社会不信。
それは、最初から私の中にあったものだ。
子どもだった頃の私は、不条理や理不尽の意味をまだ知らなかった。
大人たちは矛盾した論理で動き、
子どもの純粋な問いかけは、いつも巧妙にずらされていく。
“正気でいようとすること”が、むしろ異常と見なされる空気の中で、私はひとり彷徨った。
泣かず、怒らず、ただ歩き続ける。
「自分は迷宮の中にいる」と静かに感じていた。
理解されない痛み。
秩序の裏に潜む狂気。
それでも、不可解の只中でなお立ち止まらずにいる、小さな意志。
少しずつ、この構造の裏側が透けて見えるようになった今も、世界は依然として「不可解の塊」にしか見えない。
それでも観察をやめず、
迷いながらパターンを指でなぞり、手触りを覚え、
自分なりの地図を描き続ける。
迷っているということは、新しい模様を編み出しているということ。
題 心の迷路
カップの縁に映る彼女の指先が、湯気を揺らす。
それが僕の鼓動に触れて、少し息を止めた。
いま、紅茶が冷めていく。
僕らの沈黙が、温度を奪っていくのかもしれない。
注がれた紅茶は、それを受けとめるカップの上で、静かな震えを広げる。
溢れそうな琥珀の縁を、僕はただ見つめる。
香りの奥で、言葉にしなかった想いが湯気になる。
彼女の心は薄く透ける磁器のようで、少しの熱でも揺らいでしまうから、
僕はその底で、ただ受けとめる皿のように在るんだ。
こぼれる雫も、沈黙も、どれも彼女のかけらだから。
題 ティーカップ
ウサギは、孤立すると動かなくなり、食べ物に手を付けなくなる。毛をむしり、最悪の場合はストレスで死んでしまう。
カナリアは、仲間と離されると鳴き声が増え、羽毛をむしり自傷行動を起こす。
グッピーやベタは、群れから孤立させると泳ぐ速度が落ち、隠れる時間が増える。
アリは、コロニーから離れると探索行動が増え、死亡率が上がる。
それを感じられるのは人間の特権ではない。
実際には、世界のあらゆるものが微かに震えながら、互いを探しているんだ。
それは、つながりたいというエネルギーの裏側に生まれる。
光があれば影ができるように、生きているという現象そのものに付随していて、死ぬ迄つきまとい、満たしても消えない。
人は寂しくて優しさが芽生える。
題 寂しくて
逆らっているわけじゃない。
ただ、自分の輪郭を確かめているんだ。
どこまで自由に動けるのか。
どこまで受けとめてくれるのか。
反抗期というよりも、
いやいや期のような――そんな気持ち。
それは、遮断ではなく、
自分と世界のあいだに線を引いてみて、触れて、確かめて、また描き直すこと。
それが、大人になりきらない心の描く境界線。
題 心の境界線
それは、目で見るよりも気配で感じるものだった。
木漏れ陽の中に溶けかけ、ほとんど色を持たず、
指先で触れれば、雪のように溶けてしまいそうなほど、
儚く透き通っている。
角度を変えるたび、淡い葉脈のような繊維がかすかに浮かび上がり、光を受けて揺れることで、初めてそれが羽根なのだとわかった。
風すら音を失う森の中で、木々の間から落ちてきたそれは、樹木の香りと光のあわいに溶け込んで、
静けさそのものを纏っていた。
題 透明な羽根