《夢を見ていたい》
今日もしあわせな一日が始まる。
朝起きて朝食の準備をしていると、お前がのんびりと起きてくる。
その様子をみるに今日は悪夢をみなかったらしい。
悪夢をみたときのお前は足音を荒く、1秒でも早く僕を確認しようと部屋に飛び込んでくるのだから。
「しあわせだな」
そう言いつつ、身長が少し低いお前は背伸びして俺の肩に顔を埋めた。
「お前はいつもそれだね」
そうお前の腕を優しく撫でると、更に力が強まった。
「当たり前だろ‼︎」
いつものようにそこからいかに今がしあわせなのかという長いお前の話が始まる。
まるで口説いているようなそれに最初は照れていたものの、今ではすっかり聞き流せるようになった。
そんな僕の様子に気が付かずに熱弁を振るうお前の顔はいつもとても嬉しそうで。
だから決まって僕も「君と一緒だから楽しいよ」と言うお前の言葉に同意を返す。
するとお前は顔を少し赤らめて黙るのだ。
そしてそのまま頭を僕の肩に擦り付ける。
「まぁ、どうしても夕飯のシチューをご飯に掛けるのは理解出来ないねー」
そうお決まりのように返すと、口を少し尖らせて拗ねたように僕の肩に置いた顎を軽くぐりぐりと動かす。
それが僕は擽ったくて。
止めろと頭を撫でると、ご機嫌になる。
正直それに味を占められている気がしないでもない。
そんな何でもない日をいつまでも過ごせることを祈っている。
男は毎晩祈っている。
自分の罪が永遠に赦されることはないことはわかっている。
だが、どうか、どうかまだこの優しい夢を見させて欲しいと。
このぬるま湯に浸からせて欲しいと。
明日もまた君としあわせな一日を過ごせることを。
切に祈っている。
《ずっとこのまま》
明日には変わってしまうから。
今この時だけは、何も知らない振りをして。
ずっとこのまま一緒に居られると信じさせて欲しい。
《君と一緒に》
「貴方は雪城という男をご存知ですか」
そう突然声を掛けられた。
私はその人を知らなかったので、いいえ。と答えたのだが。
その時不思議と感じた懐かしさと、問いかけた人の一瞬歪んだように見えた顔を、何の意味をもたないこの出来事を、私は忘れられずにいる。
一つだけ頼みがある。
とある男《ヒーロー》に男が今から命を奪う男《ヴィラン》がそう言った。
「どうか俺の宝物のしあわせを願ってやってくれ」
男《ヒーロー》は当然断ろうと思った。
今まで散々こちら側のしあわせを踏みにじっておいて、そんな虫のいい話はあるものか、と怒りさえ感じた。
だが、男《ヴィラン》の所業を思い出すうちに、ふと既視感を覚えた。
そして、気がついた。
この男《ヴィラン》と自分は傍からみれば変わらないことを犯してきたということに。
自分にはこの男を罵る資格などなかった。
このことに気がついた衝撃により、しばらく男は何も話せなかった。
が、男《ヴィラン》が聴覚を失う寸前で辛うじて「わかった」と返すことが出来た。
男《ヴィラン》は承諾されたことに目を僅かに動かし、
さっきより柔らかい顔で動かなくなった。
男《ヒーロー》は男《ヴィラン》が事切れた後に、紙を握りしめていることに気がついた。
その紙は、写真だった。二人のありふれた日常でしあわせそうに頬を寄せ合い笑う男女が写っていた。
片方の男は今目の前で自分が命を奪った男だ。
別人と見間違える程に、柔らかな表情をしている。
とてもしあわせそうだった。
もう片方の女は、男《ヒーロー》には見覚えがなかった。
平凡でありふれたような柔らかな雰囲気の落ち着いた様子の女だった。
男《ヒーロー》は、今からこの女を地獄に落とすのだ。
写真の裏に、わすれてくれ、という乱雑な字が書いてあった。
これが願いを叶えることなのだろう、と直感が告げていた。
そして男《ヒーロー》にはその願いを成し遂げる術があった。
男《ヒーロー》は、約束は守る男であったので、どれだけやるせなくても、叫び出しそうになっても、やり遂げることにした。
でも、あまりにも写真がしあわせそうだったから。
それを丸ごと揉み消すことが出来る程、男《ヒーロー》は大人ではなかったので、女に写真を見せて話しかけた。
「俺、この男を探しているんですけど、ご存知ですか?これは、貴女のように見えるのですが」
突然話しかけた不審な男にも関わらず、女は応じてくれた。
