そこ

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1/13/2026, 4:43:15 PM

砂漠という土地があるとその男は言った。
昼日中は火傷するよう熱い日差しが降り注ぎ、夜には凍りつくような冷たい風が吹くその場所は、水が奥深くに隠されてなかなか見つからないらしい。夢のように美しいところだと。
そこには何があるのかと尋ねると、砂があるという。砂と風とほしと正反対の気温がある、と。
砂とはなんだと尋ねると答えるのが難しいと言われた。では凍りつくとはと聞くと、きみのはるか下にある厚いかたまりのことだと答えた。
氷と寒さは非常に近いらしい。ならば私は氷も寒さも知っている。氷は底にある触れないほうがいいもの。近づくと鱗が固く収縮する。それが寒さだろう。
男はそうだねと言った。そしてわたしが向いている方向を指差した。あちらは何がある?
私が答える番だった。あちらにはミカナキキバどものすみかがある。危険だ。行かない方がいい。奴らは獰猛だ。
ぼくと似た形を見たことはある?
見たことはない。だか、似たものがミカナキキバどもに連れていかれたと聞いた。喰われたんだろう。
きみはきみと同じ形、つまり同じ種族のものが連れていかれたらどうする?
どうもしない。奴らには勝てない。
男はしばらく黙り込んだ。
君たちはある程度の知能があるのに、生きるためだけにしか使わないんだね。それが正しい在り方かもしれないけれど。
生きるのは当たり前のことだ。獲物を喰らい、子を成す。それが以外に何がある。
男は行った。戻ってこなかった。喰われたんだろう。
それ以来、私は夢を見るようになった。
夢とは何か、それは視界を閉ざして獲物を食ったあとのような気分になること。そう教えてもらった。
夢の中、私は砂漠にいる。熱いと日差しも分からないが、氷と寒さは知っている。風も知らない。気温も空も夜も昼も朝も。男と名乗った奇妙な形のものがなんだったのかも。
男が戻ってきたらいい。もっと砂漠のことを教えてもらえる。しかし無理だ。
夢を見ることができるようになった。時々視界を開くのが嫌になるときがある。初めての感覚だ。できることなら、ずっと砂漠の夢を見ていたい。
男も同じように夢を見ていればよかったのに。

1/12/2026, 4:22:20 PM

ずっとこのまま眠っていたい。
布団のなかで、体を丸めて胎児のように天国の夢を見ていたい。
天国は太陽の光が差し込む浅瀬の海。波はゆるやかで、海は白緑色をしてどこかあたたかい。砂地は乾いた黄色。
その中で、わたしはずっと微睡んでいる。どんな夢を見たのか、なにがあったのかなんて何もわからずに、ただしあわせの余韻だけを噛みしめている。
時々、何かが横を通り過ぎる。ぶつかることもなく、海が揺らめいて、すぐ近くを何かが通し過ぎたことを感じて、少しだけ目を開ける。
そこは遠くにべつの命がいて、時折すれ違うだけのわたしだけの海。静かで乱されることのないまどろみの場所。
いつか、きっとそこにたどり着く。
その確信だけを頼りに、わたしは今日も眠る。
ずっと眠っていられる場所に帰る日まで。

