◎遠くの声
#67
民衆が喝采する。
旅人がその熱気に呑まれる。
勇者は音と熱の渦中に静かに佇んでいる。
全てが瞬きの間に移り変わるだろう。
喝采は怒声にすり変わる。
善政は圧政になり、熱気は冷める。
勇者を振り向く者はいない。
行く末はわかっている。
平和は続かず、再び魔は蘇る。
次も、次も、その次も──────
勇者は立ち上がり、消費され、
忘れ去られる。
いつしか民も王も無くなる。
残るのはそこにあった記憶だけ。
廻って廻って 夢の跡。
勇者と呼ばれた者は、皆、悟るのだ。
全ては無に還るのだと。
故に喜びの宴も儚く、
人々の声も遠くに感じて、
ただ無情に眺め、次第にまぶたを閉じる。
勇者の継承者を憐れみながら
その意識は微睡みに沈んでいく。
◎ひとひら
#66
一枚のビラを握りしめて、
廃墟も同然の劇場を見上げる。
”今宵、貴方を歪に捻れた美しき世界へと
ご招待いたしましょう”
そんな怪しい文言が真っ赤な字で
書かれた真っ黒な紙を拾ったのは明朝。
奇妙なほどに人気のない道だった。
興味が湧いて、指定された手順に沿って
来たのだが、道中では猫にすら出会わな
かった。
「誰もいないのか?」
錠が壊れた扉を押し退けて薄暗いホールを覗き込む。
久しく誰も出入りしていないのか、動いた空気に埃が舞い上がる。
埃っぽい空気が満ちた空間に思わず顔を
しかめると、笑い声が耳をくすぐって横を通り抜けていった。
「──なんだ、今の」
かぶりを振ってなんとか中に一歩
踏み出した。
奥へ奥へと進むうちに不気味さはどんどん増していく。
ぞわぞわと背中が粟立つ感覚に、
されど高揚しながら観客席の中央までやってきた。
座席の埃を払って腰掛けると、舞台袖から男がひとり現れた。
「ん〜〜ん、ん、ん。ようこそいらっしゃいました、お客様ァ」
男の目線があちらこちらに向かって、
最後に此方へと定まった。
男はニタリと笑って会釈し、どこか蛇に
似た薄気味悪い雰囲気を纏って歩み寄り、こちらの手をとった。
近くに寄られてわかったが、この男、
かなりの長身である。
「こんなに幼い子が来るとはねェ。拙は予想だにしていなかった」
品定めをするように見つめられて、
居心地が悪い。
睨め付けてやると男はわざとらしく
大袈裟に飛び退いた。
「や、やや、すみませんン。久々のお客様があまりに可愛らしくて、つい」
「俺、男なんだけど」
「"可愛い"に性別が関係あるのです?」
どこか俗世離れしたような言動で、
男は燕尾服の内側に手を差し込んだ。
「このナイフをお持ちになって。失くしてはいけませんよ、これはァ通行手形なのです」
クスクスと笑うその声は先ほど聞いた
笑い声と同じもの。
生きとし生けるものを嘲笑う声だ。
徐々に血の気が失せていく。
恐ろしくて仕方がないのに、自身の意思に反して体は動かない。
「怖がらないで。すぐに楽になりますからね」
捻れたナイフの周辺の空間が歪む。
その先にきらきらと輝く何かが見えた。
「原初の混沌です。さぁ、帰りましょう」
かつて神も大地も海も人も無かった、
無の時代。
そんな次元に通じる穴は、寂れた劇場を
介してひとひらの夢の中にある。
◎君と僕
#65
君と僕は同じ。
体も心も思考も全てが同じ。
平行世界から迷い込んだ僕は
君と同一人物だ。
そんな僕らのたった一つの違い。
それは、君がとても幸せだということ。
僕が"元の世界"で息を止めたということ。
魂だけになるとこうやって
生きている自分がいる並行世界にとぶことがあるんだとか、自称死神が言っていた。
その死神曰く、とばされた魂と
その漂着地点になった同一人物は同時に
狩る決まりらしい。
僕が死んだばかりに狩られる君。
巻き込んで、ごめんね。
幸せの只中で死に攫われる人たちも
僕みたいな魂がとんできてしまっていた
のかな。
そんなことを考えている間に、
死神が大きな鎌を振りかぶる。
切っ先が迫る中、君がこちらを見て
微笑んだ気がした。
───────
「僕ら、また、この世に生まれようね」
『そしたら僕も幸せになれる?』
「きっと」
『……君も、幸せでいてね』
「……うん、一緒に幸せに生きてやろう」
◎元気かな
#64
「どこダ……何処いっタ……」
「……」
今日も今日とてしつこい輩を撒き、
ビルの屋上に立って眼下の街を見下ろす。
夜の権力者による"狩り"が続く街中からは
断末魔の叫びが聞こえてきた。
最早、日常と化した地獄を見つめながら
薄汚れたコートの内からライターを取り出し、しわくちゃになった煙草に火をつける。
喧騒の中に混じる死のにおいと紫煙を
深く吸って味わった。
ドブネズミのように逃げ隠れする日々で、
これだけが唯一の楽しみだ。
「明日はどこで食いもん探すかね……。
──誰だ」
微かな物音を拾い、警戒態勢をとる。
「待って待って!俺も人間だ!」
物陰から現れた先客は疲れた笑顔を
こちらに向けた。
「あはは、えーーと、元気?俺は、うん、見てのとおり疲れてる」
「アンタの縄張りだったのか、邪魔したな」
「あーーっ待って!久々に生きてる人間に会えたんだ。ゆっくりしていってくれよ」
男は右足をさすって苦笑した。
どうやら怪我をしているらしい。
「アンタ、運が良いな。その足で生き残ってるとは余程の豪運だ」
「まる2日は動けてないんだ。奴らに見つからなくて本当にラッキーだったよ」
いつ見つかるか知れない恐怖に耐えていた男は顔色が良くない。
今にも倒れてしまいそうだった。
「今夜は共にいてくれないか、煙草くん」
「良いぜ、おっさん。袖触れ合うも他生の縁っていうしな」
◎好きだよ
#63
「てるちゃんっていつも絵を描いてるよね」
「そうだねぇ、趣味としては好きなんだよねー」
机の横に張り付いて、
紙に向き合うてるちゃんをじっと眺める。
絵のことはよくわからないけど、
てるちゃんの描く絵は好きだ。
模様がくるくる渦巻いて
中心にいるキャラクターを装飾していく、
その過程もずっと見ていられる。
ただの線がいつの間にか形を持つ様子が
面白くて、てるちゃんの机の横が僕の
定位置になっていた。
「好きだなぁ」
「そう?なら、あげようか?」
「え、いいの?やった!」
僕も絵、描いてみようかな。