春一番

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3/19/2023, 3:06:30 PM

美しい音楽の中にいた。

「蒼原さんが来ないことは聞いていませんでした」
「しょうがないじゃないか、蒼原は今日用事があったのだから」
「知っていたなら先に教えてくれてもよかったじゃないですか、青雲」
「だってそれ教えたら君来ないでしょ」
「まあ、はい」
「少しは否定しなよ…」

 今日、青雲と青雲の弟の海想は竹凛の通うピアノ教室の発表会に来ていた。つい一週間前に竹凛からパンフレットを渡され、自分が出るからよかったら見に来てね、と言われた。これといって用事もなかったため来ることにしたのだが、一人で行くのはちょっと気が引けたので海想についてきてもらったのだ。ただ一つ誤算だったのは蒼原が来れなかったこと。会えると思って楽しみにしていた海想は少しへそを曲げてしまったのだ。しかし青雲はそれを気にすることなく、楽しそうにからから笑った。

「竹凛兄さんのピアノを弾く姿をこうした形で見るの、初めてじゃない?」
「たしかに、あまり僕たちに進んで見せることはなかったですよね、あの人」
「そうだよねえ。第一、こういう発表会に誘われる事自体初めてでしょ。ピアノの発表会、今まで弾いた人たちもすごくうまかったねえ」
「はい、きっと練習もたくさんしているでしょうし」
「まあ、たしかにねえ。あ、ほら竹凛兄さんの出番だ。」

 アナウンスが入り、竹凛が舞台袖から現れる。スーツを来てピアノ前で礼をする姿は悔しいがとても様になっている。竹凛が弾く曲はショパンのノクターン第20番嬰ハ短調「遺作」。青雲と海想は初めて聞くその曲に、竹凛の演奏に二人は一瞬で飲み込まれた。切なく哀しく聞こえる旋律はあまりにも圧巻だった。演奏が終わって、拍手が響き、竹凛が礼をする姿を見て、やっと青雲は現実に引き戻される。海想は目を見開いたまま拍手を送っている。

「…すごかったね」
「…ええ、悔しながら」
「竹凛兄さん、こんなにピアノうまかったんだね」
「不覚にも、胸が高鳴りました」
「これ、身内贔屓じゃないよね」
「たとえそれをマイナスしても素晴らしいという言葉しか出てきません」

 珍しく饒舌に褒める海想に青雲はへえと、感心する。しかし、それ程竹凛の演奏はすごかった。ふと、竹凛がこちらに気づいたのか目線をこちらに向け微笑む。少し上のほうから小さく黄色い悲鳴が聞こえた。いつもだったらそれに対して嫌味の一つもいう海想が、なにも言わずに竹凛を見つめた。

「ああしてれば竹凛にいはかっこいいのに」

 ぽつりと海想が零す。しかし次の瞬間はっとして首をゆっくり回しながら青雲の方を見た。青雲は笑みを浮かべながら手すりに頬杖をつく。

「やっぱりかっこいいよね〜」
「今のは失言です。忘れてください、青雲」
「いや、なにもそんなに恥ずかしがることじゃあ…」
「忘れてください」

 うぐぐぐぐ、と海想はこめかみを人差し指でおす。いつの間にか耳を赤く染めていて本当に無意識に口から零れたのだと分かった。

「…竹凛にいに対して興奮したのは失態でした。青雲、黙っていてくださいね」
「えぇ…絶対竹凛兄さん喜ぶのに」
「だから嫌なんですよ」

 海想は竹凛に対してものすごく切れ味が鋭い。ただ辛辣に言いながらも、言動の端々に尊敬の意が見え隠れしている。中学生という多感な時期になり、慕ってる相手を手放しで褒めたり、態度に表すのは恥ずかしいのだろう。しかし、これ以上何かいうと海想が拗ねかねないので青雲は、分かった分かったと答える。

