『たくさんの想い出』
会社の良子さんは黒髪の素敵な10個上の大先輩。最近何かの写真をスマホで見ている姿をよく見掛ける。何の写真ですか?と尋ねると「あなたには見せても大丈夫かしら…」と言いつつ、チラッと見せてくれた画像には茶色い紐のような物が写っていた。何だろう?と不思議がる私に良子さんは「じゃあ、夜、家に見に来る?」と誘ってくれた。
家に上がると「こっちこっち」と奥の部屋から声がする。初めて入る奥の部屋には、渡した物干し棒に薄茶色の紐が沢山掛けられていた。長さ約1mの紐は、遠目にはのれんの様に見える。「大事なものだから絶対に触らないでね」と言われ近づくと、それが全部ヘビの抜け殻だと気付いた私は後ろへ飛び退いた。
驚く私に良子さんは一番左を指さし「これは小さい頃祖父と一緒に山へ行って偶然見付けてね」縁起物だと言われ持って帰ったのが始まりで、これは翌年田んぼで、これは翌々年に道端で…。見付けた時のエピソード付きで並んだ順に抜け殻の想い出話しは夜通し続くのだった。
『はなればなれ』
「各自準備が出来次第、ダイブ開始!」
上空5000mの雨雲の中、漂う水蒸気を我先に取り込み雨粒となったものから地上目掛けて落下する。あるものは山へ、あるものは田畑へ、あるものは街へ。行く先は様々だ。
「ねえ、おじさん。ボクはこれからどうなるの?」
小粒が不安気に私に聞いてきた。
「おや、雨になるのは初めてかい?君はこれから大きな雨粒になって下界の何処かに落ちる。」
「そこにおじさんはいる?」
「さあな。ここにいる粒達は皆、下に落ちて一旦はなればなれになる。だが川を伝って海へ行き、そこから空に戻ってくるんだ。また皆に会えるよ」
「本当に!?」
小粒が嬉しそうに言った。
「…さて、私はそろそろ準備が整ったようだ。雨になったから先に行くよ。」
私は小粒を残して下界へと落ちて行った。
『子猫』
アパートの敷地に、時々白い子猫がいる。ここは動物禁止の建物なので誰かの飼い猫とは思えないが、徐々に大きくなっていく様子や、野良の割に毛艶が良い姿を見ると、誰かが隠れて世話をしているのは一目瞭然だった。
ある日の仕事帰り、アパートの駐車場に着くと隅の方に誰かがうずくまっているのが見えた。近づくと私の気配を感じておじさんが驚いて立ち上がった。足元にはあの白猫がエサを食べている。無言で猫を凝視している私におじさんは言い訳がましく「この前世話になったから…」と言って去って行った。
何を言っているのか。世話をしているのはあなたでしょう。少し怒りを感じなから眠りについた私は翌日、その意味を知ることになる。
朝7時、いつもの様に車に乗り込むと目の前に進路を塞ぐように白猫が座っているのが見えた。暫く待ったが猫は全く動く気配が無い。仕方がないので車から降りると、私は何かを踏みつけた。あ、財布だ!
私がそれを拾いあげるのを見届けると白猫は何処かへ行ってしまった。
『この前世話になって』
おじさんもきっとこの白猫に助けられたのだろう。
そして他の人達ももしかしたら。
私は帰りにキャットフードを買ってこようと心に決めた。
『秋風』
「かぜさーん!なっちゃんにも、かきをおとしてくださーい!」庭の柿の木の下で、娘のなつきがまた叫んでいる。
事の発端は先週、久しぶりに遊びに来た父が落ちて来た柿を偶然キャッチしたところから始まる。たまたまそんなことになったのだが、横に居たなつきには、まるで木が父に柿をプレゼントしてくれた様に見えたらしい。
「こりゃ、虫にやられたな…」柿を見ながら言う父に、そんな事情が分からないなつきは、食べたい!食べたい!とせがんだ。
これは食べられ無いから他のにしようといくら言ってもそれがいいと聞かず、涙目になった孫の顔を見て父はうろたえた。
「もしかしたら、秋風が吹けばまた柿が落ちるかもしれんなぁ」苦し紛れに言った父の言葉を真に受けて、それからなつきは、毎日柿の木の下で風を待っている。やれやれ、一体いつまで続くのやら…。けれど真剣にお願いするなつきの可愛い姿をずっと見ていたい気もするのだった。
『スリル』
中学校からの帰り道。1人で歩く通学路の先に小さな川があった。ある日、その川を見てあるチャレンジを思い付く。
目を閉じた状態でここから川に向かって歩き、川辺りギリギリの所でピタリと止まれるかどうか。
私は川を正面に見据えて目測した。大体私の歩幅で12歩だ。よし!目を閉じて1歩踏み出す。2歩…3歩…心で数えながら11になった時、突然足元にあった道路が消えた。
あっという間に私は川に落ちた。驚いて目を開けると、顔の半分程の水しかないのに、何故か川から顔が出せない。バタバタともがきながらも何処か頭は冷静で、昔、祖父が言った言葉が脳裏に蘇った。
「浅い川でもひっくり返ると天地が分からなくなって
溺れてしまうことがあるんだよ」
そうだ、天地だ。きっと天地が違ってるんだ。
私はえいっ!とさっきとは違う方向へ頭を上げた。やっと起き上がる事が出来きた私。祖父の言っていた事は本当だったと身にしみて分かった。