水谷なっぱ

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5/26/2023, 11:37:35 AM

月に願いを

リオが夜空を見上げると満月が輝いていた。
「……」
彼は神を信じないし教会の連中だって嫌いだ。けれどなにかに祈りたい時だってある。
「どうか」
どうか。どうか世界を救えますように。声は出さずに彼は祈る。あともう少しで魔王まで手が届くのだ。人々を苦しめる魔王を倒して残党も全て追い払う。それが彼の旅の目的。
「リオ?」
「ごめんエミリー、起こしたかな」
「ううん。眠れなかったから」
旅の目的とは別にもう一つ、彼には願いがある。彼自身も自覚していないその願いは彼女の幸せ。
修道院で俯いていた彼女の手を取ったときから彼がずっと大事に抱え込んでいる思い。
「エミリー」
「うん」
「勝とう」
魔王に勝って、平和な未来を君と。リオは月に願う。

5/25/2023, 12:38:58 PM

いつまでも降り止まない、雨


外はざあざあと雨が降っていた。アンは部屋の中から降りしきる雨と、その向こうを眺めている。
しかし雨は強く遠くは見通せない。
「……」
アンの唇は強く噛まれている。彼女の手元には何枚もの紙が握りしめられていた。くしゃくしゃの紙にはたくさんの数字が書き連ねられていて、近くの机にはペンとインクが放り出されている。
部屋の中は整然と片付けられていてアンの几帳面な性格が伺える。それだけに握りしめられた紙と散らかった机が目立った。
少ししてアンの視線の先に動きがある。雨の中を傘を刺した男女が歩いていく。
アンは唇を噛むのを止めてカーテンを閉めた。


それは数刻前のことだった。街の外れにある食堂の店主のアリスと経営担当のフィンが、アンの実家である牧場へやってきた。
いつもどおりアンはアリスと納品する食材の相談をして、その後フィンと価格や頻度について決めた。それはいい。いつもどおりだし、アリスがおみやげにとアンに持ってきてくれた焼き菓子はいつもどおりに美味しかった。
問題はその後だ。アンがアリスに加工肉の試作を出していたら、フィンと雑談をしていたアンの母親が言ったのだ。
「フィンはしっかりしているわね。アンももう少ししっかりしてくれたらいいのだけど」
「そう? アンは十分頑張っているし、俺だってアンやアリスの前でいいカッコしてるだけだよ」
そのやり取りを聞いて、アンは噴火しかけた。怒鳴り散らさずに済んだのはアリスが素早く気付いて部屋に返してくれたからだ。
どうして母はいつまでもアンを子供扱いするのだろう。フィンと比べてそんなにも自分は幼いだろうか。彼女は別にフィンのこと自体はどうとも思っていない。
だというのに、母は(父も)やたらとフィンと比較するようなことを言う。
それに対するフィンのあっさりした返しも腹立たしい。まったく相手にされていないのがわかる。
そんな風にいちいち怒り狂うから幼いと言われてしまうのだと察しているからこそ、母からの比較もフィンの返事もなにもかもに腹が立ち、腹が立つ自分にもがっかりする。
カーテンを閉めても雨の音は部屋に満ちている。アンは紙を投げ捨てて、ベッドに倒れ込んだ。

5/24/2023, 11:46:12 AM

あの頃の不安だった私へ

エミリーが荷物を片付けていると、古い日記が出てきた。それは彼女が修道院にいた頃のものだ。
「……」
エミリーは丸いメガネの奥の目を細くしてページをめくる。
そこに書かれているのはかつての彼女の不安や苦しみ、そして絶望だった。
元々エミリーも彼女の両親も敬虔な神徒だったわけではない。しかしエミリーには教会が崇める光の精霊の声を聞くことができた。だから売られた。
幼いエミリーはただひたすらに似たような境遇の子どもたちと共に光の精霊の声を聞き、それをシスターに伝える。
そんな毎日を続けたある日、彼女をそこから連れだす勇者が現れた。エミリーは彼の手を取り修道院を飛び出した。
冒険を経て、今彼女は彼と住まう家の片付けをしている。
「もう、大丈夫ですよ」
エミリーはあの頃の自分に呟く。
「いろいろありましたけど、まあ、どうとでもなるものです」
あの頃は辛かったけど。冒険だって一筋縄では全然いかなくて、大変で、でも楽しかった。エミリーはぱたんと日記を閉じてそっと撫でる。その手は当時の彼女が欲したように優しい。
「エミリー、そっち片付いたか?」
「もうちょっとです!」
かけられた声にエミリーは立ち上がる。不安はもうない。

5/23/2023, 11:48:55 AM

「本当にお前はかわいくない」
「女らしくないねえ」
「もうちょっと娘らしくしなさいよ」

シャーロットが目を開けると、そこはいつもの部屋だった。ここ数カ月、住み込みで働いている食堂の二階にある部屋である。
「久しぶりに見たな」
それはシャーロットの故郷の夢だった。女性にしては背が高く体格も良いシャーロットはいつもそんな風に父と母から溜息を吐かれていた。
そこから連れだしてくれたのは旅の仲間で、今は別々に過ごしているけれどシャーロットにとっては大事な大事な恩人だ。
そして同じように大事な人たちがいた。食堂の店主であるアリス・ケリーと同じく住み込みで働くカイ、そして店の経理を担うフィン。
三人も旅の仲間と同じようにシャルロットを大事にしてくれる。女なのにとか、かわいくないとか、そんなことは絶対に言わない。
「シャーロットは働き者ね」
「もう終わった? 仕事が早いなあ」
「僕も一緒に鍛えさせてよ」
そんな風にシャーロットは受け入れられていて、ややもすればドライにもみえるけど、湿っぽい田舎に辟易していた彼女にはそれが心地よかった。
そんな中で見た夢は不愉快でしかなかったが、シャーロットは首を振って忘れることにする。
呪縛はそう簡単には解けない。けれど折り合いをつけていくことはできる。
それを彼女は身を持って知っているから、大丈夫。

5/22/2023, 12:05:29 PM

フィン・アダムスの僕の最愛の女性はある日忽然と消えてしまった。
女性の両親は二人が営む食堂で殺害されていたが、一人娘である彼女だけは遺体が見つからなかったのである。
それから彼は毎日毎日荒らされた食堂を片付けた。涙にくれる目と、行き場のない怒りや悲しみを噛み締めながら、毎日毎日。
半年ほど続けたところで、彼の前に一人の少女が現れた。少女は女性とその両親であるケリー一家の親戚なのだと言い、アリス・ケリーと名乗った。
フィンは、それはたぶん嘘なのだろうと思う。だって少女はあまりに女性に似すぎていた。なのに目が違った。話し方も振る舞いもなにもかも違った。
だからだろうか。女性とまったく同じ顔と体なのに、少女を見ていてもフィンはあまり辛くなかった。けど、名前だけは呼べなかった。
少女は食堂の復興を望んだ。フィンは一も二もなくそれに乗った。
少女と少女が拾った(文字通り少女は孤児を拾った)子供と三人でフィンは食堂の復興に邁進した。それが最愛の彼女の望みのように思えたからだ。
三人の努力の甲斐があり、食堂はそれなりに繁盛する。
けれどフィンは未だにアリスを名前で呼べずにいた。
だって、読んだら彼女は本当にアリスになってしまう。
しかしそれをフィンは意識していなかった。
新たな出会いはあれど、 彼はまだ彼女だけを愛していたし、彼女のいない明日を生きることが出来ずにいる。

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