女は語る。
男《ヒーロー》が知るはずもない一面を。
女にとって男《ヴィラン》こそがヒーローだった。
女が語る優しい思い出の中の男《ヴィラン》は正義感がつよくて、誰にでも優しくて、まるで貴方みたいな男だと、そう言った。
男《ヴィラン》は突然消えたらしい。
あいしてると一言残して。
女はずっと待っているらしい。
同じ写真をロケットペンダントにして持っていた。
「名前も教えてくれなかったし、私も教えなかった。
それでも、私たちはしあわせなの。」
そうロケットペンダントを握り微笑む女に、男《ヒーロー》は何も言えずに、「素敵な方だったんですね」とだけ言った。
その言い方に、女は息を詰める。
男《ヒーロー》は失言を悟った。
女は涙を流してただ一言。
「あの人の名前を教えてくれませんか」
男《ヒーロー》は、深夜零時にこの世界から一人の男女のしあわせな一時を消し去ることにした。
このしあわせな日々の欠片を知っているのはとある一人の男だけ。
「あなたとずっと一緒にいられるならば他に何もいらなかったのに」
《砂時計の音》
砂時計の砂が落ちていく
サラサラと、サラサラと
遺された者を取り残すように
あの人が居なくなった時から、兄の時は止まったままだ。
朝、鏡に向かって自分の顔に挨拶する。
あの人と兄はそっくりだった。
ご飯も三人分作る。
あの人と私と兄の分。
「また間違えた」って苦笑うけど、その会話毎日してるよ?
頭がいい兄なのに、そこだけ学習できないらしい。
それから普通に仕事場に行くために別れる。
お昼時に兄から送られてきた昼ごはんはやっぱり二人分。
しかも、同性OKなカップル割引があるところ。
いつもの感覚で入ってしまったんだろうな。
私は兄とあの人が付き合っていたことは聞いた事ないから、憶測でしかないけれど。
今日の夕飯はシチューだった。
やっぱりあの人と私と兄の三人分。
兄は普通にシチューをご飯にかけてるけど、それはあの人の食べ方。兄はそんな食べ方をしなかった。むしろそんな食べ方をするあの人を信じられない目で見るタイプ。
今日は洗濯物の量が少ないな、って出し忘れがないか兄が確認してくるけど。
それはあの人の分がないからだよ、とは言えなくて。
鞄を確認して、
「思い違いじゃない?ちゃんと出したよ?」
と言うことしかできない。
「そうか」
と少し首を捻りながら兄は私の隣に座る。
家族というには少し遠く、友達というには近すぎる距離。
女の勘というものだろうか、何故かわからないがあの人との距離だと思った。
兄はそのままゆっくりすると、部屋に戻って寝た。
ねぇ、兄さん。
あの人は、兄さんよりちょっと背が低かったんだね。
兄は常日頃から首を少し下に向ける癖があった。
ねぇ、兄さん。私分かってるよ。
私が物音を立てると、あの人か、って一瞬喜ぶの。
ねぇ、兄さん。
本当に心からあの人が亡くなったこと、受け入れられてないでしょ。
何処かで生きてるって思ってるでしょ。
ねぇ、兄さん。
本当にあの人のことが好きなんだね。
《愛する、それ故に》
さようなら、愛しい人
「金があったから一緒に居てやったのに!!」
お前のその性格が好ましかったから一緒にいた
「はっ、何があってもお前の味方?そんなわけないだろ」
たとえ世界を敵に回そうとも、俺だけはお前の味方だ。
「お前に価値なんてない」
少なくとも俺のなかでお前より価値あるものは存在しない
「大っ嫌いだ」
あいしてる
イイコだから、お願いだから
もうここに来ないでくれ
もう二度と俺の代わりに死ぬな
あれだけ罵倒すれば、お前は嫌ってくれるだろ?
「なん、で、」
なんでまたお前が俺の代わりに死んでいる?
あれだけ罵倒したのに
普通なら嫌いになるはずだろ?
なんでなんでなんでなんでなんで
分かってたよ。
アレが本意じゃないってこと。
どれだけ一緒にいたと思ってるの?
それに、君は演技が下手だ。
心からせいせいしたように声は繕ってたけど、
顔の歪みは隠しきれなかったよ。
僕のショックを受けた表情の方が余程よかったんじゃない?
僕は君のいない世界を生きるのが嫌だっていう身勝手な理由で死んでいくんだよ
君はただの僕の被害者
だからそんなに泣かないでほしいかなぁ
『「もう来るな」とは言えなかった』