悪役令嬢

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『哀愁を誘う』

「お父様、ご要件とは一体何でございますの?」

書斎の扉を開いた悪役令嬢は、
窓辺に佇む父の背中に声をかけた。

振り返った父の顔には、どこか晴れやかな
表情が浮かんでいる。

「メア、お前の婚約が決まったぞ」

その言葉に、悪役令嬢の瞳が大きく見開かれた。

相手は幼なじみ、リルガミン侯爵家の嫡男
オズワルド。古くから両家は親交が深く、
彼とは腐れ縁とも言える関係だったが、
まさか婚約など──。

「お父様、私とオズはそのような関係では
ございませんわ。彼とは友人です」

「お前がそう思っていても、向こうは違うかも
しれんぞ。実際、彼はお前との結婚に前向きな
姿勢だったそうだ」

「……」

「メア、どうか我が一族のためにもこの婚約を
受け入れてくれないか?」

真摯な眼差しで見つめる父に、
悪役令嬢は何も言い返せなかった。

---

翌日、悪役令嬢は急いで
魔術師の研究室を訪れた。

中へ進むと、ぐつぐつと煮立つ大鍋から
立ち上る蒸気と、棚に並ぶ色とりどりの
薬瓶、乾燥ハーブの香りが漂ってきた。

「魔術師、お話がありますわ!」

魔術師は相変わらずの落ち着いた様子で
振り返り、メアを迎え入れた。

「おや、どうしましたか?そんなに慌てて」

「一大事ですのよ。あなたと私が婚約させられ
そうになっていますの!」

「ええ、存じておりますよ。お爺様と伯爵が
宴の席で話しているのを耳にしましたから。
どうやら昔から決まっていたことらしいですね」

「あなたはそれでいいのですか?」

悪役令嬢の問いかけに、魔術師は少し
考え込んだ後、静かに答えた。

「僕もこの年齢になって、周りから結婚について
の助言をたくさんいただくようになりましたし、
早く身を固めて研究に没頭できるのは理想的です」

紫色の瞳が悪役令嬢を真っ直ぐに見つめる。

「メア。あなたが嫌でなければ、この話を受けて
くださいませんか?僕たちが婚約を結べば、
世間からの心配も少しは減らせるでしょう」

「私は……」

魔術師の言葉には確かに一理あった。
貴族の立場では、ある年齢になれば家のため
に結婚し、子孫を残すことが期待される。

だが、悪役令嬢の心の奥底では、ある人の
存在がわだかまりとして残っていた。

---

夕暮れに染まる庭園で、悪役令嬢は一人、
秋薔薇を見つめながら沈んだ気持ちに
浸っていた。

「何かお悩みですか?」

そこに現れたのは、彼女の忠実な執事、
セバスチャンだった。

「セバスチャン。私、婚約が決まったのです」

彼の表情が一瞬固まったが、
すぐに穏やかな笑顔を浮かべる。

「そうですか……。おめでとうございます」

「……他に何か言うことはありませんの?あなた
は、私が他の誰かと結婚してもいいというの?
私があなたのことを好きだとしても?」

勢いに任せて詰め寄る悪役令嬢。
セバスチャンの顔には驚きが浮かび、
そして苦しそうに目を伏せた。

「主、いけません。
あなたと俺では、 身分が違います」

「そんなことはわかっていますわ。
けれど私は、あなたと一緒にいたいのです」

セバスチャンはしばらくの沈黙の後、
再び悪役令嬢を見つめ、悲しげに微笑んだ。

「それは一時の迷いです。きっといつか、
あなたも真実に気づく日が来るでしょう」

彼の言葉は優しく、しかし冷静で距離を
感じさせるものだった。
それが、悪役令嬢の心をさらに痛ませた。

「もういいですわ!ふんっ!」

涙を浮かべながら悪役令嬢は踵を返し、庭園
を立ち去った。その背中を見つめながら、
セバスチャンはぎゅっと拳を握りしめ、
ただ静かに彼女の後ろ姿を見送った。

二人の間に降り注ぐ夕陽が、まるで運命の
分かれ道を照らすかのように赤く染まっていた。

11/4/2024, 10:00:11 PM