私はずっと不安だった。
君と知り合って、友達になって、恋人になって。
どれだけ仲良くなっても、君はまるで雲みたいで。
私はずっと君のことが分からなかった。
お互いへの愛情は間違いなくあるのに、君と紙一重繋がれない感覚がもどかしくて、私は余計に君に夢中になっていった。
そんな風に不安になりながらも、君にのめり込むような日々を過ごしていたあの日。
君は、車に轢かれそうになった私を助けて逝ってしまった。
最後に君が、愛してるって言いながら私の頬を撫でた時、初めて君と繋がれた気がした。
言葉にできないような悲しみと同時に、私は溶けるような幸福と安心を覚えたんだ。
君と私の関係の終わりは、悲しいハッピーエンドだったのだろう。
君と心が繋がった気がしたあの時の幸せを、最後に君も感じてくれていたならいいのに。
痛みだけじゃない何かが、最期に君の中にも生まれたことを信じたい。
まだ、君の手が頬を撫でる感触が忘れられない。
君のことも君への気持ちも、到底忘れられるものじゃない。
それでも、君が私を助けて、これからの人生をくれたから。
私は少しずつでも進んでいく。
雲のようなふわふわした君にいつか、私のハッピーエンドな人生の話を聞かせるために。
テーマ『ハッピーエンド』
見つめられている。
そう思った時にはもう、手遅れだった。
インターホンが鳴ったからと、何の気なしにドアスコープを除いたのが悪かった。
ドアスコープの外では、不気味なほど鮮やかな夕焼けを背景に、二人の男が静かに立っていた。
何だろうと思う間もなく、奴らは顔を上げ、虚な眼でこちらを見つめてきた。
捕まったら恐ろしい目に遭う、逃げなければ、という直感が身体を駆け巡った。
震える手で扉に鍵をかけ、部屋の奥へ逃げる。
すると、訳のわからない叫び声とともに、ガチャガチャとドアノブを回す音が聞こえてきた。
あまりの恐ろしさに警察を呼ぼうとスマートフォンを持った瞬間、画面に先程の男の内の一人が映り、こちらを見つめてきた。
たまらず叫び声を上げてスマートフォンを放り出す。
一体なんなんだ、何が起きてるんだ、誰か助けてくれ。
窓の外から俺を覗き込む男に気づくと同時に、ガチャリと玄関のドアが開く音がして、俺の意識は途絶えたーーー
ーーーある晴れた日の大学。
「ねえ、春原ゼミの広本先輩の話知ってる?」
「知ってる知ってる!薬物やって捕まったんでしょ?」
「そうそう!なんかね、捕まった時に幻覚見てたらしくて、お巡りさんの目の前で急に叫んで気絶したんだって」
「うわっ怖いね」
「ねー怖いよね。今は病院にいるけど、家族も認識できないくらい酷い状態なんだってさ」
「うわあ…ってか亜里沙、なんでそんな詳しいのよ」
「先輩の友達から聞いたんだよ。あっ、そろそろ授業始まるし、また後で話そ!」
「うん!」
ーーー私が詳しいのは当然だよ。
アレを売った相手が捕まったんだもの。
余計なことを話してないか調べておかないといけないからね。
さて、ずっと錯乱させておくのも無理だろうし、どうやって広本先輩に消えてもらおうかな。ああ、忙しい。
テーマ『見つめられると』
残飯のような腐った愛情のかけらでも、
あなたがくれるなら何より大切な宝物。
痛みと引き換えにあなたが私に触れるなら、いくらでも私は血だらけになれる。
あなたが私の心を引き裂く言葉をかける時、ただただ傷付く私は幸せ。
あの子のところへあなたが行っても、私はずっと、あなたの帰る場所のまま。
泣いた私をあなたが無視しても、私の嗚咽と視線があなたを捕えて離さない。
ひどいひどいと喚いてみても、あなたに喚けることが嬉しくてたまらない。
私はあなたが大好きで大嫌い。
そんな陳腐な言葉で私の心を語れるものか。
私があなたに言えることはひとつだけ。
「絶対に逃がさない」
テーマ「My Heart」
「雄太、リオの散歩行ってきて」
「えーまた俺?」
「お母さん腰痛めちゃったんだから仕方ないじゃない。」
「わかったよ。めんどくせえなあ」
母さんに言われ、仕方なくリオのところへ向かう。
「リオ、散歩行くぞ」
散歩という単語を聞いた瞬間、こちらを向いて耳をピンと立て、駆け寄ってくるリオ。
俺はリオの青い首輪にリードを繋げ、リオとともに近所の河川敷へと歩き出した。
突然だが、俺はリオが苦手だ。
リオは母さんが親戚の家から貰ってきた柴犬で、やたらと賢い。
散歩は飼い主の歩くペースに合わせるし、沢山芸もできるし、トイレもすぐに覚えたし、勘も鋭く、人間の言葉がわかってるんじゃないかって行動もする。
そして時々、その黒い大きな目で、静かにこちらを見ているのだ。
俺はその目が特に苦手で、俺という人間の底の浅さを見透かされているような気分になる。
「あーあ、さっさと帰りてえなあ。せめてなんか良いことあればいいのに」
リオと河川敷への道を歩きながら、独りごちる。
そんな俺をリオはチラリと見上げて、また軽やかに歩く。
しばらくして、リオが急に立ち止まった。
