遠い春の思い出。
雛祭りの日には、ご近所の老夫婦から
必ずお宅へとお呼ばれされていた。
色鮮やかな雛あられに湯気の昇るお茶
立派に並べられた雛人形達を前に
老夫婦と折り紙と絵を楽しみ
私と姉は可愛がってもらっていた。
ある雛祭りの日に、つい口に出したのは
此処の子だったら良かったと言う言葉。
老夫婦は一瞬だけ顔を見合わせて
“私達の子供等はどれだけ離れようとも
あの子達の他には居ないんだ”と
そう、申し訳なさげに言っていた。
雛形である自分が川へと流されてゆく様な
抗う事も許されない突然の喪失感は
胸にぽっかりと穴を押し開け
濁流の如くに過ぎ去っていったが
依代だとしても良くしてくれた老夫婦が
少しでも不幸を避けて幸せであってくれるなら
この時間だけは幸せに盲目であろうと思った。
その後、何度もお呼ばれはすれど
そう言った言葉は二度と口にしなかった。
そして、最後に会った時
老夫婦は、どちらも安らかな顔で
遠くに離れ住んでいたであろう家族に
慈しまれ惜しまれつつ、かこまれて
屋根の下に降る暖かな雨に見送られていった。
もう会えはしないが、あの時の喪失感は
知る必要のある痛みであったんだと
私は今でも、そう感じているよ。
ー 遠い日の記憶 ー
小さい頃、首が痛くなっても
草の上に寝転がって空を眺めていた。
自分が死んだら何処へ行けるか
そんな事ばかりを考えて
幼少期特有の可愛げなんぞなく
呆然と時間を過ごす事も多かった。
とある先生からは利発な子だと評価され
別の先生からは気味が悪いと評価され
どちらも間違いではないのだろうと思っていた。
21gの魂があるだけで
身体が動く、ただそれだけで
現在を生きてしまっている自分は
数え切れない多面体の感情を
今も評価を一瞥しては、転がし続ける。
それは、外れ続ける天気予報よりも
余っ程にタチが悪いと知っていてもだ。
ー 空を見上げて思ったこと ー
おいおい、寝言なら寝て言えよ。
ここまで暴れ回った奴が自首するだって?
なら、共犯の俺はどうなる?
お前の自白で芋蔓式に釣り上げられて
豚箱行ってハッピーエンドってかァ?
巫山戯んなよ…!!
そんなに終わりにしてぇなら
一人寂しく地獄に落ちるんだな。
“地下室に響く銃声”
…エンドロールに載って終わりなんざ
俺は真っ平御免なんだよ。
ー 終わりにしよう ー
ねぇあたし 綺麗でしょ?
ケバさがいいでしょう?
彼女が歌う1980年代の歌謡ロックは
ピッタリと当てはまる様な内容で
心底、愉しそうに上がる口角と
声を邪魔しない軽い身振り手振りは
アイドルの愛らしい雰囲気より
歌手にも近い歌への重みを感じさせる。
「呆れる程、良く似合う曲よね」
嫌味も無く真っ直ぐ吐いた言葉に
彼女はまた一段と口角を上げて
飾りっけの無い私なんかの手を引いて
無防備にマイクを差し向けてくる。
「歌は誰にだって似合うもんよ」
あぁ、本当にやんなっちゃう
綺麗な歌声と笑顔でキメちゃって
ことも無さげにそんな事を言っちゃって
まさしく、そういうとこじゃないの?
「私、アンタが男になって
一緒にこうやって歌ったとしても
絶対に惚れない自信があるわ」
「そんなの、今更のお互い様よ」
内面は似てるのに外面は似てないなんて
皮肉のスパイスが嫌に芳ばしいもんだから
なんだか、眩暈の奥で彼女が一際眩むのよ。
ー 手を取り合って ー
人間の感情は反する物の方が距離は近い
小銭の表と裏の様に些細な事で
弾かれるが如く、なり変わってしまう。
ぱしんっ
「聞いておるのか、この戯け者!」
あぁ、いや
弾かれたのは小銭ではなく
無防備だった己の頬であったのか。
酷薄というに相応しい人相と
冗長に流れ続ける継承話は
心底、億劫でしかなく
関心が離れ久しい為にも
気付くのが遅れてしまった。
「これは、父上様に大変なご無礼を…
失礼仕りました、ご容赦下されば
これ幸いと存じまする」
不服を隠そうともしない口吻で
次は無いと言い放つ、その人
今となっては頑強さしか残らず
それが仇となり頑迷固陋な有様で
幅を利かせるだけとなった者。
「俊傑の血に連なる己が身に
恥じる事のなきよう
自己研鑽を怠るでないぞ」
確かに、鹵掠の限りを尽くし
俊傑とまで謳われる程に上り詰めた
綴れた才覚は有るのだろうが…
当時の優越感は見る影もなく
今や劣等感すら風前の灯火と相成れば
天網恢恢疎にして漏らさずとは
誠の詞なのだなと胸中でせせら笑った。
ー 優越感、劣等感 ー