True love
真実の愛
と言えば、アナと雪の女王を思い出す。
エルサの氷の魔法でアナの心が凍ってしまう。
クリストフはアナを助けるため、真実の愛を求めてハンス王子の元へとアナを連れていく。
しかし、ハンス王子はアナを裏切った。
エルサによる真実の愛によってアナにかかった氷の魔法が解けていく。
今でも分からない。
エルサによる真実の愛とは何なのか?
姉妹愛なのだろうか?
またいつか
日本語の使い方を間違えてトラブルになったことがままある。
あれはまだ高校生のとき、帰り道に友人と街に寄って部活の顧問へのプレゼントを選びに行くことになった。
いつもは降りないバス停で下車して、雑貨屋さんに入った。生活用品から文具まで様々な商品を見ては、顧問に喜んでもらえるものを話し合った。
なかなか意見がまとまらず、いつの間にか顧問のプレゼント選びからウィンドウショッピングへと目的がずれてきたこともあって、私は「また明日にしよ。」と友人に提案した。
我が家ではこの言葉は「今日は無理しないでおこうよ。またの機会にしよ。」というニュアンスがある。
友人も私が乗り気ではないことを察して、その日はお開きになった。
次の日、学校が終わってバスに乗ると、昨日の友人から携帯電話に着信が入った。
私はすぐに嫌な展開を想像した。
案の定、友人は怒っていた。
「今どこ?
昨日、また明日にしよって言ったじゃん。」
「また明日にしよ」ではなく、「またの機会にしよ」と言えばよかったのだ。
家族ならば、「また明日」は「またいつか」の意味にもとれるが、友人にはそうはいかなかったことを学んだ。
そして、友人は私を言葉に責任のもてない裏切り者として罵った。
あのときはなんとも情けのない気持ちがした。
星を追いかけて
星って多分、太陽系外の恒星のことをいう。
恒星とは自ら光り輝く天体のことを指す。
だから、月や火星は星ではない。
だって月や火星は太陽の光を反射して光ってる。
自ら光り輝いてはいない。
つまり、太陽系で星は太陽だけだ。
私にとっての星はなんだろう?
常に光っていて、私を導いてくれる存在。
正直、いないなぁ。
なんてつまらない人生。
そんな人と結婚したいよね。
私はまだ、私自身が星になりたいと思っている。
誰かを照らせる存在。いいよね。
今を生きる
中学のときの学年だよりのタイトルだ。
英語の先生が考えて、筆で手書きで書いたものをタイトルにしていた。
その先生は私の中1のときの英語の先生で、
私は最初の英語のテストで34点を取った。
今まで見たことのない点数でショックを通り越して、笑いが出た。
いわゆる中1ショックというものだった。
penをpennと書いていた。
friendをfurenndoと書いていた。
ローマ字が英語でなく、日本語であるということを理解していなかった。
だって、小学校の先生はローマ字が出来れば、中学校での英語は大丈夫だと言っていた。
車の中で泣いたのを覚えている。
目の前を通過する[EPSON]の看板を見て、なんでEPUSONNではないのか?と母に問い詰めて、母に英語は覚えるものよ、と諭された。
ショックを受けたし、そんなの無理だと思った。
一体いくつの英単語を覚えなければいけないのかと絶句した。
漢字だって覚えられたんだから大丈夫。と言われても納得できなかった。
学校の階段で英語の先生とすれ違ったとき、先生は私の名前を呼んだ。
三十数名いる教室で週に数回しか会わない先生だ。
私の名前を覚えていたことに驚いた。
今となっては何を言われたかはっきりとは覚えていないが、おおむねこのようなことを話されたと記憶している。
「テストの点数が低くて、びっくりしたよな。けど、大丈夫。あなたはちゃんとやっている。次は大丈夫だよ。」
私は小さく返事をすることしかできなかった。
けど、顔が赤くなっていたと思う。
中1ショックに沈んでいた私を見つけてくれた。
それだけで非常に嬉しかったし、感激した。
それ以降、直接声をかけられたこともないし、私から声をかけることもなかった。
だけども、私はちゃんと壁を乗り越えることができた。
飛べ
飛行機が離陸する瞬間
壊れるんじゃないかというくらい大きくて重たい機体がゴトゴトガタガタと走りだし、飛べ、というより、飛ぶ!という緊迫感がやってくる。
体がふわっと浮いて、車輪が地面を蹴ったのを感じる。
エンジンのゴオオオオオオというエネルギーを感じながら、真っ直ぐに天に向かって上昇していく。
窓の奥に小さくなっていく町並みを見つめながら、このエネルギーが事切れないことを私は強く祈る。
今、エンジンが止まったら鼻先から真っ逆さまだ。
そんな想像を常にシュミレーションしながら、前のシートの背を手のひらで力強く掴む。
飛べ!飛べ!と祈りながら。
毎度、飛行機から降りると手が痺れている。
ジェットコースターを降りたあとも手が痺れる。
こういうのはジェットコースター症候群とでも言うのかと不思議に思って調べてみたら、
ただ単にシートを握りしめる手に力を入れすぎて、血流が悪くなっただけらしい。
シートを強く握りしめたところで、落ちるときは落ちるのに。
世の中に100%はないと知っているから。
身を委ねる相手を自分以外に置くことは恐怖である。
では、自分になら身を委ねられるのか?
私たちは自分たちの能力で支えあって、生きている。
だから、私も誰かから身を委ねられているのかもしれない。
みな、誰かの命を抱えながら飛んでいる。
落ちないように、落とさないように、
飛べ!