悪役令嬢

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『だから、一人でいたい』

深夜の書斎にて、雨風がびゅうびゅうと窓を
叩く音が鳴り響く。揺らめくランプの光が、
羊皮紙に踊る影を投げかける中、魔術師は
羽根ペンを握り締め、新しい調合のアイデアに
思いを馳せていた。

「ローズマリー、マジョラム、ヒヨス、
赤ん坊の胎盤にユニコーンの角……」

ぶつぶつと独り言を呟きながら筆を進めて
いると、ガサッと静寂を破る物音が。

視線を向けると、紫色の網模様が特徴的な猫
が、キラキラと期待に満ちた眼差しで、
玩具を咥えて佇んでいた。

「チェシャ猫、まだ起きていたんですか」
「チェシャと遊ぶにゃ」
「今忙しいのでまた今度にしてください」

魔術師の言うことなどお構い無しで机に
ひょいと飛び乗ってきたチェシャ猫。
マグカップに鼻を寄せて、スンスン嗅いだかと
思いきや、突如砂かけの動作を始めた。

「オソマだにゃ!
オズがオソマ飲んでるにゃ!」

「これはコーヒーです。
オソマではありませんよ」

それからというもの、チェシャ猫はふよふよ
と宙を舞い、魔術師の周りを旋回。
声をかけたり、ザラザラの舌で顔を舐めたり、
絶え間なく彼の注意を引こうとする。

「チェシャにかまえにゃ」

今度は大切な羊皮紙の上で
ゴロリゴロリと転げ回る始末。

「もー、本当に手が離せないんですってば」

ふと、魔術師はチェシャ猫の手に目を留めた。

「おや、チェシャ猫。爪が伸びてきましたね。
丁度いい、今から切ってさしあげましょう」

その言葉に、チェシャ猫はすかさず
香箱座りをしてサッと手を隠す。

「いやにゃ」
「駄目ですよ。伸ばしたままでは
爪が引っかかって危ないですから」

そうしてチェシャ猫は、に゛ゃ あ゛あ゛あ゛
という抗議の声と共に、パチン、パチンと
魔術師のお膝元で爪を切られた。

不貞腐れたチェシャ猫のご機嫌を直すため、
戸棚からチュールを取り出す魔術師。

ぺろぺろと美味しそうにチュールを舐める猫
を見つめながら、魔術師は深いため息をつく。

(結局、全然捗っていませんね……)

猫とは、まことに気まぐれな生き物だ。
かまってほしい時は素っ気なく、一人にして
ほしい時は、やれかまえと執拗に甘えてくる。
だがしかし、その予測不可能な魅力こそが、
彼らの真髄。

猫の真理を悟った魔術師は、
柔らかな笑みを浮かべるのであった。

7/31/2024, 7:00:11 PM