たとえ初めて会う人であっても、この人と合わない、と思うならその感覚は大体あっている。
その後の交流で、どれだけ歩み寄ろうとしても
その人と過ごす時間にどこか違和感が拭えない。
稀に仲良くなれる人もいる。
しかし、最初は印象が良くても嫌いになってしまった、という人がいないのは私だけだろうか。
見た目なのか話し方なのか、身にまとう雰囲気なのか、どこで判断しているのか分からないけれど、「この人ちょっと……」となるのはなぜだろう。
私以外の子は「え、どこが嫌なの?」と疑問に思うほどのきっといい子でさえ、私は苦手に思うことがある。
それは仕様がないとして。
最近では初対面で「あっ」と思った人には近づかないようにしている。自分の成長になるとか世界が広がるとか綺麗事は置いといて、自分の興味のある数少ない人間を追い続けたい。
心の羅針盤というただの欲望で生きたい。
中学二年からずっと気になってるって言ったら、
君は引きますか?
君は結構どんな男とも仲良くて、みんなの中心になる存在ではあった。
俺は別に性格的に華がある方ではないから、仲良い人だけが寄ってくる感じだった。
でも、君はなぜか俺に構った。
そういうつもりは君になかったのかも知れない。
でも、なにかと話しかけてきて毎日顔を合わせてた。
クラスが離れた三年生になっても俺に会いにきた。
高校が離れても最初の半年は電話を頻繁にかけてくれてた。
暇つぶしだったのか。何も分からない。
ゲームしながら電話をかけてくることもあった。
俺はゲームしない派だったから話はよく分からなかったが。
高校一年の秋くらいに電話が途切れた。
自分からかける勇気はない。過去の履歴だけをみて過ごしていた。
冬になった。
俺の誕生日を祝ってくれた。そのついでにまた電話をした。その時に知ったのだが、彼女は好きな人ができて、告白して、付き合って、五日で別れたらしい。
俺は、そうか、としか返せなかった。
五日で別れたことも衝撃で今どきの恋愛はこんなものかと思った。それ以上に、好きな人ができていたことに驚いた。
悔しいとは、また違う。
空っぽ。理解できていないのかもしれない。
連絡がまた途切れた,
高校三年生の十一月。また連絡がはいった。
どうやら推薦受験を受けるらしい。いまホテルで勉強中だと。俺は嬉しくて、喜んで返事を返して応援した。
また連絡が途切れた。
今は大学一年生。インスタで繋がっているとはいえ、お互いに日常は公開しないタイプ。
どんな人になっているのか知らない。彼氏できたかな。ただ知るだけでもいい。
綺麗事だと罵られるかもしれないが、大切な君が幸せなら別に俺が介入したいとは思わないから。本当に。
推薦は県外の大学を受けていた。
夏休み、帰ってこねぇかな。
大学生の夏休みは長いから、俺に会いに来てくれねぇかな。いくじなしの俺は、ここで静かに願うことしかできない。
好きな人いるのか、何回も聞かれたあの時、はぐらかさないで答えておけば良かった。
きみだよ。
「いつか、またな」
あーあ、まただ。
また置いていかれちゃった。
いつもあんたは私を置いていく。
ふらっと私の元に帰ってきたと思えば、すぐに。
一切私を振り向きもせずに。
大きな背中と日に焼けた手の甲だけを見せてあんたは。
バタンッて玄関のドアが勢いよく閉まった。
私はあんたの連絡先を知らない。
私からは何もできない。
部屋からは他の男に媚びるための甘い香水の臭い。
吐き気がする。
なんであんたじゃないやつなんかと。
私も連れてってよ。
いつもどこ行ってんの。
なんで帰ってくんの。来ないでよ。
絶望させてよ。
私を消してよ。
あんたなんか居なくても生きてられるよ。
そう思いたいのに。
酒に溺れて知らない男と過ごして
気持ち悪くて寝込んでたら、あんたは来るんだよ。
「また遊んでたの?」
ニヤニヤした顔しやがって。
何が面白いんだ。あんたは私で遊んでくれないのに。
最悪だ。
でもほんのちょっぴり嬉しい。
絶対に悟られないようにしないと。
あー、私って可愛くない。だから置いてかれるんだ。
稀に自分は操り人形なのではないかと思う時がある。
指や、肘や、頭や、首の付け根から、目に見えない銀の蜘蛛の糸を介してどこかに吊り下げられているのではないか、と思うことがある。
それは、笑っていたのにどこか冷静になってしまった時だったり、本心とは異なる行動をしてしまった後だったり。
感情というものが自分の中にある限り「人形」ではないのかもしれない。ただ操られているからと責任逃れをしたいだけなのかもしれない。
ただ、今生きている世界が誰かの書描いた人形劇の一場面で自分はその世界を成り立たせるための構成員であるのなら、もっと生きやすくなるのかもしれない。
赤っ恥をかこうが絶体絶命の場面になろうが、これは虚構であるのだから人に影響されず、好きに行動していけるのかもしれない。
まあ、自分が作り物だとするならこの世界を作った作者はかなり変な人なのだろうと思う。
そんな変な人の立ち位置を奪い取ってやる、と思うくらいには自分は生意気なガキのまま居続けたいと思う。
もしも、水たまりの中に世界があったなら、
僕たちの生活はどのように映っているんだろう。
ぼやけた視界の中で、ネオンの色がギラギラと光っていて、明確な色の区分けなんてないのだろうか。信号の鳥の鳴く音がブクブクと聞こえるのだろうか。
眼鏡をかけた時みたいに、はっきりくっきり全てのものが綺麗で美しく見えるようになるのだろうか。小さな女の子が可愛らしい長靴で踏み込んできたときは、靴裏の溝が隅々まで見えているのだろうか。
雨が降っているときの水たまりは、構成要素となる水が上から降りてくる。もし彼らに感情があるのなら、「こっちだよ!待ってたよ!」なんて言っているのだろうか。そんなことがあるのなら、雨になってみてもいいな。蒸発しながら世界を見渡して、そしてまた降りてくる。きっと面白い。
空が晴れ渡り、道端に残った水たまりは、僕たちの住む世界が普段見ているものよりも一見美しく映し出しているように思う。雲ひとつない空と太陽の光を反射しているこの小さな鏡。
しゃがんで少しの間じっと眺めてみよう。
疲れ切って、余裕がない僕たちが見落としていた豆粒みたいなこの世界の素晴らしさに気づけるかもしれない。