悪役令嬢

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8/5/2024, 6:00:05 PM

『鐘の音』

降り積もる雪が古城の窓辺を白く染める季節。
冷たい窓ガラス越しに雪に覆われた庭園を
眺めながら、メアは悲しみに沈んでいた。

実の母は彼女を産んですぐに亡くなり、
乳母に育てられたメア。城での生活は
メアにとって優しいものではなかった。

父の正妻であるサラの存在がその理由だ。
妾の子として生まれたメアを、
サラは快く思っていなかった。

城の人々の関心は、後継者であるメアの兄
ウィルムに注がれ、かつては共に遊んでくれた
兄の態度も最近は何処かよそよそしい。

この広大な城でメアに心を寄せる者は、
父ドレイク、メイド長メルセデス、
乳母マリアンヌ、執事長クロードのみ。

「書き取りが終わるまで食事は抜きよ」
継母の言葉に従い、筆を走らせるメア。

「終わりましたわ」
やっと書きあげたものを継母に差し出すと、
鼻でフッと笑うだけ。

メイドから渡されたトレイを
受け取る間もなく、

「あっ」

手を滑らせスープが床に零れ落ちた。
サラは忌々しげな溜め息を吐く。

「全く、鈍臭さは母親譲りね」

継母の言葉に、背後で控えるメイドの
エレノアが口元に手を当て笑う。
彼女はいつも皮肉めいた笑みや
馬鹿にしたような態度をメアに向けるのだ。

たまらなくなったメアは、
粉雪の舞う日、城を抜け出した。

白い大地に足跡を残す度、
サクッサクッと音が響く。
氷柱をまとった黒い枝先が、
鼠色の空に伸びている。

(あの者たち、今に見てなさい。
わたくしが最強の悪役令嬢となった暁には、
たっぷりいじめ抜いてさしあげますわ)

民家の軒先に飾られたヤドリギの
乳白色の実を見つめるメア。

もうすぐ聖夜祭。家々では、家族が飾り付け
を楽しみ、街へ買い出しに向かい、
和気あいあいと過ごしているのだろう。

お父さまは、わたくしがいなくなったら
悲しんでくださる?
……いいえ、きっと跡取りである
お兄さまのほうが大切なはず。

わたくしがいなくなっても誰も困らない、
むしろあの人が喜ぶだけ。

遠くから教会の鐘の音が聞こえてくる。

メアの心にぽっかりと空いた穴を、
鐘の音が通り抜けていく。

冷たい石の階段に腰を下ろし、
メアは白い息と共に小さく呟いた。

「お父さま、わたくしを迎えに来て。
わたくしが必要だと言ってください 」

しかし、父は出張で遠い国へ旅立っている。
叶わぬ願いだと知りながら、
メアは鐘の音に耳を傾けていた。

8/3/2024, 6:00:19 AM

『病室』

「これは一体どういう事ですの」

街で謎の疫病が流行っているとの報告を受け、
原因を解明するため診療所を訪れた
悪役令嬢と執事のセバスチャン。

病室は高熱や下痢、嘔吐を訴える患者で
ごった返していた。
涎を垂らしながら激痛に喘ぐ者、
神への祈りを唱える者、医者たちは
人手不足でてんてこ舞いの状態。

「どうやらただの食あたりではないようだ」

聞き覚えのある声に振り向けば、
悪役令嬢の兄ウィルムが立っていた。

「領地に駐在している兵士たちの中にも
同じ症状を訴える者が出始めている」

事態を重く見た伯爵は、直ちに軍医団の
派遣を命じて、患者たちへ血清の投与を開始。

悪役令嬢とセバスチャンは早速、
患者の家族に聞き取りを行った。

「皆、先日の祭りで配られたプディングを
口にしているようですね」

「プディングを作った店へ向かいましょう」

街で有名な洋菓子店へ赴き、
店主に事情を聴くと、自分の店が
原因ではないとの一点張り。

「うちは商品を出す前に従業員共々味見をして
ますが、そんな症状は見られませんでしたよ」

「とりあえず店の中を見せてください」

半ば強引に中へ押し入ると、そこには想像を
絶する光景が広がっていた。

鍋の中を走り回るネズミ。ネズミの糞尿
だらけの床、天井裏に散乱するネズミの死骸。

思わず口元を押さえる悪役令嬢と、店内の
様子から状況を把握したセバスチャン。

「なんて不衛生極まりないのかしら……」
「──おそらくネズミの糞が菓子に混入した事が
菌の繁殖に繋がったのです。従業員たち
が無事だったのは、作りたてを味見したから
でしょう」

