小学二年生のころ、父からノートをもらった。リングが付いているノートで、表紙は私の大好きなピンク。
日記というものを書いてみようと思って、毎日書くことにした。日記帳の名前は「キティ」だった気がする。
初日以外呼んだことなかった名前だけど。小さい頃は何でもかんでも物に名前をつけたがる。なんでなんだろうなー。
書くことは大体いつも一緒。誰が休みでどんなことがあったか。時には好きな人のことも書いた。家族に読まれてしまうのが怖くて、誰も部屋に近寄ってこない時だけを探して、短時間で書いていたから字が汚い。
家族で出かけた旅行での思い出と、そこで得たパンフレットをベッタリと液のりで貼り付けた。
二年は繋がらなかったかな。
五年生になって、キティの存在を思い出して、また数ヶ月書いた。そして、中学生になってまた思い出して書いた。続けることはできなかったけど、たくさん書いたつもりである。でもまだまだ、白い紙がたくさんある。
また新たな恋の話を書いた。
誰も答えてくれることはない。ただ自分で自分を見つめるだけ。
この日記帳が全て埋まるまで、私の私と向き合う時間は大事にしていきたい。
「あーした天気になぁれ!」
高らかに声をあげるのと同時にその娘は、靴を高く蹴り上げた。
その娘の身長の何倍も高く上がった靴は、放射線状の弧を描いて地に落ちる。
横吹く風に吹かれながら、その娘は片足のケンケンをして靴を拾いに行った。
真っ白だった靴下の裏は、時々地面についたのか黒く汚れている。
その娘は一人だった。
そんな様子を窓から見ていた。
勉強ばかりの日々。親に受験することを強制されて、楽しくもないことだけをする。
友達は家に遊びに行って楽しく遊んでる。
内心でいいなぁと思いながらも学校での優等生キャラを保っておかなくてはいけない。
休み時間に騒いで、流行りのことを話して、先生との会話だって親しくしたい。
礼儀正しく、みんなのお手本になるような、他人につられない、先生に頼りにされる人間になってきた。
いつだって内申のために。
そうやって過ごしてきたら、いつのまにか大学生になっていた。最近は、友達と呼べる子とショッピングに行ったり、小旅行に行ったり楽しいことができている。
一人暮らしを始めて、親の目の届かないところにいれば好きなことを好きなだけ、することができた。
今はとても楽しい。
でも、昔の子供のころ特有の遊びを私は未だかつてできていない。当然だけど。
塾に行かない日なんて珍しかった私の学生時代。
取り戻すことはできないけれど、あの子と遊んでみようかな。不審者に間違われるかな、それはちょっとやだけど。
また明日、あの子の願い通り、「天気」になったら、
雲の上に雲がある。
薄い雲の上に何層もの雲がある。
ゆるい風にのって移動していく雲と、
勢いのある雲にのってどんどん遠くへ行く雲たち。
上の上には上がいる。
なんだか変な感じ。
飛行機に乗った。
人生二度目。記憶がある限りでは、一度目。
いつも米粒ほどの大きさの飛行機に俺は乗っているのだ、と思うと変な感じがする。
地上から見るとあんなに小さく見えても、飛行機から地上をみてもあまり小さいとは、感じない。
周りにはふわふわとした雲が広がっている。
その雲の隙間にはもっと下に雲がある。
いつもとは、逆。下の下には下がいた。
ふと、人間社会もこんなもんかと気づいた。
自分の立つ位置で、見えるものが違う。
まだまだ未熟なときは、手に届くことのない立場に目を向ける。その場に立とうと努力をする。
登り詰めた暁には、下にいる人を気にする。
上に立ってみれば案外ちかい場所に目指すものがあったり、頑張る方向性が間違ってたりすることがある。
下の立場にいる時は、上を気にして、
上の立場にいる時は、下を気にして、
お互いの状況をなんとなく把握していて、
それが大事なものだと俺は思ってる。
「友達同士、仲良くしましょう」
「お友達とは、仲良くしないといけません」
「お友達にはやさしくしないとだめだよ」
友達ってなに?
ずっと疑問だった。
友達って一体なんなのか。
幼稚園でも、小学校でも、なんなら中学校でもことあるごとに先生に言われ続けた。
たぶん、先生は同じクラスの人のことを友達ってことにしていたんだと思う。
でも、所詮クラスメイトはただ、偶々同じクラスに配属されたってだけ。
性格も違う、考え方も違う、得意なことだって違う、そんな人それも三十人全員と仲良くしろなんて無理だと思う。
仲良くできる子もいる。
気があって、好きなものも一緒で、何をするのも楽しくなる人。これは友達。
一方で、全く合わない子がいる。
話の趣味も、興味のある事柄も何もかもが違うと楽しくない。自分とは別の新しい見方ができるようになる?
