◎声が聞こえる
目を閉じる。
少し遠くで車が走る音や烏の鳴き声が聞こえてくる。
決して賑やかではないお気に入りの場所で静けさを楽しもうと、私は耳をすませていた。
「姉ちゃん」
妹の声が聞こえた。
もう出発の時間になったのか。
いつもより奥まった場所に居るから探しているのかもしれないと思って、少しだけ声を張り上げた。
「はい、はぁい」
日常から切り離された静けさが少し名残惜しいが、また半年後に来るので躊躇うことなくその場を離れた。
「あれ?姉ちゃん、もう戻って来たんだ」
妹は車内で音楽を楽しんでいるところのようだった。
「“もう”って。さっき呼びに来たでしょ」
妹は不思議そうな顔をした。
「私、しばらく此処から動いてないよ」
「え……」
曼珠沙華と柴(しば)の葉が
ゆらりと揺れていた。
◎胸の鼓動
あのヒトの駆動音は重厚で、
集中して聞けば奥の奥のところで
少し軋むような、液体を運ぶような、
高くて低い音がする。
「奥から、心臓の音がする」
そう言うと、
あのヒトは表情を変えることなく
「私には心臓はありません。人間のそれと同等の働きをするポンプと歯車が音を立てているだけです」
と、生真面目に答えるのだ。
「そうかも知れないけれど、それらはアナタの中で心臓のように動くのでしょう?」
「私の部品は代替可能です。しかし、人間の心臓は“簡単には交換出来ないもの”であると記録しています」
そう言って自身の手を見つめて押し黙る。
機械なのに、昔を、
何処かの誰かの心臓を止めた記憶を思い出して、少しだけ表情を変えるあのヒトはまるで人間のよう。
「ならアナタがボクの心臓だね」
「人間の心臓は臓器です。もし機械で代替するとして、私は心臓になり得ません」
頑固な頭だ。
そういう所も良いんだけど。
「いつかアナタにも解るときが来るよ」
「……そうでしょうか」
「そうだよ」
その時には私がアナタの心臓になれたら…
それはとても幸せなこと。
◎不完全な僕
新月の夜。
青年の体はカタチを失いそうになっていた。
体が安定しない。
細部は特に、意識しないと不定形に戻ってしまいそうだ。
その腹部に深々と刺さるナイフが青年の意識を削り取っていく。
人として生きたかった。
そう願ったら、気まぐれな神がカタチを与えてくれた。
楽しかった。
皆とつるんで、助けあって、笑いあって、泣いて……
この子を庇って死ぬことに後悔なんて無い。
こんな僕を受け入れてくれた人に恩返しを出来て嬉しいくらいだ。
だけれど、
この体のうちは”人”でいたいから、
不格好でも不完全でも、体を必死に保つ。
人として認めてくれて、
一緒に生きてくれてありがとう。
つぅと青い液体が口から垂れる。
それは地面を染め、青年の正面に立つ連続殺人犯の足元に拡がった。
「青、青か……ははっ」
背後に庇った少女から見えない角度で、
口元を人外らしく歪めて青年は笑った。
「どうやっても、いつかは別れが来たんだろうなぁ」
頬を伝った液体だけが彼が人間であったことの僅かな名残を表していた。
◎雨に佇む
ぽとり
木々の間を縫って落ちてきた雫が
頬を掠めて地面にしみを作った。
ついと手を伸ばして雨滝の中に差し出すと
水が肌に弾かれて小さな珠になった。
湿り気のある山の呼吸が
大きな雲を呼び寄せて
自身を白い綿で隠してしまった。
深く息をする。
目を開けば墨で描いたような宵闇が
木々を塗り替えていく。
青い影の中から動けなくなった人影は
再び空を見上げた。
ぽとり
今度は雫が頬を伝った。
◎私の日記帳
ノートをめくる。
去年の夏からつけている日記は、日記帳を買ってもらった。という文から始まっていた。
書くことが無くてイラストだけがスペースを埋め尽くしている日もあった。
しかし、それは徐々に白紙になっていく。
そして数カ月前でその記録は終わっていた。
そろそろまた書いてみるかな……
そんなふうに思ってシャーペンを握る。
スクショや写真に残した思い出は沢山ある。
あとは全てを文章にするだけだ。
「スマホの容量の為にもどんどん書かなきゃだね」
スマホの空き容量の残量を眺めながら、私は溜め息をついた。