常温で置かれた商品から菌が増殖し、
それを食べた人達が病を発症したのだ。

翌日、領地の人々による
緊急会議が開かれた。

「食品衛生法の改正が必要ですわ。食品を扱う
者があのような杜撰な管理をしていれば、
また同じような事件が起きますわ」

「定期的な店舗査察も効果的かと」
セバスチャンが補足する。

「地域全体の消毒も実施しよう」
ウィルムが付け加える。

「村人たちの協力も仰ぎましょう。例えば、
ネズミ1匹につき5ペインで買い取る制度
を設けるのは如何ですか」牧師が提案。

伯爵が深く頷く。
「良い案だ。早速取り掛かろう」

こうして、対策が次々と実行に移された。

悪役令嬢とセバスチャンは衛生指導を、
ウィルムは消毒作業の指揮を、牧師は
村人たちへの励ましと協力の呼びかけを担当。

ネズミの買取制度は予想以上の効果を発揮
し、村人たちは熱心にネズミ捕りに励んだ。
数週間後、ネズミの数は激減し、新たな感染者
も報告されなくなった。

問題の発端となった洋菓子店は閉店し、
店主は別の地で新たな商売を始めたらしい。

かくして皆の協力により、領内から疫病の
脅威が去ったのであった。

7/31/2024, 7:00:11 PM

『だから、一人でいたい』

深夜の書斎にて、雨風がびゅうびゅうと窓を
叩く音が鳴り響く。揺らめくランプの光が、
羊皮紙に踊る影を投げかける中、魔術師は
羽根ペンを握り締め、新しい調合のアイデアに
思いを馳せていた。

「ローズマリー、マジョラム、ヒヨス、
赤ん坊の胎盤にユニコーンの角……」

ぶつぶつと独り言を呟きながら筆を進めて
いると、ガサッと静寂を破る物音が。

視線を向けると、紫色の網模様が特徴的な猫
が、キラキラと期待に満ちた眼差しで、
玩具を咥えて佇んでいた。

「チェシャ猫、まだ起きていたんですか」
「チェシャと遊ぶにゃ」
「今忙しいのでまた今度にしてください」

魔術師の言うことなどお構い無しで机に
ひょいと飛び乗ってきたチェシャ猫。
マグカップに鼻を寄せて、スンスン嗅いだかと
思いきや、突如砂かけの動作を始めた。

「オソマだにゃ!
オズがオソマ飲んでるにゃ!」

「これはコーヒーです。
オソマではありませんよ」

それからというもの、チェシャ猫はふよふよ
と宙を舞い、魔術師の周りを旋回。
声をかけたり、ザラザラの舌で顔を舐めたり、
絶え間なく彼の注意を引こうとする。

「チェシャにかまえにゃ」

今度は大切な羊皮紙の上で
ゴロリゴロリと転げ回る始末。

「もー、本当に手が離せないんですってば」

ふと、魔術師はチェシャ猫の手に目を留めた。

「おや、チェシャ猫。爪が伸びてきましたね。
丁度いい、今から切ってさしあげましょう」

その言葉に、チェシャ猫はすかさず
香箱座りをしてサッと手を隠す。

「いやにゃ」
「駄目ですよ。伸ばしたままでは
爪が引っかかって危ないですから」

そうしてチェシャ猫は、に゛ゃ あ゛あ゛あ゛
という抗議の声と共に、パチン、パチンと
魔術師のお膝元で爪を切られた。

不貞腐れたチェシャ猫のご機嫌を直すため、
戸棚からチュールを取り出す魔術師。

ぺろぺろと美味しそうにチュールを舐める猫
を見つめながら、魔術師は深いため息をつく。

(結局、全然捗っていませんね……)

猫とは、まことに気まぐれな生き物だ。
かまってほしい時は素っ気なく、一人にして
ほしい時は、やれかまえと執拗に甘えてくる。
だがしかし、その予測不可能な魅力こそが、
彼らの真髄。

猫の真理を悟った魔術師は、
柔らかな笑みを浮かべるのであった。

7/30/2024, 8:00:26 PM

『澄んだ瞳』

「おや、またやらかしてしまいました」

目の前の白い子犬を見つめる魔術師。
子犬の正体はなんと
執事のセバスチャンだった。

「魔術師!一体どういうことですの?」

「変身魔法を試していたのですが、どうやら
力の加減を誤ってしまったようです」

悪役令嬢は小さくなった
セバスチャンを優しく抱き上げた。

「セバスチャン、大丈夫ですか?」悪役令嬢が
心配そうに尋ねると、セバスチャンは
小さな尻尾を振って「くぅん」と鳴く。

「効果は半日から長くても三日ほど続くと思わ
れます。その間、彼の面倒をお願いしますね」

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

穏やかな昼下がり、蝶やミツバチが飛び交う
庭園で悪役令嬢と仔狼セバスチャンは
追いかけっこや水遊びをして戯れていた。

「子どもの頃は今と瞳の色が違うのですね」

ダークブルーの澄んだ瞳を持つあどけない子犬
が、金色の瞳をした立派な狼に成長するの
だから実に不思議なものだ。

悪役令嬢が「あおーん!」と遠吠えをすると、
彼女に続いて小さなセバスチャンも口の形を
Aにして「アオーン!アオーン!」と鳴いた。

(嗚呼、なんて愛らしいのでしょう……)