確かにそうかもしれない。
でも、毎日ずっと仲良くし続けることなんてできない。
時々、違いを感じて視野を広げていく、くらいでいいじゃないか。
人として、優しくする必要はある。
でも、好き嫌いを我慢するのは違うとも思っている。
例えば、金銭面ならしょうがないけど、見た目が汚い子がいる。
ブサイク、ということではない。
制服が汚れていたり、髪がボサボサだったり、手が糊でベタベタだったり、顔を洗っていなかったり。
私はこんな状態のオトモダチと手を取り合って、一緒に遊ぶこと、話すことは無理。
顔を向けられない。
目をどこに向ければいいのか分からないから。
嫌いであっても、態度に出してはいけない、という考えもあるだろう。私もそう思う。
でも、無理なのだ。どうすればいい?
いい子ちゃんをしていれば、担任の先生はこの子なら仲良くしてあげてくれる、と勘違いしてなにかとペアにさせてくる。
こういう時ってどうしたらいいんだろうね。
友達って永久なものかな。
クラスが同じ時は仲良くても、離れると完全に縁が切れる子っている。この子とはもう友達って言えないのかな。お互いを利用するだけしてすぐに切り捨てる関係、表面上だけのオトモダチは私になにをもたらしてくれるのだろう。
友達はたくさんいるほどいいの?
それは、表面上の?
それとも
絶対に切り捨てることのない友達を少しがいいの?
あなたはどっち派??
先輩と呼ばれるのには、まだ慣れない。
去年までは中学一年生で、先輩と呼ぶことしかなかった。それなのに、急に下学年がやってきて、後輩をまとめる立場になり、敬われるのはくすぐったい気持ちと多少のやりにくさがある。
先輩が卒部して、完全に自分達の部活動になった。
方針を定めるのも、部活の雰囲気作りも、他部活との連携の取り方も自分たちの判断一つで決める。
頼られる人になりたい、かっこいいと思われたい、先生からの信頼を得たい、いろいろなものが積み重なって、自分のペースを乱していく。
部長になった。
選ばれたことが嬉しかった。
大変だった。
難しかった。
他の部長ができていることができなくて焦った。
辞めた方がいいんじゃないか、と思った。
後輩からの相談を受けた。同学年からも相談があった。
悩ませてしまっている自分が情けなかった。
それでも部活自体は楽しい。
チームみんなで目標を達成できた時は、泣くほど嬉しい。無邪気に「頑張ってください」と応援してくれる後輩がいる。こっちは緊張で押しつぶされそうなのに、簡単に言ってくれるな、と思うこともあった。でも、そんなものは一時の感情で、なんだかんだ勇気をもらった。
未だに指導する立場には慣れない。
自分の考えていることがちゃんと伝わっているのか、自信がない。いつも申し訳ない態度で、後輩にも下手にでる。もっと堂々とすればいいのに、と自分で自分に言う。
先輩はこんなではなかった。
もっとしっかりしてた。
手探り状態ではなく、びしっと後輩の憧れのような行動をする人だった。自分の理想と現実の決定的な違いが自分を苦しめる。
『今度の試合、見にいくからな』
先輩からの一件のLINEを今日の朝から、ずっと無視している。既読をつけた後、なんと返せばいいのか分からない。返事の正解を見つけたら、既読をつけようと思っていたが、そんなもの見当たらない。
こんな自分を見て欲しくない。
部長として機能しない自分を見られるのは恥ずかしい。
でも、きっと後輩として受け入れる返事が正解なのだ。
『はい!来てください、絶対ですよ!』
どうすれば、大会までに良い部長になれるのか。
どうしたら先輩みたいになれるのか、そんな問いばかりがぐるぐる頭を駆け回ってしまう。
『おまえ、部長できてるか?俺が最初の時はごたごたしてたから、大変だったよ。おまえも多分大変なことあると思うけど、悩みすぎんなよ』
『また、電話するわ』
二件のLINEがきた。
自分の思考を読み取ったような先輩の言葉は、いつのまにかぼろぼろになっていた心を修復してくれるような温かさがあった。
『先輩、話こんど聞いてください』
一人で解決しなくても、先輩に頼っていいのだとやっと思うことがあるできた。