混み合う駅のホーム。前を歩く女子高生のスカートから何かが落ちた。
小さくて光る何かだ。ぼくは何の気なしに拾ってしまう。一瞬「小銭かも」と思ったけれど、それにしては小さ過ぎる。実際、小指の先ほどの大きさしかなかった。角の丸いトゲトゲが沢山生えている奇妙な何か。金平糖みたいだ、と思った。自ら発光する金平糖。我ながら食欲の失せる表現だが、しかしこれほど的確な言葉も見つからない。
女子高生のスカートから何故、光る金平糖が落ちたのか。
その謎を解き明かす術を、ぼくは持っていない。彼女を呼び止め「落ちましたよ」と返す勇気もなかった。如何してか『女子高生のスカートから落ちてきたものを拾った』事実に羞恥と罪悪感を抱いている。変態だ何だと罵られるかもしれない——そんな被害妄想が脳内をぐるぐる廻る。
女子高生は毎日、光る金平糖を落とした。ひらひらと揺れる裾から(正確には美しい脚が生えている暗闇から)ぽろぽろと溢す。ぽろぽろ。
ぼくは毎日、それを拾った。誤解なきよう注釈を付け加えると、ぼくは彼女のストーカーではない。同じ電車に乗り合わせて同じ駅で下車するから、そういう感じになっているだけだ。金平糖の色は微妙に異なる。白、ピンク、青、黄色、黄緑色、紫——他にもあるけれど、どれも淡い色合いだ。
ある日、興味本位で口に入れてみた。
すぐに吐き出した。
見た目は金平糖だけれど、食べられるものじゃない。まるで小石を下の上で転がしたような不快感。ぼくは顔を顰める。これは金平糖ではない。石。輝くトゲトゲの小石。
「星だ」
思わず溢れた呟きが、胸にすとんと落ちる。
女子高生のスカートから毎日、星が溢れている。ぽろぽろ。ぽろぽろ。
ぼくは毎日、それを拾い上げる。
拾った星は小洒落た瓶に入れて保管している。100円ショップで購入したものだ。この瓶いっぱいに星が溜まったらいよいよ、彼女に声をかけようと思う。
「あの頃の私たちって、ほんと馬鹿だったよなぁ」
そう言い、赤ら顔の男が頬杖をつく。悔いるような科白だが、口許は完全に緩み切っている。声音にも反省の色はない。ただ酔いに任せて過去を振り返り、何の意味もなく呟いただけだろう。頬杖をついたままジョッキを呷る。が、彼の喉を潤すものはない。
あれ? と心底不思議そうな顔をして、片目を瞑って中を覗き込む姿に溜息を零し、テーブルの片隅に放り出していた端末で『ビール(大)』を追加注文してやる。
男は、私の友人である。
彼は私を「幼馴染」或いは「親友」と呼ぶが、私に言わせてもらえれば只の「腐れ縁」だ。
実家が近くて幼稚園から高校まで同じで、しかもクラスも一緒。同じ大学へ進学し、同じ教授のもとで学び、同じ会社へ就職した。流石に今は課も役職も違うけれど、高校時代は割と本気で「こいつ、おれのストーカーか?」と疑ったものだ。しかし結局、誰にも相談せず勝手に決めて勝手に受験して勝手に合格した大学にこいつがいたのだから、疑惑は自然と霧散するしかなかった。疑い続けるのが怖かった、と言ってもよい。
腐った縁だが、存外、私は厭ではない。不意打ちでも何でも遭遇するたび(もっと具体的に言えば顔を合わせるたび)「またお前か」と呆れ果てるのだが、そこに悪感情を抱いたことはない。
オフの日曜日。日本酒と魚料理がウリの個室居酒屋の前でばったり出会ってしまった時も、「またお前か」と呟きこそすれ、じゃあ店を変えようとは微塵も考えなかった。たぶん、向こうもそうだろう。私の顔を見、「休みにきみの顔を見るなんて〜!」と嘆きながら、しっかりと私の肩に腕を回して暖簾を潜ったのだから。
人生だけでなく趣味嗜好も共通する私たち。片方が異性なら『運命』を叫び、胸をときめかせられるのに。相手が四十近いオッサンでは、ときめきたくてもときめけない。喩え衰えを感じさせない、歳不相応で端整な顔立ちをしていても、だ。
それもまたこれまで同様、相手にも言えることだけれど。
「……馬鹿なのは、きみだけだったのでは?」
ウーロンハイをちびちびしながら、そう返す。男は「いやいやいやいやいや」と言いながら、大きく手を振って否定する。
「『生き別れの二卵性双生児』と名高い私たちだよ!? 私が馬鹿なら、きみも馬鹿。つまり馬鹿は私たち、いえ〜い!」
「うん。きみは呑み過ぎだ。水を飲め」
「おっけ〜、じゃあ上善をいっぱい」
「いやそれ日本酒」
端末に伸びる手を、ぱちりと叩く。『ビール(大)』の追加注文は失敗だったな。けれど、頼んでしまったものは仕方がない。過去は変えられないので。わざわざ取り消すのも面倒だった。彼と付き合うと必ず、一日五回は「面倒」という気持ちを抱く。
過ぎ去った日々を思い出す。
私たちが馬鹿だった記憶はない。けれど、馬鹿をやった記憶は沢山ある。「青春」の二文字で片付ければそれまでだが、私に言わせれば「愚か」だ。青春と呼ぶには恥ずかし過ぎる。詳細を語れば恥ずか死ねる。
今日この瞬間。「面倒」と思いつつ最後まで付き合った挙句、最低最悪の尻拭いをさせられることになっても、過ぎ去って訪れた未来の私は「愚か」と思いつつ抱き締めるのだろう。
喪えば最後、二度と戻らない。誰の目にも触れさせたくない。傷つけられたくない。命と同等、大切な宝物のように。
