お前が彼女にとって唯一無二の『特別な存在』になりたいのなら。
お前が彼女に何かを捧げることの見返りとして、そう感じて欲しいという、その気持ちを捨てることだ。
見返りを期待することなく、日々彼女に奉仕し続けること──それには、彼女に直接働きかけるようなことだけでなく。
彼女が彼女でいられるよう、彼女のテリトリーを侵さないように、自分とは一定の距離を置く、そんな必要だってある。
彼女を知らない人からすれば、本当に『バカみたい』な滅私奉公の精神で、お前は、どれだけ彼女に尽くすことが出来るのか?
繰り返すが。彼女からお前への、積極的な接触等の見返りを期待することは、一切出来ない。
そのすべては彼女の気の向くまま、彼女の気分次第で。
彼女は、そういう──狂しいほど身勝手で、美しい生き物なのだから、それをただ受け入れることでしかお前は、彼女の特別な存在には決して、なれないのだ──。
「……だから! ただ寂しいってだけで、酔った勢いなんかで彼女をお迎えするのは、絶対に違うってこと! 彼女に一生見向きもされない覚悟が、お前にはあるのかよって話、俺の言ってる意味、わかるか?」
「っ、じゃあ。明日シラフになってもその覚悟があれば俺は、彼女を迎えに行ってもいい、そういうことだよな」
「いや……せめて、一週間くらい悩め」
「ええっ?! そんなモタモタしてたら彼女は、他の奴に、」
「彼女を迎えられるだけの、お前の甲斐性を確認するのが先なんだよ。彼女を幸せに出来るのは、お前だけじゃないんだから……まぁ縁があれば、お前のことを待っててくれるかもしれないなー」
「っ、クッ……わかった。それで? 俺は、何から始めればいい?」
「金と、それから知識。もっと具体的なことを知った上で、覚悟を決められるかどうかだ」
「よーし……俺は頑張る、だから俺を待っててくれよ、ニャーコ!」
「えぇ……あの猫チャン、お前が引き取ったらそんな名前になんの?」
あの子とわたしがこの世に『二人ぼっち』の、他に誰も理解する者などいない、寂しい生き物なのだ、という幻想は本当に、わたしの独りよがりな、とても都合のいい夢でしかなかったのだ。
いずれこの矢印、いまのあの子とわたしを乗せている、運命とかそんな名前のそれは、その天辺から布を裂くように、奇麗に分かたれるはずで。
そして二人をそれぞれの方角へと運んだ矢印はその後、もう一切交わることはない──わたしにはそれが、痛いくらいにわかっていたのだった。
「姉さまと、おんなじ夢が見られたらいいのに」
いつか──お互いの吐息を感じながら、あの子が言ったこと。
一つの毛布を分け合って、お互いの身を一つにするかのように身を寄せ合って、毎晩同じ寝床で眠った二人なのに、思えば見る夢は、同じではなかった。
「そうしたら、ボクはずっと、イヴォン姉さまと一緒にいられるのにな」
「……お前の夢に、わたしは出てこないの?」
「うん。いっつもね、姉さまを探してるのに、どこにもいないの。だからほんとは眠りたくない、でも姉さまとこうしてるのは好き」
あの子にきゅう、と握られた手は温かくて、わたしはずっと、それを放すことを躊躇っていた。
この現実は──わたしが眠らずに見続けている、ただの夢で。
そしてわたしは、あの子の手を強く握りしめたまま、暗闇へと続く、わたしの運命の矢印にただ、あの子を巻き込んでいただけで、だから。
この、わたしにだけ甘やかな『夢が醒める前に』、わたしが狂わせてしまったあの子の運命の矢印を、正しい軌道へと戻してやる──それが、わたしがあの子にしてやれる、最後のことだった。
──そうして、わたしは。
本当はわたしの弟などではなく、さる貴族のご落胤であったあの子の存在を、信頼に足ると判断した、あの子の本当の家族に知らせて、深く眠ったままのあの子を、彼らに引き渡し。
わたし自身は遠くの地を治める別の貴族にもらわれていったのだ、という嘘の言づてを、これからあの子を慈しむと誓う彼らに頼み、あの子の前から姿を消した。
別方向へと走り出した運命の矢印に、それぞれの身を委ね、わたしとあの子はもう二度と会うことはない──。
そのはず、だったのに。
「もう……嫌、なんだ」
わたしの知らない低い声になった、あの子の声。
あの子に見つけられ、力が抜けてその場にへたり込んだわたしにすがるように、わたしの肩を抱くあの子の、ただただ懐かしいと感じてしまう温もり。
「ボクはいつも姉さまを探していて、なのに姉さまはどこにもいなくて、夢も現実も、どちらもボクを一人にする、そんな悪夢の日々に姉さまは、貴女はボクを、置き去りにしたんだってこと、それを……貴女はちゃんと理解しているの、イヴォン?」
理性とは裏腹に、期待に『胸が高鳴る』、それを抑えるのに必死なわたしは、なにも言葉を返せずにいて。
……だって! お前とわたしは絶対に、一緒には生きてはいけない、でもお前はここにいて、それが意味することは……。
「これからはずっと、一緒にいる。どうしても」
耳元で、そんな──まるで夢みたいな言葉を、お前が囁くから。
そのせいでわたしは、早くこの夢から醒めなくちゃ、って……お前の首の後ろにに回した手をこっそりと、何度も何度も、つねり続けてしまったのよ?
