◎雨上がり
#74
弾丸のような雨粒が全身に降りかかる。
こうやって打たれているのはどれほどの
期間だろうか。
日数経過の感覚はわからない。
目は塞がれて見えないし、この体の肌は
温かさも感じないからだ。
それでも体を激しく揺さぶる感覚には
そろそろ飽きてきたし、これでは更に
仕事に遅れてしまうだろう。
早く遂行しなければ……。
今更ながら、
彼奴らの罠にかかった自分に腹が立つ。
いや、最早その腹すらない体なのだが。
微かに動く口で歯噛みしていると、
ふと体の揺れがおさまった。
どうやら、雨が上がったらしい。
自由を取り戻した両の手で目元の布を
剥ぎ取る。
この地の作物を枯らす雨がおさまった。
それはこの体の元の持ち主には喜ばしいことだろう。
村が助かる。
自分の犠牲には意義があったと、
無邪気に喜ぶのだろう。
この雨が"滅ぼす者"を封じるために
降っていたこと知らないのだから。
あぁ、
ひとつの淡い光が天にのぼっていく。
……お前は、最期まで純粋だった。
雨を止めるため、村を救うため──
何の疑いもなく、己を差し出した。
その在り方を、俺は"哀れ"だと思う。
断じて、否定の意味ではない。
お前の選択が、
あまりに真っ直ぐだったのだ。
だからこそ願う。
振り返らずに逝け。
極楽の門の向こうから、決してこちらを
覗くな。
今から始まる、俺の所業を知らないまま、
無事に極楽へと辿り着いてくれ。
どうか安らかに。
罪なき、清き心の若人よ。
俺の器に選ばれし者たちよ。
どうか、俺を赦さないでくれ。
───天は俺を遣わした。
かの国が滅亡の運命から外れぬように。
俺は"滅ぼす者"。
その役割を果たすときがきた。
仕事を、始めよう。
滅びるべき国は、まだ生きている。
◎さらさら
#73
両手からこぼれ落ちていく。
砂みたいだ。
ずっと手元に置いておきたい、
手離したくない。
そんなものが沢山増える。
まるで砂時計だ。
ある人は言った。
「そこをどいてください」
またある人は言った。
「ここは任せて、先に行って」
別のある人は言った。
「また会おう」
いつかの人は言った。
「忘れないで」
皆、皆、みんな、みんな……
零れていった。
全部欲しがって、全部失った。
ニンゲンはその儚い時間を生き急ぐのが
好きらしい。
置いていかれる側のことなんて、
気にしちゃくれない。
わからないよ。
君たちは馬鹿だ。
そうやっていつも居なくなる。
僕を独りにする。
僕はもう疲れたんだ。
だから、勇者。
君を倒して終わりにするよ。
誰も居なくならない、誰も生まれない。
そんな世界なら、
この希望を捨てられるでしょう?
◎Sunrise
#72
地下牢に囚われてどれだけの時が経っただろう。
毎日行われる身体検査で朝がきたことを知るばかりで、それが幾度繰り返されたのかなど、最早知ろうとするる気力も興味もない。
「立て1109」
「はいよぉ……」
くぐもった声が徐々に近づいてくる。
隣の房までやってきたのは代わり映えのない地味な顔つきの看守。
淡々とこなされる作業は機械的で面白味がない。
「次、8073」
「はい」
ここでは誰もが番号で呼ばれる。
隣人の男は長い間ここに居るらしく、自身の名前はとうに忘れてしまったと語っていた。
看守は服を剥ぎ取ると触診して次の房へと進む。容赦も遠慮もないので、人間ではないのではと疑っている。
投げ捨てられた囚人服を着て床に寝転がる。
囚人は穀潰しだ。
ただ、食って寝るだけの日々。
刺激も何も無い。
耐え難い苦痛だ。
屈辱だ。
人生は驚きとスリルで構成されて然るべきだというのに。
こんなにつまらない場所で我が人生はすり減らされていくのか。
たったひとつの爆弾を持って街に繰り出し、極限のスリルを堪能していただけなのに。
テロを企てた?
ご冗談!
