森の中、眼前に青く広がるブルーベルの下草の上を、一匹の白い蝶が飛んでいる。
微かな風に揺れる『木漏れ日の跡』を慕うように、小さな白い羽がひらりひらりと渡ってゆくのを、彼女は、ただ茫然と見送っていた。
──ブルーベルの花が咲くのは、春なのに。
物心ついてからずっとつらく当たられてきた継母に、ついに勘当を言い渡された自分はさっきまで、冬の森を、あてどもなく彷徨っていたはずで──なのに、どうして?
「……ああ、そっか。天国、なのかな?」
彼女のほかに誰もいない森では、その呟きを肯定する者も否定する者もいない。が、彼女は妙に納得し、それから、ブルーベルのない木の根元を見つけると、木の幹に寄りかかるようにして座り込んだ。
樹々の葉を抜け、それでもあたたかい春の日差しに彼女は、ほうっ、と息をつく。
ほとんどボロでしかない服だけで夜の冬の森に放り出され、凍えていたのが嘘みたいだ。
「でも……もう、動けない。おしまい、みたい」
木漏れ日が彼女にも降り注ぐのに気付いた白い蝶が、自らの死の訪れを待って目を閉じ、微睡んでいる彼女の頬をかすめる。と、思うと、蝶はパッと飛び退き、ふいにそこに現れた存在に、その場所を譲った。
突如としてそこに現れた青年、銀の長い髪がかかるその背には、一対の、大きく透明な羽があり──。
「大丈夫。おしまいなんかには、させないよ」
彼に体を掬い上げられた彼女は、疲労と衰弱から、もう目を開けられずにいて。けれど、自分を抱く大きな腕の確かさと、どうしてか感じるその声の懐かしさに、ひどく安堵した。
その懐かしさにはちゃんと理由があったのだと、彼女が気付くのは──ここからもう少しだけ、先の話。
「ようこそ、精霊の森へ……いや。おかえり、かな?」
そう彼が言ったのを最後に、彼女の意識はそこで、プツンと途切れたのだった。
11/16/2025, 5:53:21 AM