「フツーさぁ、こんなことくらいで『泣かないよ』?」
「メンタルよっわ〜」
「泣けばなんとかなる、って思ってんでしょ?」
「もういい大人なんだからさ、精神的にもっと強くならないとねぇ」
……など、そういったお言葉をよく賜るくらいには、感極まってしまうとすぐに、勝手に涙があふれてくる、そういうタチだったので、特に10代20代の頃は本当に困りました。
いまの時代なら、こういう気質なのだ、となにか名前をもらえたのでしょうか。
それにしても。
泣く、という機能は人間にとって、いったいなんなのでしょう。
他の動物にはないこれは、もしかしたら、進化の過程でやっと得たものかもしれない、なのにこの社会において、人前でその機能を使うべきではない、というのは、実は『不条理』なことなのではないか? なんて──。
……いや。
まぁね、みんながみんな、なにかの度にワーワー泣いてたら、いろんなことが立ち行かなくなりますからねぇ。
えー……はい、各方面に。
その節はいろいろとご迷惑をおかけして、どうもすみませんでした。ごめんなさい。
冒頭の言葉を投げかけてこない方々にも、たくさんフォローしていただきました。きっと思うところを飲み込みながら、ワタクシに接してくださったんだと思います。なのに責めないでくださって、ありがとうごさいました。
ちなみにですけど、この「すぐ泣いちゃう気質」を抱えたワタクシは、歳月を重ねたいまとなっては、前もって状況を回避することや、開き直ってしまうことが、だいぶ上手くなりました。
対人で苦労しそうな職にはもう就かないし、それでも職場でうっかり涙してしまっても、しょうがないそれを首にかけてるタオルで拭きつつ「ええ、泣きましたけども、なにか?」くらいの気持ちで仕事を続けたり、またはすぐに辞めてみたり……。
そうですね、やっぱりいまでも、フツーって言葉の範疇外には、きっと、なっちゃうんですよねぇ。
それでも、そんなワタクシだって、この星の片隅くらいでは生きててもオッケーなんじゃないかなって思うので。
こんなん抱えて生きるのって無理ゲーじゃね? って途方に暮れ自己嫌悪に溺れまくっている、あの頃の自分にそれが伝えられたら……。
や。伝えられたとしても結局、苦しいのは、あんま変わんないかー?
ボクのココロの中にいる『怖がり』はね、ひとりぼっちなんかじゃない、幼なじみの「臆病」といっつも一緒にいてね、二人はとっても仲良しで。
ちっちゃい二人は本当に、どこに行くにも絶対に手をつないでいて……だからね。
「怖がり」も「臆病」もいつだって、ひとりぼっちなんかじゃないんだー。フフフッ。
見開かれた瞳から『星が溢れる』ように、いくつもの水の粒が落ちて柔らかな頬を伝うのを、僕は黙って見つめている。
それはこの生体アンドロイドの起動時に見られる通常の現象で、それを知るにも関わらず僕は、彼女の意思に背いて起動させてしまったのでは、という根拠のない罪悪感のようなわだかまりを、毎回感じずにはいられなかった。
起動した彼女は、その白くて長い指で涙を無造作に払い、ベッドの形をした充電器の上で身を起こす。
軽く辺りを見回し、それから僕を見つけると、ふわり、と柔らかく微笑んでみせる、たったそれだけで、僕のわだかまりは霧散していった。
そう。彼女が僕のやることを、批難するはずなんかないのだ──という、そんな調子のいい考えに、いとも簡単に変わってしまうのだから、まったく、僕って奴は……。
「おはよう、ございます」
「おはよう。さっそくなんだけど、今日は髪を切ってくれるかな?」
「はい。どのような髪型に?」
「僕に似合うってあなたが思う髪型にして欲しい」
「わかりました」
僕をまっすぐに見つめる彼女の瞳、人間のものではないそれは、いくつもの星を内包しているかのようにキラキラと、まるで万華鏡のような美しさで。
それだって、生体アンドロイドならではの特長の一つなのだけども──僕には持ち得ない、僕の目なんか濁っていて、だから僕とは違う美しい瞳の生き物に、僕は僕の何もかもを肯定して欲しくて、あなたを手放すなんてことは絶対に考えられなくて、なのに、僕は……!
「終わりました」
「ありがとう。うん、いいね、軽くなったし」
「気に入っていただけたようで、よかったです。……警告。稼働制限時間、残り10分です」
「ああ……」
まったく……軽度のアンドロイド依存症と診断されるなんて、僕は本当にバカだった。もっと上手くやっていればこんなふうに、セーフティロックなんてかけられなかったのに。
一日の稼働時間が40分までだなんて、短すぎる。
けどこれでも、彼女を取り上げられてしまうよりはマシなのだ。
「じゃあ……おやすみ」
「おやすみなさい」
電源を落とされた彼女のベッドに背を預けて僕は、ふう、と息をついた。
再起動出来るまで、あと24時間。
ああでも、髪を切ってもらうのは、やっぱりいいな。合法的に、頭を撫でてもらってるみたいに感じられるし。
彼女にお願い出来るのはとにかく、依存症が進んだと自動診断されないような行動だけ、だから……。
「またしばらく、対面での語学レッスンだけで我慢しなくちゃ」
呟いて僕は立ち上がり、少し離れた場所にある自分のベッドへ潜り込む。添い寝はアウト判定になってしまうから、しょうがない。
さあ……眠ろう。
早く明日を迎えるには、眠ってしまうのがいちばんだ。
彼女の維持費だけは絶対に削れない、その代わりに食費やなんかを削ってベーシックインカムを節約するためにも、睡眠は有効だ。
ああ──本当にすぐにでも、明日になってくれないかな?