我慢の多い人生です。
と言うと、複雑な家庭環境に産まれ、望まれぬ子供ゆえに親から愛されなかったように思われてしまうかもしれませんが、そんなことはありません。
ぼくは望まれて産まれました。望まれ過ぎたぐらいです。ぼくは両親に愛されています。家庭環境は複雑ではありません。広い庭付きの大きな屋敷で、両親に大切にされながら、たっぷりの愛情を注がれて育ちました。ひとりっ子なので愛犬のアレクサンドルが兄弟です。アレクサンドルは賢い犬です。実は二代目だったりします。初代は十年前に亡くなりました。老衰でした。
お察しの方もいると思いますが、ぼくのお家は金持ちです。執事やメイドはいませんが、お手伝いさんがいます。コックがいます。欲しいものは何でも与えられました。二代目アレクサンドルもそう。「欲しい」と言った翌日には、ぼくの部屋にいました。
お小遣いは与えられていません。何でも買ってもらえるので。けれど、お小遣いが欲しいと言えば貰えます。最近は電子決済が進んで、とても有り難いです。財布で持てる現金には限りがありますし、どんなに大きな財布でも、お小遣いを全額入れることは出来ませんから。
スマホ一台で事足りるホニャララペイ、万歳。
異性や同性に困ったこともありません。ぼくは常に、大勢の人に囲まれています。イジメは、ぼくにとって最も縁遠いものです。貧乏と同じぐらい遠いです。数え切れないほどの友人を持っています。すごく歳下から、物凄く歳上まで。交際した人の数は星の数ほどいます。初めてセックスをした年齢は伏せますが、ぼくはかなり早熟な子供だったとだけ言っておきましょう。
星の数ほどの人間と関係を持ったのに、まだまだ沢山の人間がぼくと「付き合いたい」と言ってきます。
「満たされ過ぎて何も感じないんじゃねーの?」
いつだったか、そんなことを言われました。
その人は口の悪い女性で、けれど気が合う友人です。変な気遣いをしなくてよい人。一緒にいて楽な人。愉しいことが三倍愉しくなる人です。満たされ過ぎて何も感じないのではないか——それは初めて投げ掛けられた疑問であり、考えないようにしていた事柄でした。
「そんなことはないよ。寧ろ、ぼくは感じやすいタイプだ」
「確かに早漏だけど」
「そういう意味じゃなくて」
だいたい、きみとぼくは“そういう関係”なったことないじゃないか。
「冗談だよ」と彼女は笑い、続けて「マジな話、欲とかあるの?」
「あるよ。ある。凄くある」
「ほんとに〜?」
「ほんとに〜」
「つっても、全部叶っちゃうんだろ? あれ喰いたい。これ欲しい。あそこに行きたい。仕事したくない。ずっと寝てたい。あの子と付き合いたい。セックスしたい。全部全部ぜーんぶ叶っちゃう。違うか?」
「……まあ、否定はしないよ」
「だろ? そんなさぁ、抱いた欲も秒で消化されるんじゃあ、何も感じてないのと然程変わんねーと思うね。私は」
そうかもしれない。
けれど、ぼくは「そうでもない」と否定する。
だって、こんなにも感じているから。
きみにそんな風に思われて哀しくて、淋しくて、傷ついている。同時に、とても欲しいと思っている。彼女が欲しい。凄く凄く欲しい。砂漠で求める水のように。心から、身体の奥底から欲している。欲しいのに、けれど絶対、手に入らない。
望まれ過ぎて産まれ、両親からの愛を注がれ続けるぼくは、真に手に入れたいものを得られない。満足できない。解消されない欲望が積もりに積もって凝縮されていく。渇望している。昔も今も。今現在も。
彼女の白い首筋に目を遣る。溢れそうになる涎をアレクサンドルみたいに垂らさないよう、静かに嚥下する。腹の底で沸々と滾る熱を少しでも鎮めるために。
更に深い場所へ沈めるように。
彼氏に振られ就職に失敗した魔女は「現実が私に優しくない」と言って猫となった。猫になれば、みんなから可愛がってもらえる。その上、両親共に猫嫌いの猫アレルギーなので必然、家を出ることが出来るのだ。
斯くして、猫になった魔女は屋敷を追い出され、独り立ちした。が、猫生は彼女の想像を裏切る過酷さだった。
結局、魔女は屋敷へ帰った。玄関で人間の姿に戻った彼女はほっとひと息吐き、ぽつりと呟く。
「おうちが一番」
彼女が記憶喪失になったので自己紹介をする。
「初めまして」から始まる会話は、今日で何度目だろう。判らない。数えることは随分前に止めてしまった。けれど、4桁はいかないはずだ。でも、4桁に近い数字であることを否定は出来ない。それぐらい沢山、繰り返してきた。
「初めまして、私の名前は——」
0から築き直す関係は、一度も険悪にならない。
彼女からすれば0より前が無いので悪くなりようもないけれど、だからこれは私の問題なのだけれど、不思議と嫌ではないのだ。苦にもならない。何故かは不明だ。彼女が大好きで愛し過ぎているからかもしれない。0より前を思い出して悲しさや淋しさを煮詰めるより、0から始めて新発見した点に喜びを感じているからかもしれない。実際、彼女は全く飽きない人だ。
0より前が無く、0より先へ行けない人。
過去がなく、未来もない彼女。
飽き性な私が、全く飽きられない存在。
明日もまた「初めまして」な彼女がやってくる。
だから、今ここにいる0のきみを強く抱き締めておく。