1/11/2026, 5:23:09 PM

寒さが身に染みて、この小さな家はほんとうにボロいんだと思った。隙間風が流れてきて、熱々のハーブティーを持った手だけが温かい。
あたしは窓際にいる魔女に声をかけた。
「ねえ、魔女なんだから暖炉の火を大きくするとか部屋の温度をあげるとかできないの?」
ツインテールの幼女の姿をした魔女は深緑の椅子に腰掛け、空を見上げたままこっちを見なければ返事もしない。
「ねえ、魔女さんってば。か弱い人間が震えてんだよ」
「うるさいねえ。ひとが月光浴してるのにぎゃあぎゃあと。寒さがなんだってんだ。何枚も毛布重ねてんだろ。文句言うんじゃないよ」
愛らしい幼女の姿が嘘のようなしゃがれた声だ。声だけが正しい年齢なんだろう。多分。
中学の修学旅行中、みんなとはぐれて道に迷ったと思ったら、広い野原にたどり着いた。こんな都会に田舎みたいな風景があるとか不思議だな、見たことない植物多いなとか考えてたら、この魔女が現れておやおやとため息をついた。
聞けばここは異世界だという。なにかの拍子に迷い込んだんだねと言われても、とても信じられなかった。魔女に襲いかかる怪物を見るまでは。一瞬で怪物を消滅させた魔女は振り返り、こう言った。
「仕方ないね。うちに来な。帰る時がくるまで養ってあげるよ。そのかわりにたくさん働くんだよ」
まさか魔女に弟子入りコースかと思ったら、違った。広い野原を通り抜けて、深いと森の奥の小さな家はボロかった。白い壁は端が崩れていたし、屋根の一部がなくなっていた。その家を、魔女と材料を作りリフォームしろという。
大工仕事なんて出来ないよと訴えると、魔女はいつの間にか小さな本を持っていた。赤い革の装丁のそれには金色の文字が打刻されていた。とうぜんなんて書いてあるのか分からない。
魔女は笑った。
「あたしは時間ならたっぷりあるんだ。アンタには一から勉強を教えてあげるよ。それから家を直せばいいさ。放り出されるよか、マシだろ?」
「どうせ教えてくれるんなら魔法のほうがいいんだけど」
魔女は首を振った。
「無理だね。人間には魔法は使えないし。それに簡単に使っていいもんじゃないんだ。大事な時に少し使うのがちょうどいいんだよ」
さっき怪物を倒した魔法は少しにはいるんだろうか。聞こうと思ったけどやめた。藪蛇になるような気がしたから。
それが夏前のこと。今は冬。窓の外では晴れた夜空からチラチラ雪が降ってる。大工仕事はまだ勉強中で、材料作りにすら取りかかってない。ボロい家はダイレクトに気候につながってしまう。雨が降れば雨漏りで、暑い時は木桶に井戸水をいれて足を突っ込んだりして、なんとかしのいできた。
だけど、寒さだけはどうにも出来ない。何枚毛布を重ねても服を着込んでも熱いハーブティーを飲んでも寒いものは寒い。
「魔女さん、魔法使って。お願い。か弱い人間は限界だよ?」
精一杯かわいく言ってみたけど、魔女は鼻で笑うだけだった。
「なにが限界だって? 昨日もそう言ってグースカ寝て、たらふく飯を食ったじゃないか。前にも言ったろ。魔法はすごいからこそ、小さく使うのがちょうどいいって」
「小さな魔法使って温かくしてっていってるんじゃん。それぐらいいいでしょ?」
「じゅうぶん大きな魔法だね」
魔女は月光浴を再開した。何度も話しかけても振り向いてくれなくなった。
本当に怒れてきて、あたしはテーブルのポットから空になったカップにハーブティーを注いだ。白い湯気がぶわっと広がる。
あーあ、いやになっちゃう。住んでるところはボロいし、魔女はケチだし、勉強しなきゃなんないし、いつ帰れるか分かんないし。
ハーブティーは甘くてさわやかな味がする。魔女に習ったレシピで、夕方に作っておいたものだ。いつまでたっても熱々の出来立てだ。レシピはハーブ数種類と水だけだから、ここの植物はなんかすごいと思う。