「お嬢様、その子はどうしたのですか?」

「知人から預かって欲しいと頼まれましたの。
名前は……セバ太郎ですわ」

「なるほど!セバ太郎さん、
お腹は空いていませんか?」

ベッキーは小さな茶碗にミルクを注ぎ、
子犬の前に置いた。すると上品に、
しかし少し不器用にミルクを飲み始める。

「あ、飲んでます!かわいい……」
「あら、口の周りが汚れてますわね」

子犬の可愛さにうっとりするベッキーと、
ハンカチで子犬の口元を拭う悪役令嬢。

夜になり、悪役令嬢は自室のベッドに
セバスチャンを招き入れた。

「今宵は特別ですわ。一緒に寝ましょう」

悪役令嬢はセバスチャンを抱き上げ、寝具に
潜り込む。小さくなったセバスチャンは、
彼女の胸元に収まるようにして丸くなった。

「おやすみなさい、セバスチャン」

セバスチャンは小さく「くぅん」と鳴き、
彼女の手を舐める。その仕草に悪役令嬢は
微笑み、彼を抱きしめたまま眠りについた。

翌朝、悪役令嬢が目を覚ますと、
ベッドの上には元の姿に戻った
セバスチャンが横たわっていた。

「おはようございます、主」
「まあ、セバスチャン。元に戻れたのですね」

ホッとする反面、もう少しだけ子犬の
セバスチャンと過ごしたかった悪役令嬢。
何はともあれ、子犬騒動は無事
収束したのであった。

7/27/2024, 4:45:23 PM

『神様が舞い降りてきて、こう言った』

日曜の朝、教会の鐘が村中に鳴り響く。
鐘の音に導かれるまま、悪役令嬢と執事の
セバスチャンは、石畳の小道を歩んでいた。

「セバスチャンは礼拝には行かれますの?」
「いえ、あまり……」

実のところ、セバスチャンはほとんど教会
の中へ入った事がない。自身の体に流れる
魔物の血が、神聖な場所を避けているのだろう。

「……そうですの。まあ、私も足繁く通う程の
信仰心は持ち合わせていませんから」

教会の扉が開かれ、二人は静謐なる
空間に足を踏み入れた。

ステンドグラスから降り注ぐ柔らかな光、
静かに響き渡るオルガンの音色、
清らかな讚美歌の調べ。

「愛する兄弟姉妹たちよ。今日も共に主の
御前に集うことができ、感謝いたします」

牧師が聖書を開き、朗々と語り始める。

「人はパンのみにて生きるのではない、神の
口から出る一つ一つの言葉により生きる」

牧師の言葉は次第に熱を帯びていく。

「時に、神は私たちの想像を超えた姿で
現れます。例えば───竜の姿で」

礼拝が終わり、振り香炉の残り香が教会内に
漂う中、悪役令嬢が牧師に近づいた。

「これはメア様。
お越しくださいましてありがとうございます」

「たまには教会にも顔を出さないといけません
もの。セバスチャンは初めてお会いする
かしら。この者は殉教者カリギュラ。
我が教区の牧師ですわ」

「カリギュラと申します。以後お見知りおきを」

セバスチャンは差し出された
手を握り返し、ギョッとした。
恐ろしく冷たい手と、彼が纏う死の匂いに。

「……失礼ですが、あなたは何故
教会に務めておられるのですか」

セバスチャンの言葉に、
殉教者の目が妖しい光を宿す。

「ある日、神が舞い降りてきて、
ワタクシにこう告げられたのです。
『種を蒔く者は竜の言葉を蒔く者であると』」
「……」

この国の宗教は女神信仰が主流。その対をなす
竜は、悪魔の象徴とされていたはず───。

「ところで君は聖書を読みますか」
「いえ全く」
「なんと、いけません。いけませんよ。君の
ような者にこそ、神の教えは必要なのです」
「はあ」

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「少し変わった方だったでしょう」
「はい、確かに……」

殉教者から渡された聖書を抱えて
帰路につく二人。
竜の鱗のような雲で彩られた夏空を
見上げながら、セバスチャンの心にもまた、
疑問の種が蒔かれていた。

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