甘い筈の恋は香水の様に臭い立つ
欲求を覆い隠すには最適な物で
中世ヨーロッパの話に既視感を覚える
上記の捻くれた先入観から
私は恋を苦手としている
いつか恋心は報われると言うなら
それは恋とは投資で、何かへの“貸し”だと
その者が誤認している証に思えてならない
恋から愛へ落ち着ける者は少なく
見返りを求めてばかりの自己満足に
誤認を見過ごし笑ってやれる程
私はお人好しではいられない
故に、語れる程の恋へ実る前に
我が身可愛さで煙草の煙に巻いて
ここまでを生きてきた私には
到底、書けない物語だ。
ー 恋物語 ー
「…お腹空いたな…」
学校をズル休みした日の夜。
昼食すらふいにして夕方まで惰眠を貪った私は
晩御飯である風邪ひき用の素うどんだけでは
朝まで眠ることは出来ず、胃も目も
真夜中のおやつ時には冴えてしまっていた。
後ろ目がたい気持ちとは裏腹に
階段へはトントントンと軽快に足を下ろしてゆく。
「…やっぱりね」
「えっ…」
暗くなったリビングへと踏み入る前に
不意をつくように背後から諦観の声が上がる。
「お母さん…」
「晩御飯…足らなかったんでしょう」
頗る気まずいが、背に腹はかえられぬとは
正によく言ったものだ。
身体は無意識に胃で答え
観念して肯定の意で首を振った。
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「なんで、分かったの?」
「わからいでか、何年母親やってると思ってんの
アンタ、本当は熱もないんでしょ」
「………」
「ここでの無言は肯定としか思えないわね?
うどんに入れるか迷った具材があるから
それでお腹にたまるもの作ったげる
ほら!コレにご飯よそって、健常者は手伝う!」
「はぁい
ところで…その、怒らないの?」
よそったご飯に手早くお酢を回しがけ
作り置きの金平ごぼうを荒く刻み入れた後
ソレを黙々と混ぜていた母に問うと
応えは呆気からんと軽めに返ってきた。
「別に行きたくない日は行かなきゃいいのよ
その理由も言いたくないから隠したんでしょう
そりゃ、ずっと行かないなら話は別よ?
私だって相談しにくい親になっちゃったのかって
その時のアンタときっと同じくらい
不安になって聞いちゃうだろうからね
でもね、休憩くらいは良いじゃない
母さんだって晩御飯を休む時はあるんだから
アンタが少し休むだけで責めるなんてのは
なんか、親としてもちょっと違うじゃない」
うどんに入り損なったであろうお揚げさんは
次々と手頃な大きさのいなり寿司へと変わり
視線を此方に送る中でも作る手を止めない主婦は
顔だけはよく知った優しい親の顔で笑っていた。
「…」
はくはくと控えめに口は開けど
返すべき言葉を胸は押しきれず
最後には、口に詰め込まれた
いなり寿司と共に胃まで落ちてしまった。
「けどね、それは私が味方として
アンタの近くに居れる内だけよ
世間でズル休みがバレたら
そうは問屋が卸さないからね
だから、今の内にやったらいいのよ
学費や生活費が なんて言う親も居るだろうけど
私がアンタにあげたもんなんだから
アンタが使い方を決めたらいいのよ」
お揚げさんにジュワリと甘やかされた口内に
後を押すのは穏やかな塩気とご飯に香るお酢
忘れた頃に、きんぴらの辛味が駆けてくる。
その一筋縄ではいかない味に
そうか、親ってこうなんだ と
子供ながらに母を重ねてしまった。
「ねぇ、お母さん
あのね…」
堪らず吐露した学校での不満や不安に
夜食は、ちょっぴり塩気を帯び始めていた。
ー 真夜中 ー
ー 愛があれば何でもできる? ー
君は…物事を今まさに知り始めたばかりの
純粋な幼子の様なことを言うんだな
たとえば、魔法も実在する世界の冒険譚で
勇者でもしていたならば“何でもできる”と
返答すれば物語は盛り上がる事だろう
だが、残念ながら現実には魔法などないからね
何でもできる とは私は言わないよ
これが例えば、親しい間柄に望まれて
身の程を弁えた出来る事であったならば
私も少しは尽力するだろうが…
元来、私は他人嫌いなのでね
なりふり構わず盲目的に誰かを愛する
そんな高尚な人間には到底なれそうにもない
しかし
そうだな…例えば、愛する者が病に倒れ
臓器移植に適合者が私しかいないと仮定すると
その人との好ましい時間の大幅を失い
長々とつまらなく余生を過ごすのに比べれば
中身を明け渡す程度の愛ならあるやもしれないね。
“ 捻くれ者の背理法 ”
人の形を得てから、ここまで
頭の重りとして肥大し続ける中身
筆舌には尽くし難い事柄の海を
長らく彷徨い続けている。
いつか、あの世に行った頃
この長い後悔を思い返すのだろうが
私のそれらに耳を傾けてくれた貴方が
少しでも波を避けられる助けとなれたなら
悪くはなかった、寧ろ幸いだったと
そう思える気がするよ。
後悔だとしても伝えたい宛名があるだけ
救いがあるんじゃないかと傲慢ながらも
心のどこかで私は信じてしまうからさ。
ー 後悔 ー
家を出る度に少し想像してしまう
記憶を落とし迷い子でありたいと
良くない考えだとは分かっている
だが、否定的な気持ちとは裏腹に
想像力は衰えを知らず豊かになり
風が肌を擽るとより鮮明さは増す
無いはずの香りすら鼻へ届け出し
景色は瞼の裏で形を変えていった
春は日向喜び華やかに開く沈丁花
夏は清楚を感じさせ甘く香る梔子
秋は色も香りも人を留める金木犀
冬は封蝋を想起する艶やかな蝋梅
美しい四季に、心は惑い揺蕩いて
世話焼きな風へ放る様に身を預け
軽い足取りも心持ちも赴くままに
誰にも報せず、終点すらも決めず
風来人としての旅路を歩み楽しむ
ここまで考えてから現実に戻った
夢がどれだけ彩り豊かだとしても
常を社会に生かされている身では
想像の域を出る事ですら難しいと
そんな現実に辟易と肩を落とした。
ー 風に身をまかせ ー