「じゃあ、また明日」
「うん。また明日!」
そんな、取るに足らない『ささやかな約束』がちゃんと果たされることは、あの当時の僕らにとっては当たり前すぎるくらいに簡単なことで──だから。
そうやって守られた約束を積み重ねることで、お互いへの信頼を育てていたことに、いまも昔も変わらず浅はかな僕には、気付けるはずもなかったのだ。
学校を卒業し、それぞれに新しい生活が始まり。
僕らの約束が「また来週」になり「次の連休」や「お盆休み」になっていくにつれ、どうしてなのか約束は、次第にその重さを増していった。
そのうち、僕と彼女との間にあった信頼が、いくつかの守れなかった約束の重みによって、少しずつ軋むようになり──僕らが結論を出したのは、軋んでいたそれが、派手な音を立て崩れ落ちてからのことだった。
「……じゃあ、元気で」
「うん。……あなたも、元気で」
それはもう約束だなんて呼べない、辻褄合わせの挨拶でしかなくて……いや、祈り、か?
あなたの健康と幸せをお祈り申し上げます──うん、そんな感じで、そして。
……きっと、僕らは。
たったいま交わした、お互いへのささやかな祈りの果てなど知らないまま、それぞれの場所で、それぞれの人生を終えるのだ──。
先に地下鉄の階段を降りていった彼女の背を、ひどく穏やかな気持ちで見送っていたはずの僕は、いまごろになって……ようやく、そんな事実に気がついたのだ。
あなたに、ここにいて欲しい──それが私の、唯一の祈り。
あなたがいま現在、この世に在り、息をしている──ただそれだけのことが、私にとってどれほどの意味を持つのかを、あなたは知らず、そしてそれでいい。
未来永劫、私があなたの隣に並ぶことはなく。あなたとは違う空の下に在りながら、ひたすらにあなたの無事を願う。
もしかしたら私と同じように今日の空を、秋の喨喨と鳴るのが聞こえてくるような、澄んだ水色を見上げているかもしれない、あなたの幸福を願うのだ。
この『祈りの果て』に私が得るものは、何一つとしてなく。
しかし私は、ありとあらゆるすべてを得る。
──ありがとう。
自然にこぼれ落ちた、このことばこそが、あなたに相応しい。
この世に生まれてきてくれて、ありがとう。
あなたがここにいる、それだけで──あなたという存在にめぐり逢えたこの人生は、決して捨てたもんじゃない、と。
そんなふうに、思えるのだ。
「はぁ〜い、夢魔ちゃんだよっ⭐︎ いまキミがいるのはね〜、キミの深層心理が作り出した、キミの『心の迷路』の中! 脱出出来ないとサイアク死んじゃうかもだけどー、いーっぱい焦ったり怖がったり泣き叫んだりして、頑張ってこの悪夢の出口を見つけてね⭐︎」
「…………」
「アハッ、もう絶望しちゃったかなっ? だよねー、こーんなに壁高くって、暗いしそれに、」
「…………寝る」
「って、え? 壁に寄りかかって体育座りで、ホントに寝る? でもほら、死んじゃうかもってアタシ、さっきゆったよねっ?」
「……でも暗くて出口わかんないし、眠いし……ぐぅ」
「は? 絶望しないで寝た? キミの絶望がアタシのごはんなのに? あーもう、わかった! 特別に明るくしたげるから、起きて!」
「……フッ、社畜には余裕の生ぬるい明るさ……ぐぅ」
「っ、寝るなーっ! そっか、床も寄っかかる壁もない迷路なら……ほいっ、これでどう? 目、覚めた?」
「……ふぁー、ヒマワリの迷路……やっぱり出口が全然わかんないし……ぐぅ」
「まんま土の上に寝る、だと……? んんーしゃーない、木製巨大迷路、ヤグラ付き! 迷路の途中で上から俯瞰出来るから、ちょっとはやる気に、」
「……木の香り、いいね……ぐぅ」
「ちょっ、なんで?! 大体さっきから、心の深層に直に干渉してんのに、全然ブレないとか……なんなの、心臓に毛でも生えてんの?! ねぇ、ねぇってば!」
「……うぅー、そんなに揺さぶんないでよぉ。あーまーね、仮にも社畜なら、心臓に毛くらいは……あーでも、脱出無理っぽいしこの心臓、もうすぐ止まっちゃいますよねー」
「えーい、うるさいっ! 一回起きて、会社辞めて来やがれ!」
『ティーカップ』&ソーサーのセットとかパスタ皿とか、わたしのウチにある食器の大半が二組ずつあるのは、先輩の言うように「元カレと同棲していた頃の名残り、だったりして?」とか、決してそういう理由ではない。
わたしが先輩のカノジョになってから初めてのビッグイベント、先輩をウチにお招きする&手料理でおもてなし──も、どうにか無事に終わりそう、とホッとひと息ついたところで。
わたしは、先輩のそんな、冗談まじりのセリフとイイ笑顔につられ、「ええ? そんなわけないじゃないですか〜」と、笑いながら答えたのだけど……。
「でもこの量、昨日今日買った物じゃないよね? つまり、僕を呼ぶって決まってから買ったわけじゃない」
「えっと。それは、そうですけど……」
「一人暮らしなのに、食器をペアで買う理由が他に、思いつかないんだよね」
……あれ?
ガチで疑ってる、の?
「そんなの、他にいくらでも理由ありますよ? お客さま用だとか、趣味だとか予備だとか、」
「っ、そうかもしれないけど、あー……つまり。なんかモヤッとしたから一応、確かめたくなったの!」
うっ……わあ。
モヤッとさせといてなんなんですが、その……顔背けて片手で顔覆う仕草が、ステキかわいすぎるんですけど?!
こんな先輩見たことない、いやちょっと、こんなの……どう対処したらいいの、隠れてない耳が赤くなってるのもヤバかわで……えっと?
つまり……これって。
嫉妬、ヤキモチ、だよね?
えええ……あの先輩が、わたしに?
キャーーーー!
でも、同棲なんてあり得ません! 先輩が初カレなんです! って、でもこのトシでそんなこと言ったら、ドン引きされちゃわないかな……や、先輩はそんなヒトじゃないもん、けどドキドキする、ううっ。
あーもうっ、どうしよう?
こーゆーときって、どうしたらいいのっ?!
おーい! あの頃の、食器買うのに一枚って店員さんの手前なんだかなーとかそんな理由で二枚買って、でも一生独身なのにね(笑)って自虐ってた頃の、わたしー!
オマエには想像もつかない、とんでもない未来が来るぞー!!
──どうもありがとう。これで、さみしくありません。
カタカタとキーボードを打つ手をふいに止め、画面のカーソルが点滅するのをぼんやりと眺める。私は趣味で小説を書いていて、まさにいまちょうど、登場人物が置かれたその状況を解決したところだった。
私は、これからもずっと、ひとりぼっちなのだろう。若い頃に、そう観念した時期があった。『寂しくて』、すごく寂しくて──その寂しさばかりに気を取られて、本当にやりたかったことを見失い、そして、世間的には失敗とも言える選択ばかりをしてきてしまった。
……まぁ、でも。
そういうたくさんの失敗、誤った選択の果てに私はここにいて、だからこそ、この小説の登場人物の寂しさを解決することが出来るのだ、なーんて……。
「……いや、実際は。解決なんて、出来ないよねー」
私は独り言ちる。だって寂しさは、表層にあるか、深層に沈ませているかのどちらかで、根本的にはずっとそこにあるもの──だからね?
人間はみんな、基本、寂しいんだ。
……って。
主語が少々、デカすぎるかな?