「だけど、たまには素直に伝えてあげなよ。竹凛兄さん、海想のこと大好きなんだから」
「…気が向いたら」
「絶対言わないやつじゃん」

 海想は両手で真っ赤になった頬を抑えながら、舞台の方に向き直る。もう竹凛は舞台の袖に行ってしまい、そこはピアノがおいてあるだけで空っぽになっていた。海想はまた先ほどの竹凛の演奏を思い出して、不貞腐れたようにため息をついた。



「それができたら苦労しません…」

3/18/2023, 12:54:02 PM

とても不条理な夢だった。

それは青雲が死んでしまう夢。


何回も、何回も、何回も、何回も、何回も、何回も、
青雲は死んでしまう。

ある時は首を吊り、ある時は腹を刺し、ある時は毒を飲み、ある時は屋上から飛び降りた。

だけどおかしいのだ。その全てで君は笑っている。まるでお気に入りの何かを見つけたときのように。そうして青雲は躊躇なく自分に手を下す。

蒼原はただ立っているだけだった。どこかで夢だと思分かっていつつも、頭では現実だと警鐘を鳴らす。



一体、どうしたら青雲は救われるのだろう。


結局、蒼原の叫び声は喉に張り付いて、口から出ることはなかった。


蒼原が目を開けると、見慣れた天井が広がっていた。時計は夜の2時16分を表示している。

「…酷い夢だ」

 蒼原はそう呟くと、静かにベッドから降りた。汗が背中にべっとりとついていて、喉が乾いている。水を飲もうと階段を降りていくと、リビングに光がついていた。ドアを開けると兄の竹凛がカップを持って、こちらをきょとんと見つめた。

「おはよう蒼原。随分お早いお目覚めだね」
「竹凛兄さんこそ随分と夜ふかししてるね」
「俺は大学院生だよ?論文の一つや二つ溜まっていたら寝る間も惜しんで書くものさ」
「ようするにサボっていたツケが回ってきたってことだね」
「そうともいう」
笑っている竹凛を横目に蒼原は棚からグラスを一つ取り出し水を注ぐ。それを一気に飲み干し、もう一度注ぐ。

「なんだ蒼原、思い詰めた顔をして。悪い夢でも見たのか」
「ああ、とびっきりの悪夢をね」
「そりゃあ災難。ちなみにどんな夢だったんだ?」

そう言われて、蒼原はグラスに注がれた水を見つめる。そこにはいつもと変わらない自分の顔が写っていた。


「大切な人が、僕の目の前で何度も死ぬ夢」


はっ、という乾いた笑いが蒼原の口から溢れた。

「僕は手をのばすことも、叫ぶことさえもできなかった」

胸がきゅっと苦しくなる。そして分かってしまった。きっと僕にとっての悪夢は青雲が死ぬことじゃない。死んでしまう青雲の側に自分が行けないこと、手をとって自分も一緒に死ねないことだと。その考え方にすら嫌気がさしてため息をついた。すると竹凛が今度は大声で笑った。

「ああ、我が弟ながら難儀なものだ」

ひいひい言う竹凛に、蒼原は顔をしかめた。

「なんなの…?」
「だって蒼原考えてもみろよ、それは所詮ただの夢だぞ。何をそんな深刻に考えるのか」

竹凛は笑い疲れたのか。テーブルに肘を付き笑顔で蒼原を見据えた。

「大丈夫だ、蒼原。だってお前は現実ではずっとあいつの手を引いている。お前はいつも見ている現実よりも夢を信じるのか?」
「いや、そうじゃないけど…」
「じゃあいいじゃないか、それはただの夢なんだから」

そういうと竹凛は背中を伸ばし立ち上がる。論文の続き書くわ、とリビングを後にする。その後ろ姿をぽかんと眺めていたが、ドアの閉まる音で我にかえる。

「なんで名前言ってないのに誰だか分かったんだ…?」
「わからないと思ったのか?ばーか」

ドア越しにそんな声が聞こえて、階段を軽快に登る音が響いた。テーブルを見ると飲みっぱなしのカップが置かれていた。これは片付けろと暗に言われてる。やられたと蒼原は顔を真っ赤に染めながらわなわなと叫んだ。

