『忘れられない、いつまでも』とは、なんと苦しいことだろう。
かつての自分の言動が、人を呆れさせたり、がっかりさせたり、傷つけたりもしたことを、私は忘れられない……いや。
そうじゃない。実際に忘れられないのは、人にそういう思いをさせてしまったのが、他ならぬ自分であること、その事実を受け止められずに、自分自身に失望して傷ついて、その痛みが忘れられないだけ、なのだ。
現に私は、私に呆れ、がっかりし、私によって傷つけられた人たちの詳細を思い出せない。ひどい話だと思う。
こんな私に出来ることはせいぜい、同じ轍を踏まないことだけ。
過去に対して償えることなんて、なに一つとしてない。
なのに。人の脳は神の恩寵により、忘却を少なからず嗜むものだから、私はきっと、自らの罪を、都合よく忘れてしまうのだ。
いつまでも忘れられない、という苦しさに負けて、私は私を、簡単に許してしまう。
だから、こうして覚えていられる、いましばらくは、忘れられない過去の出来事に対して、散々にもだえ苦しんで、後悔するべきなのだ。
本当に「いつまでも」ではないことを、夢見ながら。そして、そう願ってしまう自分に、罪悪感と嫌悪感を感じながら。
『明日世界が終わるなら……』
脳内会議 その1:
「そんなの、決まってるしー」
「『やさしくコロして〜』」
「by鷹の爪団、団長様」
「つまり、一瞬でも痛いのはヤダ」
脳内会議 その2:
「まさか、肉体だけ滅ぶ、とか…そういう仕様じゃないですよねー?」
「残った幽体だけで宇宙を、未来永劫彷徨い続ける、なんてことになったら、なかなかしんどそうよねぇ」
「いやたぶん、弥勒菩薩さまが迎えに来てくれるから…」
「56億7千万年後、だけどね」
「えー、そんなに待てるかなぁ。終了するなら魂ごと消滅しちゃったほうがいいのかも?」
「あ、それか! 魂は、別次元かどこかの異世界にー、とかっ?」
「「「それな」」」
脳内会議 その3:
「やっぱり結論としては、」
「『キリングミー、ソフトリー』!」
「うん、それに尽きるなー」
「もしくは、なるべく今世くらいか今世よりもイージーモードの異世界転生でお願いしまーす」
「……で? 今日は、なにする?」
「外出るのは危なそうだからー、おウチでマンガ読んでようよー」
「誰か機転きかせて、マンガアプリを、無制限読み放題に設定してくれてたりしないかな〜?」
『君と出逢って、』その出逢いこそが、僕の人生における、最大の幸運だったのだ。
だから僕には、どんな「アタリ」だって、もう巡ってくるはずなどなく──。
「……僕が買っても絶対に当たらないけど、いい?」
「えー? そんなの、買ってみなきゃわかんないじゃない、夢見るのは一緒のほうが、楽しいんだからさ、ねっ?」
人気の売り場に並んで購入した宝くじは、やっぱりハズレ。
いつか、君の買ったほうにアタリが出ないように──いや、出たっていいんだけど──僕は日々、君より少しだけ頑張らないとな、と思う次第。
「当たってたら、どうしたかった?」
「うーんとね。とりあえず今日の夜ごはんは、焼肉屋さんだったと思う」
「ハハッ。それくらいなら僕が、宝くじなんかに頼らなくても、叶えてあげられそうなんだけど?」
「ほんと? じゃあ、着替えてくるねー!」
出来るなら、君が僕を選択したことはアタリだった、そう思われたい──君には内緒だけど、ね。
『耳を澄ますと』
よるがおとずれ
ねぐらへかえる
ひともけものも
ねどこのなかへ
ひざをかかえて
まあるくなって
まぶたをとじて
みみをすますと──
なにが、きこえる?
とくとく、とくん
とくとく、とくん
かなでるおとは
いきているおと
ねどこのなかで
まあるくなって
おまえはまるで
ひとつぶのたね
ゆめにみるのは
わかばのあした
ゆめにみるのは
はなさくいつか
とくとく、とくん
とくとく、とくん
いきているおと
いきているおと
まどろむたねに
わたしはうたう
おまえのよるが
あけるまで
いつだって、オーナーはズルいのだ。
「うん、じゃあ。サエキさんのお目当てが彼だってことは、僕とサエキさんの『二人だけの秘密』にしておこう」
オーナーがそう言いながら、人差し指を自身の唇に添え、おどけたように軽く片目をつむって見せた、あのときだって。
必死に隠していたことを知られ、動揺しまくっている私のことを、オーナーはきっと愉しんでいたに違いないのだ。
……現に、いまだって。
男の人、という生き物に免疫がない私にこんなことをしたら、私みたいな女子がどういう反応をするか、なんて……。
「全部わかった上で、それをおもしろがって、こういうことするんですよね?」
「こういうこと、って?」
閉店後の店内には私とオーナーだけ、外の立て看板は店内に片付けたけれど、店のドアの鍵は、まだ開いたまま。
表通りからは死角になるソファ席で、私はオーナーに、頭をやさしく撫でられていて。
テーブルの上にはまだ、食べ終わったまかないのプレートとフォークがあって。
ついさっきまで、先に上がってゆく同僚たちを見送りながら、オーナーと並んで食事をしつつ、雑談をしていて、それで。
話の流れで私は、「失恋、というか……彼のことは、もうなんとも思ってないです」とこぼしてしまって──そもそも彼には付き合っている女性がいたのだから、成就もなにもなく、ただ不毛な片思いをこじらせていただけ、だったのだし。
(それを終わらせたのは他でもない、オーナーのせいなんですよ! )
という心のうちを、すんでのところで飲み込んで、なのに。
こんなふうにやさしく撫でられる、とか──私にとってご褒美でしかない仕打ちは、それはないんじゃないかと思う。
「こういうこと……頭を撫でる、とか」
「ああ、困らせちゃったかな」
オーナーは、でも、まったく焦った様子もなく、隣にいる私との距離を取ってくれたのだけど。
「嫌、だった?」
「……え?」
「僕に触れられるのは、生理的に受け付けない?」
「なんの、話、を……」
「僕は……いや、俺は。割と観察力はあるほうだって、自負してんだけどね」
……俺? 観察力?
絶句しながら無意識に、オーナーの発した言葉を、内心でオウム返しにする。
「だから、ね。もし俺のことが受け入れられないなら、ちゃんと逃げてほしい。でも、これが最後のチャンスだから、よく考えてくれないか」
「最後の、チャンス」
「そう。貴女が片思いしてる間も、待ってたし……格好悪いけどね、サエキさんの視線の先を日々追ってしまうくらいには、サエキさんのこと、見てたから」
待ってた、それに、見てた、とは?
そんなの、期待してしまう……のに。
オーナーはそれから黙ったまま、私を痛いくらいに見つめてきて、なのに、決定的なことを言ってはくれないのだ。
……とはいえ、私も。
ソファに投げ出されている、少し前まで私に触れていた手、その手の甲に指先を添わせるのが精一杯。
そんな私の反応を待っていたかのように、オーナーの大きな手が私の手を、すかさず握り返してくるのだから……ああ、もう!
ズルいです、オーナー!