『蝶よ花よ』
「これは何ですの?」
魔術師から手のひらサイズの機械を
渡された悪役令嬢が尋ねる。
「お嬢様、これはたまごっちです」
「たまごっち」とは
はるか彼方の星に棲む生き物たちのこと。
機械を通して食事をあげたり、
遊んであげたりしてお世話をするのだという。
魔術師は執事のセバスチャンとメイドの
ベッキーにも一つずつ渡した。
三人は物珍しそうにたまごっちを覗き込む。
「丹精込めて育てれば、驚くほどの成長を
遂げますよ。さあ、あなたも今日から
たまごっちマスター!」
こうして彼らは急遽たまごっちの
お世話をする事となった。
「あっ、足が生えてますわ!」
「この右上のドクロマークは何でしょうか?」
「おそらく病気にかかっているんだ。注射を打っ
て治さねばならないと攻略本に書いてあった」
次第に熱中していく三人。
おやつをあげたり、オソマの掃除をしたり、
スキマ時間を見つけては様子を窺う。
悪役令嬢は自分のたまごっちにジョセフィーヌ
と名付け、おなか・ごきげんメーターを常に
満タンにし、蝶よ花よと大切に育てた。
「私が手塩にかけて育てたんですもの。
きっと優雅でエレガントな姿に成長しますわ」
そして、遂に最終進化の瞬間が訪れた。
ピロリン♪
軽快な電子音と共に、
頭から毛が一本生えたおじさんが誕生。
(えっ、なんか……全然可愛くありませんわ)
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「さてさて、皆さんのたまごっちは
うまく育ちましたか?」
魔術師が現れ、たまごっち品評会が始まった。
セバスチャンのたまごっちは、黒い耳が生えた
うさぎ?猫のような姿をしたキャラクターだ。
「これはまめっちですね。このゲームの看板的
存在であり育成難易度が高いキャラですよ。
やりますねぇ!セバスチャン」
「そうなのか」
お次はベッキー。彼女のたまごっちは
愛嬌溢れるアヒルの姿をしていた。
「これはくちぱっちですね。
のんびり癒し系の人気キャラです」
「なるほど!ぽてっとしていて可愛いですね」
「さあ、お嬢様のたまごっちはどんな姿に
成長しましたか?」
「うっ」
おずおずと自分のたまごっちを
皆の前に晒す悪役令嬢。
「む、むむむ!これはおやじっちです。
特殊な育て方で出現するレアキャラですよ」
「お嬢様、すごいです!」
「おめでとうございます。主」
「……」
称賛の声を浴びる悪役令嬢は、
掌の上で佇む親父ジョセフィーヌを見つめた。
「……一生懸命育てましたもの」
最後まで責任を持ってお世話しようと
密かに誓う悪役令嬢であった。
『太陽』
「水、虫除け道具、地図、コンパス、タオル、
菓子……よし、準備万端です。主」
「完璧ですわ、セバスチャン。日焼け止めも
塗りましたし、いつでも行けますわよ」
魔術師から還らずの森の奥地にある
『神秘の泉』へ冒険に行かないかと誘われた
悪役令嬢と執事のセバスチャン。
『蚊やダニやヒルにご用心を。
動きやすい服装で来てください』
機敏性と優雅さを兼ね備えた特注の冒険用
ドレスに身を包む悪役令嬢と、通気性に優れた
スーツで身を固めたセバスチャン。
待ち合わせ場所でご対面した魔術師は、
いつも通りの黒い陰気なローブ姿です。
「その格好で大丈夫なのか」
「見るからに暑苦しいですわ!」
「全身に冷却魔法の薄い膜を張っているので、
何のそのです。さあ、行きましょうか」
森に足を踏み入れる三人。
悪役令嬢たちの暮らすヘザーフィールドと
魔術師の暮らすリルガミンの狭間に広がる
還らずの森は、夏でもどこか鬱蒼としています。
「神秘の泉には妖精や森の動物たち、
運がよければケルピーなども現れますよ」
「この森には珍しい魔物も暮らしているんだな」
セバスチャンと魔術師が話していると突然、
悪役令嬢が森の中を指差しました。
「見てください、ユニコーンがいますわ!」
人前には滅多に姿を見せない幻獣ユニコーン。
太陽を浴びて輝く銀色の身体は、
神々しく幻想的です。
「ユニコーン……初めて見ました」
「くっ、素材が欲しいですが、
今回は我慢しましょう」
道中歩いていると、葉っぱの影から小人たちが
顔を覗かせ、『どこ行くのー?』と三人に
声をかけてきました。
「泉へ行くのですよ」
『案内しようか?』