1/10/2026, 4:31:44 PM

20歳のころ、いい加減コーヒーぐらい飲めるようになりなさい、と呆れたように母に言われた。
飲めるわよと言い返すと、あなたが飲めるのはお砂糖がたっぷりはいった甘ーいものか、ミルクや何かで豆の味をごまかしたお子様向けのものでしょ。そんなのコーヒーじゃないわ。
混じり気なく苦いものを、当たり前に飲み干せるようになりなさい。もう大人になったんだから。分かる? 
赤い唇で、映画のように母は言う。美しいひとだった。豊かな髪に膨らんだ胸部、くびれた腰、誰もが彼女を往年の映画女優のようだと言った。
わたしが幼いころに夫と離婚した彼女は女手ひとつで、わたしを育ててくれた。愛情深く育ててくれたと思う。毎晩、わたしの髪にヘアオイルを塗ると白いヘアブラシで丁寧に梳いてくれた。朝にはその日の服をいっしょに選び、日焼け止めとリップクリームを忘れないでと口うるさく告げては、汚い言葉を使うのはよしなさいと嗜められた。
おとなは、みんなわたしを褒めた。礼儀正しい子だとか食べ方が綺麗たとかいつもきちんと身なりを整えていて偉いわね、と。その度に、誇らしい気持ちになった。
思春期には窮屈でたまらなかったが、周囲の態度は母からわたしに対する愛情の大きさも感じさせた。どこかくすぐったくてあったかくて、時々おなかの中に冷たい風が吹いてくるそんな感じがした。いつかわたしが大学を出て社会人になっても、母とはずっと会えると思っていた。お母さん、歳をとったね。失礼ね、まだじゅうぶん若いわよ。また、そんなこと言って。もうおばあちゃんなんだから。
そんな会話がいつまでもできると。物理的な距離が出来てもなにも変わらないと、そう思っていた。
母が失踪したのは、卒業を控えた22歳のときだった。夏の終わり、夕立が降ったあとの晴れた夜空を見ながら、お母さん遅いなと考えていた。朝になっても帰ってこなかった。昼過ぎになってようやく母の勤めている会社から連絡あり、母がここ数日無断欠勤が続いたかと思うと、急に電話一本で会社を辞めると言ってきたらしい。どういうことかと聞かれたが、尋ねたいのはわたしのほうだった。
最初は気分転換で数日で帰ってくると思っていた。10日が過ぎるとパニック状態になって、親戚中に電話をかけまくった。そんなわたしを支えてくれたのは幼い頃に別れた父だった。親戚から事情を聞いてすぐに駆けつけてくれたのだ。父にはすでに別の家庭があったが、それでもわたしのそばにいて励ましてくれた。
父がいてくれたおかげで大学を卒業して就職することもできた。2歳違いの義理の妹とも義理の母とも仲良くなれた。いつでも泊まりにきてと言われたときは本当に嬉しかった。お互いの誕生日にはプレゼントを贈り合うし、年に5回は必ず会う。もうひとつの家族だった。
それでもわたしは母を探していた。
親戚に電話をしては連絡がなかったかと聞き、母の知り合いを訪ねては何か知らないかと訪ね、休日はほとんどそれに費やされた。友人関係は希薄になり、母との思い出を反芻しては眠りにつく。そんなことを繰り返していた秋のある日だった。
強い雨の降る夕方前、わたしは疲れ切って大通りから一本外れた静かな歩道を歩いていた。別の県に住む母の高校時代の友人を訪ねたが何の成果もなく空振りに終わった。電車を乗り継いで他県に行ったことも母の友人が優しいひとでお茶でも飲まないと誘ってくれたことも土砂降りの雨も冷えた体もなにもかもわたしを疲弊させた。わたしは本当に疲れ切っていた。
だからだろう、軽やかなドアベルの音に気づいてそちらを見たのは。そこには喫茶店があった。入り口から中年の男性がふたり傘をさして歩いていった。雨の中、会話をしながらとても楽しそうに。木製のドア、白いレースのカーテンに覆われた厚いガラス窓、オレンジ色の瓦屋根。チェーン店のような騒がしさはなく、落ち着いた古いランプのような雰囲気が漂っていた。
ここなら静かに休める。そう思って、店のドアを潜った。店内にはいった途端、濃いコーヒーの香りがした。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
母とは違う地味な女性が優しく接客してくれた。ひとりだと告げると窓際の席に案内してくれて、メニュー表と熱いおしぼりをだしてくれた。
「ご注文がお決まりに」
声を遮って、わたしは尋ねた。
「ここはコーヒーが有名なんですか?」
店内に漂う香りと客のほとんどがコーヒーを飲んでいるように思えた。メニュー表にはたくさんの飲み物が載っているのに、誰もがコーヒーカップを持っている。
「ええ、そうなんですよ。有名といっても知るひとぞ知るっていう感じなんですけどね。店主の淹れるコーヒーがとびきり苦いもので、それがいいっておっしゃってくれるお客様が多いんですよ。変わってるでしょう?」
コーヒーぐらい飲めるようになりなさい。母の言葉を思いだした。
「じゃあコーヒーをひとつ。ホットでお願いします」
「かしこまりました。ミルクや砂糖はどうします? ホイップクリームをおつけすることもできますよ」
「いえ、ブラックでお願いします」
女性は頷くと、店の奥に消えていった。
木製のテーブルを見つめながら、母のことを考えていた。ここ最近ずっと考えていることを。
お母さん、あなたはわたしをとても大切にしてくれたけれど、ほんとうにわたしのことを愛していた? 嫌いだったんじゃないの? 愛してたのは演技で、本当はわたしのことうっとうしかったんじゃない?
記憶と感情でそうだと思い込むことは出来ても、答えのない問いだった。
「お待たせしました。熱いので気をつけてくださいね」
置かれたコーヒーはぼってりとした分厚い白色のカップにはいっていた。思ったよりも量が多い。普通の店の2倍はありそうだ。
カップを手に取る。ずっしりとした重みが指に伝わってコーヒーの香りがより強くなる。滑らかな陶器は口当たりがよかった。けれどコーヒーを一口飲むと咽せるかと思った。熱いと思うと強烈な苦味が広がって酸味も感じた。
こぼさないように苦労してカップをソーサーに戻して、どうしようかと考えた。わたしは今だにコーヒーに砂糖やミルクをいれてるのだ。とてもじゃないけれど、ブラックなんて飲めやしない。このまま勘定してしまおうか。そう考えたら、言葉が浮かんできた。
混じり気なく苦いものを飲み干せるようになりなさい。母の言葉だった。
コーヒーカップを手に取る。口をつけて、味わうようにゆっくりと飲み込んでいく。苦い。目を閉じてしまう。
一息ついて、カップを置く。まだ半分ぐらい残ってる。
定期的に振り込まれる預金通帳、25の誕生日以降、それは止まった。
コーヒを飲む。少し冷めたからか酸味が強くなっていた。さっきよりも飲み込むのが辛い。それでも飲み続ける。
お母さん、あなたは夫に捨てられたのに、わたしを捨てたのね。そうじゃないと思いたくてお金を振り込んでいたのかもしれないけど、わたしがひとり立ちできるまで待っていたのかもしれないけど、やっぱりあなたはこどもを捨てたのよ。
あとふたくちかひとくち、カップを軽く感じる。喉が痛くて、胸と喉に熱くて重いかたまりがある。わたしはこれを砕いて飲み干したい。
息をついて、カップを戻した。カップの底の丸い縁にほんの少しだけ水滴のようなコーヒーがまだ残っていた。
わたしはベルを鳴らして、勘定をお願いした。
その日から、わたしは母を探すことをやめた。

