「どこか、痛みますか?」
俺を見た彼女はキュッと猫のように瞳孔を細くして、パタパタと駆け寄ってきた。
「なんで?」
「涙が、」
「……泣いてるのか、俺」
「そうみたい、です」
——たまにあるんだ。気にしないで。
そう何でもないことのように言って涙を拭う。でも、あれ、おかしいな。……止まらないな。
「困ったな」
はは、どうしよ。
何がおかしいのかなんて分からないのに、自然に笑い声が喉の奥から漏れ出した。感情が闇鍋みたいになってる。どうしようもないな、ホント。
目元を拭いながら、止まらない涙に笑っていると、腰のあたりに彼女が抱きついてきた。
お腹すいた? と聞くと、首を横に振った。疲れた? と聞くと、「んん」と否定らしい声を漏らした。
「泣かないで」
彼女は今にも泣きそうな声で、そう言った。
「泣いてもいいけど、泣かないで」
「ひとりで、泣かないで」
ぐず、と鼻を啜って、抱きつく力を強くして、弱々しい声でそう言った。
「……ごめんね」
頭を優しく撫でると、「ん」と頷いた。
「あと、ありがとう」
撫でる手を何度か往復させているうちに、自分の涙が止まっていることに気が付いた。
気が付いて、そして、今度は俺が彼女に先程の言葉をかける番になったことにも気が付いて、思わず声を出して笑ってしまった。
ぐらぐらとして、ふわふわとして。
それでも寝込むほどではなくて、足取りもわりとしっかりしていて、微熱みたいな。
目の前のそれ/もの/彼/彼女に手を伸ばしたら、触れた瞬間にぱしゃんと弾けて消えた。これは私の夢。
白昼夢よりは朧気で、記憶よりは明確な、ある意味一種の走馬灯。
まるで、誰よりも、何よりも、長い時間を過ごしてきた私に、「どうか忘れてくれるな」と縋っているような。
私の夢とは、そういうものなのだ。私がそれらを忘れないように、それらが私に忘れられてしまわないように。微熱として、私の身体を巡るのだ。
昨日はかくれんぼをした。
その前はおままごと。
お世辞にも普通とは言い難い外見の私に、臆することなく話しかけてくれる双子ちゃんが可愛くて、愛おしくてたまらない。
たまに3人でイタズラをしたりして怒られることもあるけれど、毎日がとっても楽しい。
この日々がずっと続けばいいと、何度思ったことか。
それでもやっぱり、日々彼女たちは成長している。いつかは私と遊んだ日のことも忘れてしまうんだろう。
悲しいけれど、応援してあげなくちゃ。
ああ、願わくばいつまでも、こどものままでいて。
彼はいない。
それはつまり、俺もいないことを指す。
あいつらと食べたたい焼きの熱さも、袋いっぱいに詰め込まれたサラダ油の重さも、自転車で坂道を下る爽快感も、何一つ無いことになる。
「それは嫌だなあ」
「なに、いまさら」
彼はそう言って目の奥の深い深いところで俺を見つめた。
「さいしょから、そういう話でしょ」
駄々をこねる子供を宥めるような目を向けられて、少し嬉しかった。
「でも、ね」
きみが、まだっていうなら、止めないよ。
そう言って空を見上げた彼は、何を思っているんだろう。あの人のことでも思い浮かべているのだろうか。
俺はバカだから、よく分からない。
だけど、あいつらとはもっと一緒にいたいなあ。
そう呟くと、彼は俺を見て笑った。
「——いいよ」
その目の奥のほうに、僅かな揺らぎがあったのは、バカな俺の気のせいだったろうか。
「夢を、覚えているんだ」
昨日の夢も、一昨日の夢も、ずっと前の夢も。普通の人なら目が覚めてしばらくすると記憶から消されてしまう夢の話を、俺はずっと覚えている。
そのせいで、今俺がいるこの世界が夢なのか、現実なのかすら分からない。
「店長さん、おかわりください」
「……うん」
彼女がいるということは、夢の中なんだろう。
可愛らしい猫の模様がついたマグカップを受け取り、温かいココアを注いでいく。最後に角砂糖をふたつ入れて、彼女に渡した。サービスと言って小さなカップケーキを差し出せば、彼女はまるでネコのように目を細めて小さく喜んだ。
思えば、最近はずっとここにいるような気がする。これじゃ夢の中が現実だと言っても過言じゃないや。
この場所が嫌いというわけじゃない。
それでも、友達とくだらない日々を送ることができているあいつのように、俺も過ごしてみたかった。
普通の人間で、ありたかった。
——今更、ないものねだりだけれど。