四椛 睡

Open App

「あの頃の私たちって、ほんと馬鹿だったよなぁ」

 そう言い、赤ら顔の男が頬杖をつく。悔いるような科白だが、口許は完全に緩み切っている。声音にも反省の色はない。ただ酔いに任せて過去を振り返り、何の意味もなく呟いただけだろう。頬杖をついたままジョッキを呷る。が、彼の喉を潤すものはない。
 あれ? と心底不思議そうな顔をして、片目を瞑って中を覗き込む姿に溜息を零し、テーブルの片隅に放り出していた端末で『ビール(大)』を追加注文してやる。

 男は、私の友人である。
 彼は私を「幼馴染」或いは「親友」と呼ぶが、私に言わせてもらえれば只の「腐れ縁」だ。
 実家が近くて幼稚園から高校まで同じで、しかもクラスも一緒。同じ大学へ進学し、同じ教授のもとで学び、同じ会社へ就職した。流石に今は課も役職も違うけれど、高校時代は割と本気で「こいつ、おれのストーカーか?」と疑ったものだ。しかし結局、誰にも相談せず勝手に決めて勝手に受験して勝手に合格した大学にこいつがいたのだから、疑惑は自然と霧散するしかなかった。疑い続けるのが怖かった、と言ってもよい。
 腐った縁だが、存外、私は厭ではない。不意打ちでも何でも遭遇するたび(もっと具体的に言えば顔を合わせるたび)「またお前か」と呆れ果てるのだが、そこに悪感情を抱いたことはない。
 オフの日曜日。日本酒と魚料理がウリの個室居酒屋の前でばったり出会ってしまった時も、「またお前か」と呟きこそすれ、じゃあ店を変えようとは微塵も考えなかった。たぶん、向こうもそうだろう。私の顔を見、「休みにきみの顔を見るなんて〜!」と嘆きながら、しっかりと私の肩に腕を回して暖簾を潜ったのだから。
 人生だけでなく趣味嗜好も共通する私たち。片方が異性なら『運命』を叫び、胸をときめかせられるのに。相手が四十近いオッサンでは、ときめきたくてもときめけない。喩え衰えを感じさせない、歳不相応で端整な顔立ちをしていても、だ。
 それもまたこれまで同様、相手にも言えることだけれど。

「……馬鹿なのは、きみだけだったのでは?」
 ウーロンハイをちびちびしながら、そう返す。男は「いやいやいやいやいや」と言いながら、大きく手を振って否定する。
「『生き別れの二卵性双生児』と名高い私たちだよ!? 私が馬鹿なら、きみも馬鹿。つまり馬鹿は私たち、いえ〜い!」
「うん。きみは呑み過ぎだ。水を飲め」
「おっけ〜、じゃあ上善をいっぱい」
「いやそれ日本酒」
 端末に伸びる手を、ぱちりと叩く。『ビール(大)』の追加注文は失敗だったな。けれど、頼んでしまったものは仕方がない。過去は変えられないので。わざわざ取り消すのも面倒だった。彼と付き合うと必ず、一日五回は「面倒」という気持ちを抱く。

 過ぎ去った日々を思い出す。
 私たちが馬鹿だった記憶はない。けれど、馬鹿をやった記憶は沢山ある。「青春」の二文字で片付ければそれまでだが、私に言わせれば「愚か」だ。青春と呼ぶには恥ずかし過ぎる。詳細を語れば恥ずか死ねる。
 今日この瞬間。「面倒」と思いつつ最後まで付き合った挙句、最低最悪の尻拭いをさせられることになっても、過ぎ去って訪れた未来の私は「愚か」と思いつつ抱き締めるのだろう。
 喪えば最後、二度と戻らない。誰の目にも触れさせたくない。傷つけられたくない。命と同等、大切な宝物のように。

3/10/2024, 6:21:14 AM