。
【スマイル】