『君と見た景色』
あるところにリアムという少年がおりました。
リアムは、夕暮れの小道をとぼとぼと歩いていました。
少し前に、大切な家族であるバーニーズマウンテンの
フラッフィーが病気で亡くなってしまい、
それ以来、リアムはずっと塞ぎこんでいたのです。
この道は、フラッフィーと何度も通った散歩コース。
「楽しんでる?」と問いかけるように、しきりにリアムの顔を見上げ、風や草花の匂いに鼻をヒクヒクさせたり、草を食み、あぜ道に咲く小さな花を観察していたフラッフィー。
春には、黄色いたんぽぽの絨毯に飛び込んで、帰る頃には黒い体に綿帽子をたくさん付けていました。
そんな大きな甘えん坊はもういません。
フラッフィーと過ごした日々を思い出しては、
リアムは涙が止まらなくなってしまうのです。
そんなリアムを励まそうと、
家族が彼を街へ連れ出しました。
ぼんやりとショーウィンドウを眺めていると、
どこからか視線を感じました。
振り向くと、ベンチに座った中年女性が
リアムをじっと見つめています。
正確には、彼の足元を注視していました。
リアムは女性に見覚えがありました。
以前、テレビのオカルト番組によく出演し、
最近はあまり見かけなくなった霊媒師。
テレビに出てた頃はふくよかな顔立ちでしたが、
今では痩せ細っています。
目が合うと、女性はにこりと微笑み、
リアムに声をかけました。
「あなたの足元にわんちゃんがいたの」
女性の言葉に、息を呑むリアム。
「黒い毛並みに、胸元は白くて、
頬と足が茶色の子でしょう?」
リアムは驚きました。
彼女は、フラッフィーの特徴を
ズバリ言い当てたのです。
「その子、あなたのことを心配しているよ」
自分のそばに、まだフラッフィーがいてくれた。
リアムの瞳に涙が溜まります。
「生きている人が、亡くなった者をいつまでも
思い煩っていると、その想いに引きずられて、
魂は天国へ行けなくなってしまうんだよ」
その言葉に目を見開くリアム。
彼が悲しむほど、その想いがフラッフィーを
縛り付けていたのです。
家に帰ると、リアムはフラッフィーの
遺影と遺骨の前で手を合わせました。
「もう大丈夫だよ、ありがとう」
翌朝、リアムは再びフラッフィーと歩いた小道を訪れました。たんぽぽやサンカイグサ、菜の花が風にそよぎ、ミツバチの羽音が聞こえます。
ふと、強い風が吹いて、フラッフィーが通り過ぎたように、白い綿毛が舞い上がりました。
リアムは、もう寂しくはありませんでした。
『どこ?』
ここは闇に浮かぶ舞台。
中央に佇むは、一人の執事。
彼の眼前には、扉が三つ並んでいる。
スポットライトが照らす壇上、執事の向かいに
立つは、奇抜なメイクを施した道化師。
「😃 👉🚪🚪🚪」
(訳:この三つの扉のどこかにあなたの
大切な人がいます。当てることができれば、
無事に再会できます。ただし——)
道化師は、芝居がかった仕草でジェスチャーする。
「👋😭」
(訳:外したら二度と会えません)
執事の心臓が跳ね上がった。
彼の主──誰よりも気高く、誰よりも気まぐれ。
突然消えた彼女を探し続け、そして今、
この奇妙なゲームの舞台に辿り着いた。
選択肢は三つ。
この一手を誤れば、主は永遠に失われる。
執事は中央の扉を指さした。
「真ん中を選択する」
道化師は満足げに頷くと、選ばれなかった
二つの扉のうち、一つに手をかけた。
「😳」
(訳:ここに君の大切な人はいません)
開かれた扉の向こうは、空っぽだった。
「😊🫰」
(訳:さて、ここで選択のチャンスをあげましょう)
「🚪👈🤓👉🚪」
(訳:最初に選んだ扉のままにしますか?
それとも、もう一方に変えますか?)
執事の頭の中で、冷たい声が囁く。
モンティ・ホール問題——最初に選んだものを
変えたほうが、正解の確率が上がる。
執事は逡巡した。
直感を信じるか、論理を信じるか。
「……変える」
道化師は目を細め、扉の前に立つ。
「😒」
(訳:ファイナルアンサー?)
