『夢の断片』
あちらこちらに落ちている断片を拾っているのだけれど、理由なんかわかんなくって、ひとつひとつの断片に意味も見出せなくって、ずっと首を傾げながら、こんなことを続けていていいのかと不安にもなって、あっそうか、断片なのだから、これらを繋ぎ合わせればきっと、なにかのカタチになるんじゃないか? と気がついたときにはもう時間切れ、「また夢を叶えないまま人生を終えたのですね」って言われたけど、最後に拾った断片が、とってもキラキラして、それにすべすべと触り心地がよかったから……ボクは、ちょっとだけだけど、いい夢を見ることが出来たんだ。
11月最初の金曜日、君を初めてウチに呼ぶ、その前の、ついでのドライブの間くらいは、紳士でいたかったんだけど。
穴場の展望台に着いて、夜空を見上げた途端に君が、『君を照らす月』の名前、なんとかムーンってアレを、11月のヤツだけじゃない、12か月分スラスラと得意そうに、嬉しそうに口にするもんだから──ああもう、そんな口はいったん、塞いでしまえばいいんだ。
「……ねぇ。僕の名前は?」
唇を離し、それから、まだお互いの吐息がかかるくらいの距離だけ君から離れて、僕は君をじっ、と見つめる。君はびっくりしたのか目を大きく見開いたまま、濡れた唇もその余韻で、閉じ切らないままで──。
「月の名前ばっかり12個も呼んどいて、僕の名前はまだ呼べない、なんて。そんなの、不公平じゃないかな?」
「っ、意味わかんない、それに先輩この前、ゆっくりでいいよ、って、」
「言ったけど。でも不公平すぎだもん、だから急かすことにした」
「理不じっ、んっ……」
指摘された通りに僕は、理不尽に君の反論を奪い、『冬へ』向かって欠けてゆく月に、見せつけるようにキスをする。僕の名前、とりあえず12回以上呼んでもらうのが目標で──ああ、ごめん、こんなに口を塞ぎっぱなしじゃあ、呼びたくても呼べないよね?
森の中、眼前に青く広がるブルーベルの下草の上を、一匹の白い蝶が飛んでいる。
微かな風に揺れる『木漏れ日の跡』を慕うように、小さな白い羽がひらりひらりと渡ってゆくのを、彼女は、ただ茫然と見送っていた。
──ブルーベルの花が咲くのは、春なのに。
物心ついてからずっとつらく当たられてきた継母に、ついに勘当を言い渡された自分はさっきまで、冬の森を、あてどもなく彷徨っていたはずで──なのに、どうして?
「……ああ、そっか。天国、なのかな?」
彼女のほかに誰もいない森では、その呟きを肯定する者も否定する者もいない。が、彼女は妙に納得し、それから、ブルーベルのない木の根元を見つけると、木の幹に寄りかかるようにして座り込んだ。
樹々の葉を抜け、それでもあたたかい春の日差しに彼女は、ほうっ、と息をつく。
ほとんどボロでしかない服だけで夜の冬の森に放り出され、凍えていたのが嘘みたいだ。
「でも……もう、動けない。おしまい、みたい」
木漏れ日が彼女にも降り注ぐのに気付いた白い蝶が、自らの死の訪れを待って目を閉じ、微睡んでいる彼女の頬をかすめる。と、思うと、蝶はパッと飛び退き、ふいにそこに現れた存在に、その場所を譲った。
突如としてそこに現れた青年、銀の長い髪がかかるその背には、一対の、大きく透明な羽があり──。
「大丈夫。おしまいなんかには、させないよ」
彼に体を掬い上げられた彼女は、疲労と衰弱から、もう目を開けられずにいて。けれど、自分を抱く大きな腕の確かさと、どうしてか感じるその声の懐かしさに、ひどく安堵した。
その懐かしさにはちゃんと理由があったのだと、彼女が気付くのは──ここからもう少しだけ、先の話。
「ようこそ、精霊の森へ……いや。おかえり、かな?」
そう彼が言ったのを最後に、彼女の意識はそこで、プツンと途切れたのだった。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日!」
そんな、取るに足らない『ささやかな約束』がちゃんと果たされることは、あの当時の僕らにとっては当たり前すぎるくらいに簡単なことで──だから。
そうやって守られた約束を積み重ねることで、お互いへの信頼を育てていたことに、いまも昔も変わらず浅はかな僕には、気付けるはずもなかったのだ。
学校を卒業し、それぞれに新しい生活が始まり。
僕らの約束が「また来週」になり「次の連休」や「お盆休み」になっていくにつれ、どうしてなのか約束は、次第にその重さを増していった。
そのうち、僕と彼女との間にあった信頼が、いくつかの守れなかった約束の重みによって、少しずつ軋むようになり──僕らが結論を出したのは、軋んでいたそれが、派手な音を立て崩れ落ちてからのことだった。
「……じゃあ、元気で」
「うん。……あなたも、元気で」
それはもう約束だなんて呼べない、辻褄合わせの挨拶でしかなくて……いや、祈り、か?
あなたの健康と幸せをお祈り申し上げます──うん、そんな感じで、そして。
……きっと、僕らは。
たったいま交わした、お互いへのささやかな祈りの果てなど知らないまま、それぞれの場所で、それぞれの人生を終えるのだ──。
先に地下鉄の階段を降りていった彼女の背を、ひどく穏やかな気持ちで見送っていたはずの僕は、いまごろになって……ようやく、そんな事実に気がついたのだ。
あなたに、ここにいて欲しい──それが私の、唯一の祈り。
あなたがいま現在、この世に在り、息をしている──ただそれだけのことが、私にとってどれほどの意味を持つのかを、あなたは知らず、そしてそれでいい。
未来永劫、私があなたの隣に並ぶことはなく。あなたとは違う空の下に在りながら、ひたすらにあなたの無事を願う。
もしかしたら私と同じように今日の空を、秋の喨喨と鳴るのが聞こえてくるような、澄んだ水色を見上げているかもしれない、あなたの幸福を願うのだ。
この『祈りの果て』に私が得るものは、何一つとしてなく。
しかし私は、ありとあらゆるすべてを得る。
──ありがとう。
自然にこぼれ落ちた、このことばこそが、あなたに相応しい。
この世に生まれてきてくれて、ありがとう。
あなたがここにいる、それだけで──あなたという存在にめぐり逢えたこの人生は、決して捨てたもんじゃない、と。
そんなふうに、思えるのだ。