願い事
短冊に書いた願い事が叶うなど、信じたことは一度もなかった。
多分、みんな知っている。
短冊に書いたところで叶うはずなどないと。
だから、子どもの頃は目標を書いていた。
目標なら、努力すれば手が届く。
努力すれば手が届くことを目標にしていた。
大人になると、目標を公開するのに抵抗を感じるようになった。
実に下世話な目標しかないからだ。
現実的でちっぽけで、人に聞かせるようなものではない。
だから大人はたいがい、自分で叶えることもできない、夢みたいなことを書く。
人の幸せや世の中の平和
を願ったりする。
それはつまり、大人になったということだと思う。
あー、ボーナス1桁ふえないかな。
恋空
今日、お見合い相手とコメダ珈琲店に行った。
1回目は海沿いのレストラン
2回目は回転寿司
3回目は焼き肉食べ放題
今日が4回目
前々から、私のことを聞いてこない人で、
私に興味がなさそうだった。
一方的に私が質問して、相手の話を盛り上げていて、いささか上手くいかない感じがしていた。
今週もらったボーナスが思ったより多く、まだ秋からの昇進も決まり、今日は以前よりもよく喋っていて機嫌がいいのが分かった。
社長と仲良しで、よく飲みに行くことを教えてくれた。1年付き合った彼女にフラれて大失恋したときも社長にそのことを話して休みをもらったらしい。
その彼女は私たちが出会ったお見合いサイトを通して知り合ったらしく、私がどっちから好きになったのか聞くと、しばらく考えて「お互い少しずつかなぁ」と言った。
どうやら積極的に惚れたり、アプローチするタイプではないらしいと見えた。
毎回付き合うタイプが違うと言うので、前の彼女のタイプは?と尋ねると「答えるのは難しい。よく覚えていない」とはぐらかされた。
彼は失恋を引きずるタイプだと言い切った。
手痛い別れを経験したのは私もだった。
歳をとると、恋愛に積極的になれないのは別れが怖いからかもしれない。
こんなに歳をとって、同じ痛みを味わう体力はなかった。
自分から好きにならないように、あわよくば相手から気に入ってもらえたら楽だ、なんて受け身になってしまう。
こういうのは恋空とはほど遠い。
波音に耳を澄まして
朝の海を知っているだろうか?
小学生の頃、夏休みに祖母の家に泊まり、朝早く犬の散歩のために近くの海岸へ行った。
朝の海はものすごく静かで波音が立体感をもって耳に迫ってくる。
はっきり言って怖い。
折角の散歩なので、犬に海を見せたいこともあって波打ち際まで近づいた。
近づけば近づくほど、波音から物凄い地球のエネルギーを感じる。
海に飲み込まれてしまいそうで、体の底から震えだしてしまいそうなほどだった。
こんなに絶え間なく波音が迫ってくるのに、犬は知らん顔で波に近づいていく。
おい、波にさらわれたらどうする?
私は泳げるけど、泳いで助けに行くほどの勇気はないよ?
「_ねぇ、こっちにおいで」
リードをひいた。
犬は構わずに波打ち際を平行に歩いていく。
私は引っ張られるように歩いた。
なんでそんなに怖くないの?
海の奥まで行ったら、帰ってこれるか分からない。
海はずっとずっと向こうまでつながっている。
想像できないほど、大きい。
波音に耳を澄ませば、その途方もない大きなエネルギーを感じて震え出す。
青い風
人生において風が吹くような感情にはあまりならない。
風が吹くような気持ちってどんなだろう?
何かをやり遂げた達成感?
人助けをした充実感?
思う通りに事がすすむ満足感?
立ちはだかる壁に立ち向かうときの
肩で風を切るようなヒーロー感?
そんな感情はあったのかもしれないが、
忘れてしまったなぁー。
人生は風を感じる間もなくすすんでいく。
遠くへ行きたい
遠くとは、どこを中心にして遠くと言うのだろうか?
帰る場所があるからこそ
遠くへ行きたいと思える。人は外へ飛び出せる。
失敗しても尻尾を巻いて戻れる場所があるからだ。
帰る場所のない人間にはそもそも遠くという概念が生まれない。
自分の居場所を見つけることで精一杯だ。
と誰かがそんなようなことを言っていた。
だから、遠くへ行きたい、は私たちの恵まれた発想なのだと思う。
イスラエルのユダヤ人のことや難民キャンプで生まれた人のことを思うと、たまらない気持ちになる。