執事が頷く。
そして、扉が開かれた——
そこにいは誰もいなかった。
黒い穴のような空間。
その奥から何かが蠢く気配を感じる。
「🤗♪」
(訳:ぶっぶー!残念でした♪)
間違えた。
たった一度の、取り返しのつかない選択。
「👋🥴」
(訳:ほなさいなら)
次の瞬間、暗闇から影のような手が幾重にも
伸び、執事を深淵へと引きずり込もうとする。
──セバスチャン!
脳内に響いたのは、懐かしい声。
執事は瞬時に胸元からチューリップの
アップリケを取り出し、道化師へ投げつけた。
それは、かつて主が夜なべして作ってくれた
魔除けのお守りだった。
「幽霊縛りアップリケ。
幽霊よ、闇の世界に帰りなさい」
「😵💫⁉️」
なんということでしょう。
道化師の体と黒い影が、渦を巻きながら
アップリケの中に吸い込まれていくではないか。
こうして舞台には、
最初に選んだ扉だけが残された。
震える手で扉を開くと、そこには体を丸め、
すやすやと眠る主の姿があった。
「( ˘ω˘ ) スヤァ…」
呑気な寝顔に、執事は思わず苦笑する。
彼女が持たせてくれたお守りが、
こんなところで役にたつとは。
起こさぬよう、そっと主を姫抱きにすると、
その場を後にした。
静寂の中、スポットライトが
ゆっくりと消えていく。
──幕は、静かに降りた。
『どうすればいいの?』
月が氷のように冷たく輝く夜。
バルコニーに吹き込む風が、
悪役令嬢の頬を優しく撫でる。
「セバスチャン……」
震える声で名前を呼ぶ悪役令嬢に、
執事は穏やかな眼差しを向ける。
「俺を選ぶことは茨の道となるでしょう」
「それでも構いませんわ。お父様にも、魔術師に
もお話します。あなたを養子として迎え入れる
なり、それが叶わないのなら、私は伯爵家の
令嬢の座を投げ打つ覚悟だってありますわ」
力強い言葉に心を揺さぶられたセバスチャン
はわずかに目を伏せ、震える手で
悪役令嬢の手をそっと握り締めた。
「俺もあなたを誰よりも大切に思っています。
ですが……」
彼は一瞬言葉を詰まらせると、
深く息をついた。
「だからこそ、あなたには幸せになってほしい。
たとえその幸せが、俺の手の届かないところ
にあったとしても」
夜風が吹き抜け、青白い月光が二人を
淡く照らし出す。
その夜、セバスチャンは辞表を置き、
誰にも見送られることなく屋敷を去った。
────
結婚式当日
ステンドグラスから柔らかな光が
差し込む神聖な教会。
白いドレスを着た小さな女の子たちが、
花を撒き散らしながら新郎新婦を祝福する。
悪役令嬢は美しい微笑みを浮かべていたが、
彼女の瞳の奥には微かな陰りが宿っていた。
「とても綺麗だ、メア」
父が優しく声をかけ、彼女の腕を取りながら
ヴァージンロードを歩く。
「ありがとうございますわ、お父様」
そう返しながらも、悪役令嬢の視線は
参列者の中をさまよう。
(セバスチャン……あなたは来ていますの?)