「どうした?リオ」
声をかけた瞬間、すごい勢いでリードを引っ張りだしたリオ。
「お、おい!リオ!なんだよ!」
リオは俺ごと引っ張るかのようにリードを引き、尋常でない雰囲気を放っている。
そういえば、動物って本能的に危機を感知するとかいう話がなかったか。
元々賢く勘の鋭いリオのことだし、俺が気付かない何かに気づいたのかもしれない。
丁度退屈だったし、ここはひとつ、リオについていってみようか。
そう決めた俺は、リオの勢いに任せて河川敷へ走り出した。
リオの勢いは、川のすぐ近くで止まった。
「はあ、はあ…リオ、ここに何があるっていうんだよ。いつもの河原じゃねえか」
そう、ここは夕陽が差しているいつもの、なんの変哲もない河原だった。
ただ走りたかっただけなのか、そう思った時。
「あれ?三峰君?」
綺麗なソプラノの声が耳に届いた。
振り返るとそこには、想い人の柚木さんがいた。
「え…柚木さん?どうしてここに?」
逸る胸を押さえて、柚木さんに問いかける。
「あ、私は、写真部の活動でちょっとね。ここの景色が綺麗だから撮りに来たところなの!三峰君は?」
首から下げたカメラを見せて、佐々木さんがニコッと笑った。
「お、俺はリオの、この柴犬の散歩に来たんだ」
ぱたぱたと尻尾を振り、柚木さんに向かってリオがくうんと鳴いた。
「わあ、可愛い!ね、触ってもいい?」
「も、もちろん!」
それから柚木さんと俺は色んな話をした。
写真のこと、趣味のこと、夢のこと。
リオの存在でリラックスしたのか、柚木さんは思ったよりずっと多くのことを話してくれた。当然俺も話したけど。
「さて、暗くなってきたし、そろそろ帰るね!」
「ああ、気をつけてね」
「そうだ、三峰君て毎日この時間ここに来るの?」
「あ、ああ、うん」
「じゃあまた私もここに来ていいかな?三峰君ともっと話したいし、リオくんにも会いたいし」
よし、明日から毎日夕方の散歩は俺が行こう。今決めた。
「うん、もちろんいいよ。じゃあ、また、明日」
「ありがとう!また明日ね!」
ひらひらと手を振って帰っていく柚木さんをぼうっと見送っていると、わん!と足元で声がした。
こちらを見上げるリオは、なんとなくドヤ顔をしているように見える。
「まさかお前、柚木さんが来るのに気づいたから走り出したのか?っていうか、なんで俺が柚木さんを好きなの知って…」
ふふん、と言わんばかりの得意げな顔を崩さないリオ。
やはり得体の知れない柴犬だ。
だが、でも、今日だけは。
こいつにおやつのビーフジャーキーを沢山やってもいいかもしれない、そう思った。
テーマ『好きじゃないのに』
「私、浩介と付き合うことになった」
いつもの快活な笑顔で、美雪は私にそう言った。
「そうなんだ!おめでとう」
痛む胸を抑えて、心から祝福しているように見せる。
「ありがとう!親友の秋菜には一番に言おうと思ってたんだ」
私を親友と言ってくれる美雪。
その瞳には一切の曇りはなく、張りのある声と笑顔はまるで青空のよう。
美雪はいつも明るくて、さっぱりしていて、漢気があって、かっこいいという言葉が似合う女性だ。
どこかふにゃふにゃしていて、芯のない弱い私とは大違い。
私達の幼馴染である浩介が好きになるのも当然だろう。
そこからずっと、美雪と浩介の話をした。
美雪は惚気るようなことはしなかったけど、言葉の端々に幸せと浩介への愛情が滲んでいて、話せば話すほど私は苦しくなっていった。
「ごめん、明日仕事早くて。そろそろお開きにしてもいいかな」
たまらずそう言うと、
「あ、ごめんね。秋菜と話すのは楽しいから、本当にあっという間に時間が過ぎちゃうね」
少し残念そうに美雪が呟く。
「そうだね。次会う時もまた女子会しようね!」
「当然!浩介には内緒ね!」
悪戯っ子のように笑う美雪は、まるで幼い少女のようだった。
その後店を出て、別れを告げる時、美雪に手を握られた。
ビクッとした私に気づかなかったのか、今日はありがとう!またね!と言って手を離し、私と反対方向へ歩いていった美雪。
少しだけ美雪を見送って、帰り道を歩き始めた私。
なんで、なんで、私じゃないの。
握られた手の温もりが、今は寂しくて哀しい。
美雪のお礼の一つ一つが、褒め言葉が、笑顔が、私の心を締め付ける。
あんなに愛情を注いだのに、全然気づいてもらえないまま、浩介が、美雪を選んでしまった。
なぜ、なぜ、なぜ。
連れて行かないでほしかった。
「大好きなのに…美雪…」
浩介を恨みたくても、あんなに幸せそうな美雪を見たら恨むことすらできない。
今までで一番の、快晴の空のような笑顔を見せる美雪。
話を聞きながら、心が土砂降りの雨に降られたようにずぶ濡れになり、震える私。
もう、今日みたいな思いはこりごりだ。
それでも、私はまた美雪に会うだろう。
美雪の笑顔を忘れられないから。
もしかしたら美雪が私に振り向いてくれたりしないかな、そんな微かな期待で自分を慰めつつ、私は家路を急いだ。
テーマ『ところにより雨』