スリルを求めていただけだ。
あの警官はテロ犯に果敢に立ち向かった英雄として称えられたのだろう。
腹立たしい限りだ。
私から娯楽を奪った罪は重い。
……ふむ。
良いことを思いついた。
起き上がり、爪を噛む。
脳内には完璧で素晴らしい計画が描き出されていく。
───数日後
監獄とその周囲一帯を巻き込んだ大爆発が新聞の一面を飾った。
監獄内部から大規模な爆発をしたことから、生存者はゼロ。
遺体も跡形もなく吹き飛んでいることが
報道された。
ガス漏れの事故として処理された後日、
新聞の隅に小さな事件が載った。
『英雄警官、自殺試みる』
かの英雄が某日未明、自宅でひどく心を乱した状態で発見された。薬によって鎮静させるも、再び自殺を試みた。
その後心的外傷後ストレス障害・PTSDと診断され、特別精神病棟に隔離されたという。
「彼は支離滅裂に叫んでいた。"やつが来る"と。誰のことかは分からない」関係者はそう語り、それ以降口を閉ざしたままである。
◎空に溶ける
#71
その日、空には雲ひとつなかった。
真夏日のなか、見知らぬあぜ道で男はどこかに陰がないかとさまよっていた。
だくだくと流れる汗が、
体が溶けているような錯覚を起こす。
体が水気と清涼を求めている。
このまま消えてなくなることの方が楽に
思えてくるほど限界だった。
蛇も猫も見かけない。
皆、暑さにくたびれているのだろう。
蝉のやかましい声と男が土を踏みしめる音だけが聞こえている。
憎々しいほどに照りつける太陽を睨み、
その眩しさに視界が白く染まる。
目を細めて道に目を向けると、陽炎の奥からゆらりと家屋が現れた。
「……お、おぉ……」
足をもつれさせながら、なんとかその前に辿り着く。
「あら、こんな暑い中を珍しい。いらっしゃいませ」
出てきた女主人は、冷気を纏っていた。
「み、水をくれないか……」
絞り出した声は掠れていたが、女は頷いて店の奥へと入っていった。
店の中はひんやりとしていて、外とはかけ離れて過ごしやすい。
人間の生存圏内に入れたことに安堵して、近くにあった座敷にあがって座り込んだ。
深呼吸していると女は水と大きなかき氷を盆に乗せて戻ってきた。
「外は猛暑だったでしょう。さぁ、どうぞお召し上がれ」
「ありがたい、生き返る心地だ」
水を飲み干し、かき氷に手をつける。
ふわふわとした氷が積み重なって、
山をかたちどっていて、触れてみると
あまりにキンと冷たかった。
その冷涼さに指を引っ込め、添えてあった箸を握る。
ひと口含むとぱっと溶けて、かかった蜜の甘さが残った。
「あぁ……こんなところでかき氷にありつけるとは思わなんだ……」
男は涙を浮かべてしゃくしゃくと頬張る。
頭の痛みに悶えながらも箸を進める。
器の半分ほどまで食べ終えたところで正気に戻り、着物を整えて女に頭を下げた。
「私は有原近衛門と申す。長い間歩き続け、疲れ果てていた。貴重な氷をわけていただき感謝する」
男は熱をもった懐から銭袋を出そうとした。しかし、その手は着物の布地を掴むだけ。
そこで男は、はたと気付いた。
自分はいつから歩いていたのだろう。
何処を目指して歩いていたのだろう。
全て霞みがかってはっきりとしない。
女はただただ微笑んでいる。
冷たいものが背筋を伝う。
身体中を探してやっと見つけたのは
紙に包まれた六文銭だった。
かき氷の端は溶け始め、
青い空に還っていった。
◎夜が明けた。
#70
ひとには役割がある。
賢者、愚者、英雄、悪人、善人、簒奪者、天才、凡人、奇才、支配者、従僕etc
世界が役割を与え、それに従って生きる。
役割を全うすればそれを受け継ぐものが
現れ、同じ道を辿る。
そんな概念を絶対的なルールとする
この世では居場所を追われる役割もある。
彼らは世界に抗うだろう。
友と同じ朝を迎えるために。
信念を貫き通すために。
自分と同じ役割に生まれたものに
道を示すために。
もしも彼らの祈りが実を結んだならば、
それは新たな世界の誕生となり、
古い世界の機構の追放といえるだろう。
さあ、今日も夜が明けた。
役割を押し付けるための革命の炎は
今も”追われるべきもの”の心に
燻っている。