だが、どこを探しても彼の姿は見つからない。
人々の視線が、純白のウェディングドレスを
身に纏った悪役令嬢とタキシード姿の魔術師へ
吸い寄せられる。
彼らが並ぶ姿はまるで一枚の絵画のよう。
「汝はこの女性を愛し、
支え続けることを誓いますか」
「誓います」
牧師の言葉に答える魔術師。
「汝はこの男性を愛し、
支え続けることを誓いますか」
その時、教会の扉が静かに開き、
遠くに見慣れた人影が現れた。
「セバスチャン……!」
悪役令嬢は理性を忘れ、駆け出そうとした。
しかし、隣の魔術師が彼女の手を掴む。
紫色の瞳が悪役令嬢を捉え、無言で首を
左右に振る。その仕草に込められた意味を
理解した悪役令嬢は、胸が張り裂けるような
思いで教会の扉へ視線を戻した。
だが、扉の外にあった影は、
すでに消え去っていた。
人々の賛辞と祝福の声に包まれながら、
悪役令嬢は潤んだ瞳を閉じる。
(さようなら、私の愛しい執事……)
こうして、悪役令嬢と執事セバスチャンは、
別々の道を歩むことになった。
それでも悪役令嬢の心には、月夜に交わした
言葉が、永遠に刻まれていた。
~完~
END4「バイバイ、セバスチャン」
『ススキ』
紅や黄色に衣替えをした葉っぱ、
澄み切った空に点々と浮かぶ渡り鳥たちの姿。
もうすっかり秋です。
青空の下で執事のセバスチャンは恩師である
クロードと言葉を交わしておりました。
「先日の茶葉、誠にありがとうございました」
「たまたま手に入ったものだよ。
喜んでもらえたなら何より」
クロードは悪役令嬢の父に仕える老執事であり、
身寄りのないセバスチャンを一人前の執事へ
と育て上げた師でございます。
「仕事は順調ですか?」
疲れの色を隠せないセバスチャンを気遣うよう
に、モノクルの奥から見つめるクロード。
セバスチャンは近頃の主の様子について
打ち明けました。
彼女は部屋に籠城しており、
食事や紅茶を持ってきても、
『うるせえですわ!勝手に入ってくんなですわ!
部屋の前に置いとけですわ!』
と拒み、わがまま暴君と化していたのです。
理由は明白。セバスチャンが彼女の告白を
受け入れなかったからです。
「俺はあの方に出会うまでずっと一人でした。
己の出自すらわからない人狼が、あの方の
お傍にずっといていい筈がない」
その言葉を口にするセバスチャンは、まるで
不安に震える子どものようでした。
クロードは静かに諭すように答えます。
「君が何者であろうと、お嬢様に対する真実の
愛は変わらない。お嬢様も君が何者であろう
と受け入れてくれるだろう」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
師と別れたセバスチャンは、
あぜ道を歩きながらさらさらと風に揺れる
ススキの穂を眺めていました。
遠くには羊飼いの少年が、
草を食む羊の群れを導く姿も見えます。
屋敷へ戻ると、何やら香ばしい匂いが漂い、
髪を二つ結びにしたメイドの少女ベッキーが
セバスチャンの元へ駆け寄ってきました。
「あ!おかえりなさい、セバスチャンさん!
お嬢様を見かけませんでしたか?」
「いや……主に何かあったのか?」
「ウッドチャックを追いかけて
どこかへ行ってしまったんです」
何でも、悪役令嬢を元気づけようとベッキー
が焼き芋を作っていると、近所に棲むウッド
チャックがひょいと現れ、冷ました焼き芋を
持ち去ってしまったのです。
犯行の一部始終をとらえた悪役令嬢はウッド
チャックを追いかけて姿を消したと──。
セバスチャンはススキの群生をかき分けて、
彼女の匂いを頼りに跡を追います。
やがて開けた場所に出ると、見知った後ろ姿
を発見。ドレスの裾を束ねて屈み込む悪役令嬢
が何かを観察しておりました。
「主、ここにおられましたか」
「!セバスチャン……」
悪役令嬢は一瞬驚いたものの、
すぐに背を向けました。
セバスチャンが彼女の見つめる先に視線を
走らせますと、そこにはなんと小さな巣穴が。
巣穴からはぶくぶくに太った親ウッドチャッ
クと、小さなウッドチャックたちが顔を覗か
せてこちらを興味深そうに見つめております。
「子どもですか……」
「ええ、子のために盗みを働いた輩に鉄槌を
くだすなど、悪役令嬢の道に反することですわ」
悪役令嬢は振り向き、期待を含んだ声で
尋ねます。
「私を探しに来てくれたのですか?」
