誰であっても呼ばれるのは好きじゃなかった。
似合わないと自負していたから
だから、ペンネームを初めて作った時は
とてもワクワクして早く呼ばれたかったんだ。
ペンネームでの人とのやり取りは
気兼ねもなく、ただ楽しかった。
居たい時に居て
話したい人と話し
聴きたい声を聴いて
ネットの海原を自由に泳げた。
特定の知り合いもできて
現実もネットも案外悪くないって
そう前向きに思えるようになっていった。
けれど、なんでだろうか。
アナタに本当の名前を教えた時
本当の名前を教えてもらった時
それまでの楽しい時間より
ずっと幸せだと感じてしまったんだ。
名前を呼ばれるのは嫌だった筈なのに
呼んでもらえる事が何故だか嬉しくて
アナタを知れる事が幸せだと思う様になった。
いつか、また
隣合って呼び合えたらって
今もそう強く願っています。
ー 私の名前 ー
いくら作り置きしたかったとは言えど
流石に焼き重ね過ぎたホットケーキの塔は
積み方を少しでも誤れば簡単に崩壊しそうだ。
フランスの数学者であるエドゥアール・ルーカス
その人が作ったパズルを彷彿とさせる佇まいに
最早、一種の達成感すら覚えていた。
出来栄え自体は文句も無く、寧ろ上々
こんがり小麦色のつるりとした面に
ふくふくと上手に膨れてくれた境い目
出来立ての温かく優しい湯気に甘い香り
一枚ずつを見れば完璧であった。
しかし、全体を視界に収めると…
徐々に、とはいえ着実に
ピサの斜塔へ変貌しつつある。
手早く冷凍庫に空きを作らねば
お次は、タロットカードに
塔として描かれてしまいそうだが…
傾きつつある現状に合わせ、首を捻ると
視界の端には水切り籠を占拠する三枚の皿
…数学者の創り出した問題の数々は
間違いなく人々の発展に一役かっているなと
身を持って体験と共に体感したのだった。
ー 視線の先には ー
“私だけ”…?
…遊び相手に伝えるなら
面白いかもしれないけれど
それは、貴方には言わないわね。
私以外の女性も、ちゃんと見てきて
選択肢は多いに越したことはないでしょ?
答えは一つであるべきだ、なんて
そんなの学者さんだけで十分だもの
何時だって貴方は自由に決めて
私も、自由気侭に過ごすから。
だって、その方が
私へと帰ってきてくれた貴方へ
回を重ねる度に愛しさは積もってゆくもの。
互いが一番に帰りたい拠り所なのだと
私は、そう想っているから
法の許す限りは、たっぷり遊んでいらっしゃい。
ー 私だけ ー
遠い春の思い出。
雛祭りの日には、ご近所の老夫婦から
必ずお宅へとお呼ばれされていた。
色鮮やかな雛あられに湯気の昇るお茶
立派に並べられた雛人形達を前に
老夫婦と折り紙と絵を楽しみ
私と姉は可愛がってもらっていた。
ある雛祭りの日に、つい口に出したのは
此処の子だったら良かったと言う言葉。
老夫婦は一瞬だけ顔を見合わせて
“私達の子供等はどれだけ離れようとも
あの子達の他には居ないんだ”と
そう、申し訳なさげに言っていた。
雛形である自分が川へと流されてゆく様な
抗う事も許されない突然の喪失感は
胸にぽっかりと穴を押し開け
濁流の如くに過ぎ去っていったが
依代だとしても良くしてくれた老夫婦が
少しでも不幸を避けて幸せであってくれるなら
この時間だけは幸せに盲目であろうと思った。
その後、何度もお呼ばれはすれど
そう言った言葉は二度と口にしなかった。
そして、最後に会った時
老夫婦は、どちらも安らかな顔で
遠くに離れ住んでいたであろう家族に
慈しまれ惜しまれつつ、かこまれて
屋根の下に降る暖かな雨に見送られていった。
もう会えはしないが、あの時の喪失感は
知る必要のある痛みであったんだと
私は今でも、そう感じているよ。
ー 遠い日の記憶 ー
小さい頃、首が痛くなっても
草の上に寝転がって空を眺めていた。
自分が死んだら何処へ行けるか
そんな事ばかりを考えて
幼少期特有の可愛げなんぞなく
呆然と時間を過ごす事も多かった。
とある先生からは利発な子だと評価され
別の先生からは気味が悪いと評価され
どちらも間違いではないのだろうと思っていた。
21gの魂があるだけで
身体が動く、ただそれだけで
現在を生きてしまっている自分は
数え切れない多面体の感情を
今も評価を一瞥しては、転がし続ける。
それは、外れ続ける天気予報よりも
余っ程にタチが悪いと知っていてもだ。
ー 空を見上げて思ったこと ー