「貴方はいいわね、綺麗になることが決まっていて」
ケースの中でキャベツの葉を食べる幼虫に声をかける。
「そうでもないよ。ご飯を食べられなければ大きくなる前に死んじゃうし、サナギのうちに鳥に食べられることだってある」
大きな葉っぱを飲み込むと彼は私に話しかけてきた。
「それでも大きくなれば綺麗だって持て囃されるでしょ?」
「とんでもない!うまく成虫になれたって柄が綺麗に出なきゃみんなに嘲笑われるだけさ!」
小さな手足を動かして彼は抗議する。彼の表情は分からないはずだが、私にはとても怒っているように感じた。
「そっか、貴方も大変なのね。ごめんなさい」
「分かってくれたらいいんだ。それに僕にとっては君たちニンゲンの方が羨ましいね」
「あら、どうして?」
彼の意見に首を傾げ尋ねる。
「オカネというものがあればいくらでも姿を変えられるんだろ?」
「そうね。でも、お金で変わった身体は本当の自分じゃないと思う人もいるわ」
「そうなのかい?繁殖できるのであれば手段なんて関係ないと思うけれど」
「人間も複雑なのよ」
「ふーん」
私の話を理解していないであろう彼の言葉を聞きながら、冷めた紅茶に口をつけた。
「ところでキャベツのおかわりはどうかしら?」
「喜んでいただこう!」
将来がどうであれ大きくなれなければ綺麗もなにもないからね!
小さな幼虫は胸を張ってそう言った。
ご飯のおかわりは一回まで。自ら作ったルールを破った昨日の自分を恨む。
給与日前の夕飯の時間、冷蔵庫の中身は空で財布の中身は30円。国民的安価のお菓子がギリギリ変える値段だが空腹の自分にコンビニもスーパーにも行く気力はなく詰みの状態。
「なんかなかったっけ…」
ソースとマヨネーズしか入ってない冷蔵部分を無視して冷凍室を漁る。ワンチャン冷凍ご飯とかないだろうか。
「!」
指先に何か硬いものがぶつかる。期待を込めて引っ張り出すとそれは肉の塊だった。気分が一気に高揚する。しかし、ある重大な事実に気がついてしまった。
これいつ購入した肉だ?
恐る恐る白くボヤける値札シールを指でなぞる。記載されている期日は今から一年前だった。しかも賞味期限ではなく消費期限。
「………」
警告を鳴らす脳内の一方で腹の虫が限界を訴える。目の前に現れたご馳走を前に人間の理性など無力に等しい。
冷凍していたから大丈夫では?
高温で焼けば問題ないのでは?
というか霜が降りているし実質これは霜降り肉では?!
頭の中にこの肉が食べれる理屈を並べ立て、氷ついた肉を電子レンジで解凍してコンロで一気に強火で焼き上げる。おかしい、お酢を入れてないはずなのに酸っぱいニオイがする。お肉に最初から調味料がついてたのかな。そうだろうな!
「いただきます!」
こんがりと焼けた肉塊に両手を合わせる。思い切り噛み付いた。
「意識大丈夫ですかー?点滴打ちますねー」
「あ、はい」
真っ白な天井、真っ白なベッド、真っ白なナースさん。見事なる予定調和。
みんな消費期限は守ろうね。
「俺と付き合ってくださいっ!」
君に告白された時、私はまだ君のことが好きじゃなかった。
「…喜んで」
それでも周りの友達がしている恋というものを知りたくて、私は君の告白を笑顔で受け取った。
「明日帰り道デートしない?」
「君が好きそうだと思って買ったんだ。受け取ってもらえるかな?」
「教えてもらった漫画面白かったよ!続き楽しみだね!」
「ねぇ…キス、してもいい?」
君と恋人になってから日常の小さな出来事が宝石みたいにキラキラと輝いていった。触れるだけの口づけをした後の君のはにかんだ顔が愛おしくて、あぁこれが恋なんだなって気がついた。
「最近なんだか楽しそうだね?」
恋を自覚してからは毎日が幸せでいっぱいだった。好きになった人がすでに恋人だなんて奇跡だと思った。友達に指摘されるくらい私は浮かれていた。
「ごめん…他に好きな人ができたんだ。別れてくれないかな…?」
けれども恋愛の神様は私が好きでもないのに告白を受けたことが許せなかったみたい。君の心はいつの間にか私から離れていった。
「うん、分かったよ。今までありがとう」
最後まで君に嫌われたくなくて、作り物の笑顔を被って頷いた。ホッとしたように笑う君にズキズキと胸が痛む。
「ばいばい」
これ以上君の言葉を聞きたくなくて、私から別れを告げてその場を立ち去る。行き先も決めずに歩き続けて、君の姿が完全に見えなくなったころ堪えきれない涙が両目から流れ落ちた。
「うわぁぁん…っ!!」
君が大好きな気持ちが嗚咽と共に口から吐き出される。泣いて泣いて泣き尽くして、声が枯れるまで叫んだ。
初恋はやっぱり実らないんだね。
輝いていた世界が一瞬でモノクロに染まった。
貴方と出会って私は自分の中の醜い感情に気づいてしまった。
貴方が他人と話すのがイヤ。
貴方が誰かと出掛けるのがイヤ。
貴方が口に出す人間関係の全てがイヤ!
嫉妬の焔がお腹の奥から燃え上がって貴方に関わる全ての人を燃やしてしまいそう。そんなことをすれば貴方に嫌われると分かっているから、私はお腹の焔を毎日毎日無理やり鎮火させる。
いつの日か抑えきれない焔が私を焼き尽くしてしまうかもしれない。
でもね、貴方に出会わなければよかったとは思えないの。笑っちゃうね。
アイスを落とした。
ただのアイスじゃない、全て味の違う3段重ねのアイスだ。購入して2秒後に落ちた。当然1口も食べてはいない。
「あ…その…」
キッチンカーの店員さんが気まずそうに笑顔を引きつらせる。それもそうだろう、客が目の前で商品を落としたらかなり居た堪れない気持ちになる。私が店員なら100%固まる。先程まで和気あいあいと話していた周囲のお客さんも静まり返ってしまった。
「おねいちゃんだいじょうぶ…?ぼくのアイスはんぶんあげる…?」
気まずい空気が漂う中で、幼い男の子の声が私の耳に届いた。声のした方に振り返るとお母さんと一緒にアイスを食べていた男の子が私に食べかけのアイスを差し出してくれていた。
「…!坊主それはお前さんのアイスだ!ねえちゃんには俺のをあげるぜ!まだ口つけてねぇからよ!」
「わ、私のもどうぞ!2段目はスプーン入れてないですよ!」
「いえいえ!皆さん!次は僕が購入する番ですからぜひお姉さんの分も僕に買わせてください!」
「お客様方!むしろここは店員である私にもう一度お姉さんのアイスを作らせてください!今度は!カップで!」
男の子の提案を皮切りに、おじさん、女子高校生、男子大学生が次々に声をかけてくる。さらには店員さんまで加わってきた。
「「それがいいそれがいい!」」
私以外の全員の声が一致する。
「よかったね!おねいちゃん!」
男の子が眩しい笑顔でこちらを見上げた。
「…アリガトウ」
羞恥心が限界に達して真っ赤になる私は、喉から何とか言葉を絞り出した。
みんなに見守られながらアイスを受け取りその場を去る。
楽しみだったはずの3段アイスは涙の味でほんのりしょっぱかった。