『紅茶の香り』
会社の良子さんは黒髪の素敵な10個上の大先輩。最近、とても肌艶がいいのでどんなスキンケアをしているのか聞いてみた。するとある癒しグッズにハマっていると言う。「見にくる?」の言葉に私は早速お邪魔することにした。
部屋に入った時から微かに何かが香る。キョロキョロする私に良子さんが見せてくれたのは小さなお皿。真ん中の穴に5cm程の棒が刺さっている。‥お香ですか?と聞くと、良子さんはそれにゆっくりと火を付けた。
立ち上る煙は絶対に何処で嗅いだことがある。あ、もしかして紅茶?「珍しいでしょう?」と良子さん。「まだ他にもあるの。紅茶の香りに合わせるなら絶対これね」と、別な香にも火を付けると、今度は酸味のあるフルーティな香りが漂って来た。それと同時にバニラビーンズの甘ったるい香りも。
苺のショートケーキだ!と叫ぶと、良子さんはにっこりと笑って満足そうに頷いた。
『友達』
深夜、3人で何となく集まって良く行く場所はゲームセンター。店の灯りに誘われていつもそこそこ賑わっている。そんなに軍資金も無いので、暖かい店内で喋りながら過ごしたり他の人達の様子を眺めたりしている。
唯一やるゲームは太鼓の達人。3人とも腕はいまいちだが大好きなゲームだ。
「今日はちょっと難しい設定でいくか!」
お調子者の太一が声を上げた。無理すんなよ~と言う2人の言葉をよそに、本当に設定を一段上げている。
「うおおぉぉおぉ~!!」
無我夢中に太鼓をたたく太一。雄叫びとは裏腹に、画面とは全く噛み合わないバチ捌きに2人で腹を抱えて笑い転げた。
毎日、何か特別な事なんて無くていい。
今は気の合った友達と過ごす時間が最高に楽しい。
『すれ違い』
私の名前は結依。姉の舞依とは一卵性双生児の双子だ。そっくりな見た目だが性格は正反対で、姉の舞依は社交的で誰とでも直ぐ仲良くなれるタイプ。私はと言うと、あまり人付き合いが得意では無いので本を読んだりひとり静かに過ごすことが多い。
勿論、舞依のことは大好き。夜ふたりでお喋りしてるとあっという間に時間が過ぎる。高校は別々になったので学校の話題が多いが、舞依は最近「真田さん」の話しばかりするようになった。
仲良しさんが出来たことを私も喜んであげないといけないと思いつつ、何だろう‥この胸のモヤモヤは。
日曜日、1人本屋へ向かって歩いているとすれ違った女の子が小さくあっ、と声を上げた。
「‥もしかして、結依‥ちゃん?」
突然のことに驚いたが、話すうちにその人が真田さんだと分かった。一度私に会いたかったと彼女が言う。そして学校では舞依が私のことばかり話すのでふたりの仲の良さが羨ましかったとも。
『秋晴れ』
10月にしては暑いくらいの天気、道行く人達は日陰を選んで歩いている。よく見ると歩道の影の部分にここに一つ、向こうに一つ、更にその奥に一つとパイプ椅子が置かれている。何故だろう?と横目で見つつ、その場を通り過ぎた。
用事を済ませ、また同じ道を通る。今度はポツポツと人が立っている。何があるのだろう‥と辺りを見回すと、近くの小学校の校庭に赤白帽子を被った子供達が一列に並んでいるのが見えた。
「ピッ!」
大きな笛の合図で一斉に走り出した子供達。グランドを一周してから門を出て、更に校舎周りを懸命に走っている。秋晴れの空のもと行われたマラソン大会。頑張れー!の声援と、走る子供達の足音が響いた。
『忘れたくても忘れられない』
秋の三連休、職場の仲良し3人組で山あいの温泉地へやって来た。今時期は近くの山できのこ狩りが出来るのも人気のひとつで、今日泊まるホテルの夕食も山きのこのフルコースらしい。
旅行の目的は、その土地ならではの美味しいもの探し。お昼はふもとの食堂で、早速山のきのこうどんを注文してみた。そのあまりの美味しさに夜の食事も期待がもてる。
「そろそろご飯を食べに食堂へ行かない?」
夕方、ホテルで友人は待ちきれなくてそう声をあげた。もうお風呂にも入り準備万端。けれどちょっと待って。さっき食べたお菓子の甘さが気になるから歯磨きさせて。
ところが、慌て過ぎて歯ブラシにかゆみ止め軟膏を塗った事に気付かず歯磨きした私。あの味は‥未だに忘れたくても忘れられないものとなった。