「こんのクソ兄貴!!」

きっと部屋で笑っているだろう竹凛に明日仕返ししてやると誓った。だけど、不思議とさっきまでのもやもやは消えていた。

「少しは感謝してやる」

カップとグラスを洗いながら誰ともなくつぶやく。ベッドに戻りもう一度ど布団をかぶる。目を閉じながら夢を思い出す。あの不条理な夢を。だけど

『今度はあの不条理な夢の中でも、青雲の手を引けそうだ』

と、ゆっくりと目を閉じた。

3/12/2023, 2:51:34 PM

「手紙を書いてみたから、あげるよ蒼原」
「色々言いたいことはあるけど、急だね…」

 突然青雲に渡された、それは一通の手紙だった。薄青色の無地の封筒には深紅の封蝋がつけてある。

「…ご丁寧だね」
「いいでしょ、これ。福袋で当たったんだ」
「在庫処分にしてはいいものだね」

 そう言いながらため息をついた。福袋なんて嘘だ。青雲がそんなよくわからないものが入っている福袋を買ったところを見たことがないし、第一、封蝋が入っているわけがない。……もしかしたら入っている福袋もあるのかもしれないけど。
 でも僕はその嘘に乗ることにする。僕からしたら普通に買ったと言われても嬉しいけれど、青雲からしたらこのために態々買ったと知られるのは恥ずかしいのだろう。

「今、中を読ませてもらってもいい?」

 そう聞くと青雲はびくっと肩をゆらして、大きく首を横に振った。

「も、もちろん読んでほしいけれど、私がいなくなってからにしてくれ!流石の私でも恥ずかしい…」

 顔を真っ赤にして力なくそう言う青雲を見て、頷きながらも何が書いてあるのか興味が湧いた。「このあと用事があるからすまない」と帰っていく青雲に手を振りながら、これを渡すために来たのかと手紙をもう一度まじまじと見つめた。
 自分の部屋に戻り封蝋を丁寧に剥がす。一体何が書かれているのか、開ける前に考えた。いつもは言えないことなのか、はたまた何かの報告か。何にせよ手紙で伝えたい内容とは何なのか。
 封筒の中に入っていたのは一枚の便箋だった。そこにはたった一行だけ、こう書かれていた。




      『君のことを、もっと知りたい』




 便箋を持つ指に熱がこもる。この一言のために手紙一式を買って、どんな思いでこの言葉を書いたのか、青雲のいじらしさを感じて僕は右手で顔を覆った。そして笑いが溢れた。

「君に聞かれれば何だって答えるよ、青雲」

 次会うときに何を話そうか、あの隠したがりで恥ずかしがりやに。僕は文章を書き起こすのが苦手だから直接伝えよう。だから、

「僕にももっと教えて、青雲」

3/5/2023, 12:38:10 PM

「掃いても掃いても落ち葉ってなくならないよねえ」
「下にあるのはいいとして、上から降ってこないでほしい…」 

私と蒼原は親に命令…いや、頼まれて祖母の家の広い裏庭をせっせと掃いていた。祖母の裏庭には大きな一本木があり、夏は庭全体が日陰になり涼しくていいのだが、秋は今のように大量の落ち葉を落とす。

「見て蒼原。私達が掃いた落ち葉が風に乗ってワルツを踊っているよ」
「不毛だっ…!」

私は藁箒に軽く体重を載せながらひらひら楽しそうに舞う葉を目で追う。不規則に動くこの感じがなんともいえずたまらない。私がそんなふうに暢気に考えていると、蒼原ははあはあ言いながらそれでも真面目に落ち葉を掃き続けている。