「はい」
スーツに秋草の穂を纏わせた執事の姿に、
悪役令嬢は思わず微笑みを零します。
「戻りましょう。ベッキーが心配しています」
恥ずかしそうに穂を払いながら言うセバス
チャンに、悪役令嬢は渋々立ち上がります。
「主、お話があります。後ほどお時間を」
真摯な眼差しに射抜かれ、
ドキリと胸を高鳴らせる悪役令嬢。
「え、ええ……よろしくてよ」
ススキの茂みから出てきた二人をベッキーは
笑顔で迎え入れ、それから三人で焼き芋を
食べました。
ホクホクとした焼き芋を頬張りながら、悪役
令嬢はセバスチャンを見上げます。優しい甘さ
の焼き芋は、どこかしょっぱい味がしました。
『哀愁を誘う』
「お父様、ご要件とは一体何でございますの?」
書斎の扉を開いた悪役令嬢は、
窓辺に佇む父の背中に声をかけた。
振り返った父の顔には、どこか晴れやかな
表情が浮かんでいる。
「メア、お前の婚約が決まったぞ」
その言葉に、悪役令嬢の瞳が大きく見開かれた。
相手は幼なじみ、リルガミン侯爵家の嫡男
オズワルド。古くから両家は親交が深く、
彼とは腐れ縁とも言える関係だったが、
まさか婚約など──。
「お父様、私とオズはそのような関係では
ございませんわ。彼とは友人です」
「お前がそう思っていても、向こうは違うかも
しれんぞ。実際、彼はお前との結婚に前向きな
姿勢だったそうだ」
「……」
「メア、どうか我が一族のためにもこの婚約を
受け入れてくれないか?」
真摯な眼差しで見つめる父に、
悪役令嬢は何も言い返せなかった。
---
翌日、悪役令嬢は急いで
魔術師の研究室を訪れた。
中へ進むと、ぐつぐつと煮立つ大鍋から
立ち上る蒸気と、棚に並ぶ色とりどりの
薬瓶、乾燥ハーブの香りが漂ってきた。
「魔術師、お話がありますわ!」
魔術師は相変わらずの落ち着いた様子で
振り返り、メアを迎え入れた。
「おや、どうしましたか?そんなに慌てて」
「一大事ですのよ。あなたと私が婚約させられ
そうになっていますの!」
「ええ、存じておりますよ。お爺様と伯爵が
宴の席で話しているのを耳にしましたから。
どうやら昔から決まっていたことらしいですね」
「あなたはそれでいいのですか?」
悪役令嬢の問いかけに、魔術師は少し
考え込んだ後、静かに答えた。
「僕もこの年齢になって、周りから結婚について
の助言をたくさんいただくようになりましたし、
早く身を固めて研究に没頭できるのは理想的です」
紫色の瞳が悪役令嬢を真っ直ぐに見つめる。
「メア。あなたが嫌でなければ、この話を受けて
くださいませんか?僕たちが婚約を結べば、
世間からの心配も少しは減らせるでしょう」
「私は……」
魔術師の言葉には確かに一理あった。
貴族の立場では、ある年齢になれば家のため
に結婚し、子孫を残すことが期待される。
だが、悪役令嬢の心の奥底では、ある人の
存在がわだかまりとして残っていた。
---
夕暮れに染まる庭園で、悪役令嬢は一人、
秋薔薇を見つめながら沈んだ気持ちに
浸っていた。
「何かお悩みですか?」
そこに現れたのは、彼女の忠実な執事、
セバスチャンだった。
「セバスチャン。私、婚約が決まったのです」
彼の表情が一瞬固まったが、
すぐに穏やかな笑顔を浮かべる。
「そうですか……。おめでとうございます」
「……他に何か言うことはありませんの?あなた
は、私が他の誰かと結婚してもいいというの?
私があなたのことを好きだとしても?」
勢いに任せて詰め寄る悪役令嬢。
セバスチャンの顔には驚きが浮かび、
そして苦しそうに目を伏せた。
「主、いけません。
あなたと俺では、 身分が違います」
「そんなことはわかっていますわ。
けれど私は、あなたと一緒にいたいのです」
セバスチャンはしばらくの沈黙の後、
再び悪役令嬢を見つめ、悲しげに微笑んだ。
「それは一時の迷いです。きっといつか、
あなたも真実に気づく日が来るでしょう」
彼の言葉は優しく、しかし冷静で距離を
感じさせるものだった。
それが、悪役令嬢の心をさらに痛ませた。
「もういいですわ!ふんっ!」
涙を浮かべながら悪役令嬢は踵を返し、庭園
を立ち去った。その背中を見つめながら、
セバスチャンはぎゅっと拳を握りしめ、
ただ静かに彼女の後ろ姿を見送った。
二人の間に降り注ぐ夕陽が、まるで運命の
分かれ道を照らすかのように赤く染まっていた。