「遠慮しておく」
丁重にお断りするセバスチャン。
森の住人である小人や妖精は大変いたずら
好きで、安易について行ってはいけません。
長い道のりを経て、一行はようやく泉に到着。
エメラルドグリーンの透き通った泉が太陽の光を
受けて煌めく姿はまさに神秘そのもの。
涼しげな空気が旅の疲れを癒してくれます。
「ここで休憩しましょう」
柔らかな敷物の上に、たまごサンドイッチや
クリームチーズ、オリーブ、生ハムをのせた
カナッペやローストチキンが並べられます。
魔術師はその辺に生えた草を乾燥させ、
沸かした水で即席のお茶を淹れます。
「……毒は入っていないだろうか」
「安心してください。ちゃんと
厳選したものを使っていますから」
「あらこのお茶意外とおいしいですわ」
食事を味わいながら、泉にやってきた鹿や
うさぎ、ピクシーやホビットを観察する三人。
太陽の優しい光と清らかな水の音、
素晴らしい自然の恵みのもと、三人は
冒険を楽しんだのでありましたとさ。
『鐘の音』
降り積もる雪が古城の窓辺を白く染める季節。
冷たい窓ガラス越しに雪に覆われた庭園を
眺めながら、メアは悲しみに沈んでいた。
実の母は彼女を産んですぐに亡くなり、
乳母に育てられたメア。城での生活は
メアにとって優しいものではなかった。
父の正妻であるサラの存在がその理由だ。
妾の子として生まれたメアを、
サラは快く思っていなかった。
城の人々の関心は、後継者であるメアの兄
ウィルムに注がれ、かつては共に遊んでくれた
兄の態度も最近は何処かよそよそしい。
この広大な城でメアに心を寄せる者は、
父ドレイク、メイド長メルセデス、
乳母マリアンヌ、執事長クロードのみ。
「書き取りが終わるまで食事は抜きよ」
継母の言葉に従い、筆を走らせるメア。
「終わりましたわ」
やっと書きあげたものを継母に差し出すと、
鼻でフッと笑うだけ。
メイドから渡されたトレイを
受け取る間もなく、
「あっ」
手を滑らせスープが床に零れ落ちた。
サラは忌々しげな溜め息を吐く。
「全く、鈍臭さは母親譲りね」
継母の言葉に、背後で控えるメイドの
エレノアが口元に手を当て笑う。
彼女はいつも皮肉めいた笑みや
馬鹿にしたような態度をメアに向けるのだ。
たまらなくなったメアは、
粉雪の舞う日、城を抜け出した。
白い大地に足跡を残す度、
サクッサクッと音が響く。
氷柱をまとった黒い枝先が、
鼠色の空に伸びている。
(あの者たち、今に見てなさい。
わたくしが最強の悪役令嬢となった暁には、
たっぷりいじめ抜いてさしあげますわ)
民家の軒先に飾られたヤドリギの
乳白色の実を見つめるメア。
もうすぐ聖夜祭。家々では、家族が飾り付け
を楽しみ、街へ買い出しに向かい、
和気あいあいと過ごしているのだろう。
お父さまは、わたくしがいなくなったら
悲しんでくださる?
……いいえ、きっと跡取りである
お兄さまのほうが大切なはず。
わたくしがいなくなっても誰も困らない、
むしろあの人が喜ぶだけ。
遠くから教会の鐘の音が聞こえてくる。
メアの心にぽっかりと空いた穴を、
鐘の音が通り抜けていく。
冷たい石の階段に腰を下ろし、
メアは白い息と共に小さく呟いた。
「お父さま、わたくしを迎えに来て。
わたくしが必要だと言ってください 」
しかし、父は出張で遠い国へ旅立っている。
叶わぬ願いだと知りながら、
メアは鐘の音に耳を傾けていた。
『病室』
「これは一体どういう事ですの」
街で謎の疫病が流行っているとの報告を受け、
原因を解明するため診療所を訪れた
悪役令嬢と執事のセバスチャン。
病室は高熱や下痢、嘔吐を訴える患者で
ごった返していた。
涎を垂らしながら激痛に喘ぐ者、
神への祈りを唱える者、医者たちは
人手不足でてんてこ舞いの状態。
「どうやらただの食あたりではないようだ」
聞き覚えのある声に振り向けば、
悪役令嬢の兄ウィルムが立っていた。
「領地に駐在している兵士たちの中にも
同じ症状を訴える者が出始めている」
事態を重く見た伯爵は、直ちに軍医団の
派遣を命じて、患者たちへ血清の投与を開始。
悪役令嬢とセバスチャンは早速、
患者の家族に聞き取りを行った。
「皆、先日の祭りで配られたプディングを
口にしているようですね」
「プディングを作った店へ向かいましょう」
