『秋風』
「かぜさーん!なっちゃんにも、かきをおとしてくださーい!」庭の柿の木の下で、娘のなつきがまた叫んでいる。
事の発端は先週、久しぶりに遊びに来た父が落ちて来た柿を偶然キャッチしたところから始まる。たまたまそんなことになったのだが、横に居たなつきには、まるで木が父に柿をプレゼントしてくれた様に見えたらしい。
「こりゃ、虫にやられたな…」柿を見ながら言う父に、そんな事情が分からないなつきは、食べたい!食べたい!とせがんだ。
これは食べられ無いから他のにしようといくら言ってもそれがいいと聞かず、涙目になった孫の顔を見て父はうろたえた。
「もしかしたら、秋風が吹けばまた柿が落ちるかもしれんなぁ」苦し紛れに言った父の言葉を真に受けて、それからなつきは、毎日柿の木の下で風を待っている。やれやれ、一体いつまで続くのやら…。けれど真剣にお願いするなつきの可愛い姿をずっと見ていたい気もするのだった。
『スリル』
中学校からの帰り道。1人で歩く通学路の先に小さな川があった。ある日、その川を見てあるチャレンジを思い付く。
目を閉じた状態でここから川に向かって歩き、川辺りギリギリの所でピタリと止まれるかどうか。
私は川を正面に見据えて目測した。大体私の歩幅で12歩だ。よし!目を閉じて1歩踏み出す。2歩…3歩…心で数えながら11になった時、突然足元にあった道路が消えた。
あっという間に私は川に落ちた。驚いて目を開けると、顔の半分程の水しかないのに、何故か川から顔が出せない。バタバタともがきながらも何処か頭は冷静で、昔、祖父が言った言葉が脳裏に蘇った。
「浅い川でもひっくり返ると天地が分からなくなって
溺れてしまうことがあるんだよ」
そうだ、天地だ。きっと天地が違ってるんだ。
私はえいっ!とさっきとは違う方向へ頭を上げた。やっと起き上がる事が出来きた私。祖父の言っていた事は本当だったと身にしみて分かった。
『哀愁を誘う』
駅裏の細い路地を曲がると小さな骨董屋がある。会社と駅との往復に、少し遠回りしてこの店へ寄るのが私は好きだった。硝子越しに中を覗くと壺やら招き猫やら古い物が所狭しと並んでいて、店の一番奥にはおじいさんがいつも静かに座っていた。
店内を見るふりをして様子を伺う。
ピィピィピィ。玄関脇の籠の中で黒い小鳥が綺麗な声で鳴き始める。するとその声に誘われて、奥にいるもう一羽も鳴き始めた。
最初は分からなかったが、実は鳴いていたのはおじいさん。口を器用に動かして、見事なまでに小鳥の声を真似ていた。それに気付いたあの日から、私はこうしてここに通い続けている。
ピィピィピィ。小鳥はおじいさんに、おじいさんは小鳥に、掛け合う声が重なって実に楽しそうだ。
けれどそんな時間も終わりの時が来た。
いつしか奥の椅子には息子が座るようになり、掛け合いの友を失った小鳥は物悲しくその声を響かせるのだった。
『永遠に』
産直市場に山きのこが沢山並んでいる、きのこ好きの娘の為に買い求め、短い手紙を添えて送った。
「おばあちゃん、山きのこをどうもありがとう」珍しい、孫の優希が電話をかけて来た。
「で、ちょっと聞きたいことがあるんだけどね。手紙に松しめじって書いてあったでしよう?調べたらこれ、毒きのこだって…」
あ、そうだ!
書き間違えた手紙をそのまま入れてしまった!
本当はショウゲンジ。食用だから安心して食べてねと説明すると、優希のホッとする様子が伝わってきた。
ところでお母さんは?と聞くと「今、きのこ鍋を美味しそうに食べてるよ」
娘は昔から細かいことを気にしない子だった。今回の手紙だって読んでいるのかも怪しい。もし、送ったきのこが毒だったら永遠の眠りについてしまったかもしれないのに。
まあ、そんな娘だから孫の優希がしっかり者になるのは当然の成り行きだろう。
『暗がりの中で』
あ、まただ!
今日も仕事で夜道を運転中、車のライトに突然現れた歩行者にドキッとする。免許を取る前は、車が歩く自分を明るく照らしてくれているとばかり思っていた。が、それは大間違いで暗がりの中の歩行者はとにかく見えにくい。
市長選に出る友人に相談すると、この件はこれから考えて行くべき事柄だと言い、公約の一つに加えてくれた。
「夜、歩く際はホタルになりましょう。懐中電灯等身に着け、自身を守りましょう。私は皆様に反射材をお配りすることを約束致します」
見事当選した友人は公約通り反射ベストを全世帯に配布した。市民の意識が変わり、夜の事故が大幅に減った。今では市の取り組みが『ホタルモデル』と呼ばれ、全国からの視察が相次いでいる。