1/9/2026, 3:57:34 PM

三日月が消えかかっていた。細められた光はゆっくりと夜に飲み込まれ、あと数分もしないうちに見えなくなってしまうだろう。
今日が、最後。
これからは星空が広がるだけ。
誰もが知る月は飲み込まれ、夜は当分の間、星が輝くだけ。近いうちに太陽も溶けて消える。
それでも人間は生きていける。いつもと変わらない日々を過ごせるだけの技術を作り出していた。
だから学校でも街でも今夜は人類史に残る最大のショーだとお祭り騒ぎになっていた。その光景を見るたびに、そんな声を聞くたびに、ざらりとしたヤスリに内面を撫でられるような浅い不快感を覚えていた。
今、わたしはベランダにひとり。街の光を見たくなくて上だけを見ている。
月が消える。あっけなく、髪の毛のような光を残して、空は星だけになった。
イヤープラグをしていてよかった。きっと歓声があがっていただろうから。
月は消えた。太陽も消える。星はいつまで残っていてくれる?
いつかは、夜は無明の闇になる。乾いた冷たい風が吹いてきた。体が寒さに震える。もう部屋に戻らないと体調を崩してしまう。わたしは窓ガラスを開く。振り返り、空を見た。
「さよなら、だね」
本当にずっとこのままでいられる?

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