街で有名な洋菓子店へ赴き、
店主に事情を聴くと、自分の店が
原因ではないとの一点張り。
「うちは商品を出す前に従業員共々味見をして
ますが、そんな症状は見られませんでしたよ」
「とりあえず店の中を見せてください」
半ば強引に中へ押し入ると、そこには想像を
絶する光景が広がっていた。
鍋の中を走り回るネズミ。ネズミの糞尿
だらけの床、天井裏に散乱するネズミの死骸。
思わず口元を押さえる悪役令嬢と、店内の
様子から状況を把握したセバスチャン。
「なんて不衛生極まりないのかしら……」
「──おそらくネズミの糞が菓子に混入した事が
菌の繁殖に繋がったのです。従業員たち
が無事だったのは、作りたてを味見したから
でしょう」
常温で置かれた商品から菌が増殖し、
それを食べた人達が病を発症したのだ。
翌日、領地の人々による
緊急会議が開かれた。
「食品衛生法の改正が必要ですわ。食品を扱う
者があのような杜撰な管理をしていれば、
また同じような事件が起きますわ」
「定期的な店舗査察も効果的かと」
セバスチャンが補足する。
「地域全体の消毒も実施しよう」
ウィルムが付け加える。
「村人たちの協力も仰ぎましょう。例えば、
ネズミ1匹につき5ペインで買い取る制度
を設けるのは如何ですか」牧師が提案。
伯爵が深く頷く。
「良い案だ。早速取り掛かろう」
こうして、対策が次々と実行に移された。
悪役令嬢とセバスチャンは衛生指導を、
ウィルムは消毒作業の指揮を、牧師は
村人たちへの励ましと協力の呼びかけを担当。
ネズミの買取制度は予想以上の効果を発揮
し、村人たちは熱心にネズミ捕りに励んだ。
数週間後、ネズミの数は激減し、新たな感染者
も報告されなくなった。
問題の発端となった洋菓子店は閉店し、
店主は別の地で新たな商売を始めたらしい。
かくして皆の協力により、領内から疫病の
脅威が去ったのであった。
『だから、一人でいたい』
深夜の書斎にて、雨風がびゅうびゅうと窓を
叩く音が鳴り響く。揺らめくランプの光が、
羊皮紙に踊る影を投げかける中、魔術師は
羽根ペンを握り締め、新しい調合のアイデアに
思いを馳せていた。
「ローズマリー、マジョラム、ヒヨス、
赤ん坊の胎盤にユニコーンの角……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら筆を進めて
いると、ガサッと静寂を破る物音が。
視線を向けると、紫色の網模様が特徴的な猫
が、キラキラと期待に満ちた眼差しで、
玩具を咥えて佇んでいた。
「チェシャ猫、まだ起きていたんですか」
「チェシャと遊ぶにゃ」
「今忙しいのでまた今度にしてください」
魔術師の言うことなどお構い無しで机に
ひょいと飛び乗ってきたチェシャ猫。
マグカップに鼻を寄せて、スンスン嗅いだかと
思いきや、突如砂かけの動作を始めた。
「オソマだにゃ!
オズがオソマ飲んでるにゃ!」
「これはコーヒーです。
オソマではありませんよ」
それからというもの、チェシャ猫はふよふよ
と宙を舞い、魔術師の周りを旋回。
声をかけたり、ザラザラの舌で顔を舐めたり、
絶え間なく彼の注意を引こうとする。
「チェシャにかまえにゃ」
今度は大切な羊皮紙の上で
ゴロリゴロリと転げ回る始末。
「もー、本当に手が離せないんですってば」
ふと、魔術師はチェシャ猫の手に目を留めた。
「おや、チェシャ猫。爪が伸びてきましたね。
丁度いい、今から切ってさしあげましょう」
その言葉に、チェシャ猫はすかさず
香箱座りをしてサッと手を隠す。
「いやにゃ」
「駄目ですよ。伸ばしたままでは
爪が引っかかって危ないですから」
そうしてチェシャ猫は、に゛ゃ あ゛あ゛あ゛
という抗議の声と共に、パチン、パチンと
魔術師のお膝元で爪を切られた。
不貞腐れたチェシャ猫のご機嫌を直すため、
戸棚からチュールを取り出す魔術師。
ぺろぺろと美味しそうにチュールを舐める猫
を見つめながら、魔術師は深いため息をつく。
(結局、全然捗っていませんね……)
猫とは、まことに気まぐれな生き物だ。
かまってほしい時は素っ気なく、一人にして
ほしい時は、やれかまえと執拗に甘えてくる。
だがしかし、その予測不可能な魅力こそが、
彼らの真髄。
猫の真理を悟った魔術師は、
柔らかな笑みを浮かべるのであった。