虹の始まりを探して
小学生のとき、虹の橋のふもとに行きたいと隣町まで追いかけたことがある。
隣町までの距離じゃ少しも近付かなくて、さらに隣町まで行くと私だけで足の踏み込んだことのない地域になるので諦めた。
虹がとても大きいことを思い知った。
子供の足じゃどんなに頑張ってもたどり着かない。
虹の橋はぼんやりとしていて見えないけれど、虹の橋を下から見てみるとどんな風に見えるのか気になったのだ。
しかし、大人になっても虹の下にはたどり着かなかった。
理科の授業で、そんな光景があり得ないことを知った。
太陽の光が雨粒に反射して目にうつったのが虹だからだ。
つまり、私たちが虹を見ているとき、私たちの背中には太陽がある。必ずある。
きっと虹の橋の下にたどりついたときには、天は雨空なのだ。
オアシス
私の心のオアシスは
いつだってお母さん
いつも私の話を聞いてくれてありがとう。
涙の跡
涙の跡が乾いても、ずっと悲しい。
涙をぬぐうこともできずに、後から後から涙が出た。
嗚咽が止まらない。
なんで、なんで、
原因を考えれば考えるほど、どうしてこうなった?
と感情がぐちゃぐちゃに壊れていく。
やめて、と叫ぶ自分の声に狂った音がする。
お願いだから、家族で争わないで。
目の前で繰り広げられる光景は
何の解決にもならない争いだ。
勝ったも負けたもない争いだ。
両者にとって傷をつくるだけなのに
絶対に後から後悔すると分かっているのに
何でこんなことが起こるのか?
その原因の一端に家族である私も関わっている。
手をあげたのは私ではないが、手をあげることになった環境を作ったのは私かもしれない。
かもしれないと言っている時点で責任転嫁も甚だしい。
家族である時点で責任は私にもある。
涙をぬぐう元気もないし、涙の跡が乾いても
私の心はぐちゃぐちゃだ。
どうしてこうなった。
そして、家族がぐちゃぐちゃになっても明日はやってきて、私は仕事にいかなきゃならない。
最悪だ。
半袖
半袖の時期になると無駄毛が気になる。
袖の長めのシャツを買うとなると、デザインも限られて種類も減ってくる。
けど、必ず袖の長めの服を買う。
私を守るために。
もしも過去へと行けるなら
過去に行って自分に会いたいとは思わない。
きっと過去の私はびっくりして取り乱す。
そんなオカルトを体験したら私は怯えて、人生を真っ直ぐに歩けないだろう。
中学生のときオカルトに遭遇したことがある。
部活帰りに家のインターホンを鳴らして扉が開くのを待っているとき、背後に人影が伸びてきた。
人影の形から見て男のシルエットだった。
私は帰宅時間が被った弟のいたずらだろうと思って、弟の名前を呼んだ。影がパッと駆けていく。
私は追いかけた。けど、人影の正体を突き止めるには足が遅かった。
すると、玄関の鍵が解錠された音がして弟が顔を出した。
もしも過去へと行けるなら
あのときの人影の正体を知りたい。
変えたい過去はあまりない。
今の自分に満足しているからだ。
例え不満足だとしても、今から変えていけばいいと思っている。
取り返しのつかないこともしていないつもりだ。
唯一あるとするならば、中学時代から日焼け止めをきちんと塗る習慣を作っておけばよかった。
ニキビも放置せずに皮膚科に行けばよかった。
それに、今現在、取り返しのつかないことが進行しているかもしれない。
例えば、親孝行をしていないとか、結婚相手が見つからないとかだ。
これは後から取り返しがつかなくなって、後悔するかもしれない。
もしも過去へと行けるなら
私が生まれた日に行きたい。
父や母、祖父母たちがどんな風に私の誕生に立ち会っていたのかを知りたい。
私はもっと自分と自分の人生を大切にできると思う。