「これ、この袋に収まり切ると思う?」

私はこれに落ち葉をしこたま入れるように、と母に渡されたリビングテーブルが入りそうなくらい大きな袋を顎で指した。

「これぱんぱんに入れたら終わっていいってことでしょ、だったらがんばる」
「蒼原…。体力はないけど根性はあるよねえ…」
「青雲もがんばってよ」
「もちろんだとも」

私もまた掃いても掃いても終わらない落ち葉掃きを再開した。しかし、まあ、本当に多いこと。その時蒼原がぽつりと漏らした。

「全部燃やしたい…」

その言葉を聞いて私ははっ、とした。

「それ、いいね」
「はあっ!?」
「蒼原、私準備してくるから適当に落ち葉を集めておいておくれ」
「待って、待って、待って、何がなんだか分からないんだけど、せめて青雲、何をするか説明を…」

狼狽える蒼原をおいて私は祖母の家に走った。そして必要なものをてきぱきと揃えてく。5分たたずで準備を終えて急いで蒼原の元へと戻った。

「お待たせ!」
「…そうだね、待ったよ」

恨みがましく私を見上げる蒼原だが、その足元には律儀に落ち葉の山ができていた。

「お、いい感じだねえ、ありがとう!」
「まあ、これくらい…というか何をするつもりなの?」

私はへっへっへっと得意げに用意して来たものを並べる。

「新聞紙にマッチ、アルミホイルに包まれた何か…」
「これにはさつまいもと濡れた新聞紙が包まれてます。あとはバケツと水を沢山!!」
「…焼き芋か!」
「当たり!」

私はなれた手付きで新聞紙を丸めてマッチで火をつける。するとするすると落ち葉にも火がついた。

「今日はあまり風が強くなくてよかったよ」
「間違いないね」

さっきまで元気のなかった蒼原の顔が少し明るくなっていた。私は満足してそこらへんにあった木の枝を使いながらさつまいもを包んだアルミホイルを焚き火の中に押し込んでいく。

パチパチとゆっくり燃える落ち葉を二人で眺める。何を話すわけでもないが、ゆったりと流れるこの時間が心地よく感じた。蒼原もそうなのか、珍しく鼻歌が聞こえてくる。そろそろ焼き上がりかな、と二人で木の枝を使い、さつまいもをころころ転がして出した。

「まだ熱いかな」
「出したばっかりだから多分」

蒼原とかがんで、冷めるまで転がす。そして頃合いになったらアルミホイルを剥いた。湯気が広がりさつまいもの焼けたいい香りが広がった。

「ところどころ焦げてるねえ」
「火加減もくそもあったもんじゃないからね」

そう言いながら蒼原は美味しそうに焼き芋にかぶりついている。私もつられて一口食べる。甘くて、ちょっと苦い味が口に広がる。普段は特段なにも思わない焼き芋も、こうして自分たちで焼いて、そして蒼原と一緒に食べると美味しく感じた。

「たまにはこういうのもいいね」
「たしかにね」

水をかけて、しなしなになった落ち葉の山からまだ、薄く煙が上がっていた。

2/14/2023, 2:39:18 PM

―青雲の独白―

 2月14日はバレンタインデーと呼ばれ、愛を祝う日なんだと知った。私は大型ショッピングモールで一袋289円、二袋だと500円になる大袋のチョコレート菓子を6つ買かごに入れた。日付は2月13日19時57分、こんなぎりぎりになってしまったが、仕方がない。何をあげれば気を遣わせずに済むのか悩んでいたら前日になっていた。

 結局は、ありきたりなものをレジに持っていく。買った商品をエコバッグにいれ、車に戻ろうと足を踏み出すが、ふと特設コーナに目が止まった。ほとんど売り切れてガラガラの商品棚の中、ぽつんと一つだけ赤い包装紙に包まれた小さな箱が残っていた。私はその箱を手に取り、中身が何なのかも確認せずに特設レジに持っていった。

“1350円”

 高いのか、安いのかも分からないそのチョコレートはなぜかしっくりと私の手に収まっていた。私は携帯電話を取り出すと素早くメッセージを打ち込み、送信した。




『やっほー蒼原。実はさ、バレンタインデーなんていうチョコレート会社の策略に乗ってみたんだけど、明日…』

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