『あいまいな空』
あたしの名前はモブ崎モブ子!
私立ヘンテコリン学園に通う高校一年生。
蒸し暑い雨季が訪れ、
湿った空気が肌に絡む今日この頃。
空を仰げば、灰色の厚い雲が空を覆い、
いつ雨が降り出してもおかしくない
重たい雰囲気が漂っていた。
「天気良くないね」
「だね~」
友だちのリディルちゃんと
口を揃えながら下校するモブ子。
(今日は傘持ってきてないから、
途中で雨が降らないといいけど)
「じゃあね!モブ子ちゃん」
「またねー」
河川敷を早足で歩いていると、
モブ子が想いを寄せている同級生の
セバスチャン・フェンリル君の姿を視界に捉えた。
彼は今日も捨てられた子犬の
お世話をしているみたい。
声を掛けようか迷っていると、
突如、荒々しい雨が地面を叩き付け始めた。
「うわ、最悪!」
雨に打たれまいと、
急いで橋の下に避難するモブ子。
突然の来訪者に彼が声をかけた。
「あんたは……」
「あ、どうも……」
川面を激しく打ち付ける
雨粒の音が響く中で黙り込む二人。
ザーザーと滝のように降る雨を
興味津々で眺める子犬。
雨は余計な雑音を振り払い、
まるでこの世界に二人きりで
取り残された気分に陥らせてしまう。
すると子犬がモブ子の足元に近寄ってきて、
遊びに誘うようにじゃれついてきた。
「きゃんきゃん!」
小さなしっぽをふりふりさせる子犬の
愛らしい仕草にモブ子の頬が緩む。
「かわいい……」
「こいつ、あんたに遊んで欲しいみたいだ」
すぐそばで聞こえてくる低い声音に、
胸がドキドキしてしまうモブ子。
「ねえ、この子……ずっとここにいるの?」
「ああ……早く飼い主を見つけてあげないとな」
「あの、だったらさ!うちでこの子飼うよ!」
モブ子の口走った言葉に
目を見開くフェンリル君。
「本当にいいのか?」
「うん。うちの家族みんな犬好きだし、
ね、うちにおいでよ!」
「きゃん!」
頭を撫でながら声をかけると、
子犬は嬉しそうに返事をした。
やがて雨は上がり、雲間から光が射し込む。
二人は金色に淡く光る曇天の空を見上げた。
「あんた、名前は?」
「も、モブ崎!モブ崎モブ子です!」
フェンリル君はモブ子を見つめ、
柔らかく微笑んだ。
「ありがとうモブ崎。また明日な」
彼はそう言い残し、
子犬の頭を優しく撫でて去っていった。
「……」
(名前、呼んでもらえた……)
腕の中の子犬をぎゅっと抱きしめながら、
嬉しさに浸るモブ子。
それから彼女は陽気な足取りで
帰路についたのであった。
『街』
「セバスチャン、私お出かけしてきますわ」
「どちらへ?」
「九狼城へ。会いたい方がおりますの」
街の名前を聞いた途端、
セバスチャンは眉をひそめた。
「あそこは治安が良くない、
一人で行くのは危険です。俺も同行します」
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九狼城。
蜂の巣のように建物が密集し、
歪な城塞都市を形作るスラム街。
ここは犯罪と違法薬物の巣窟であり、
不法移民や難民、犯罪者や魔物の血を引く
者たちの格好の隠れ家でもあった。
無数の屋台が軒を連ね、
地底の迷路のような狭い路地からは
ドブや麻薬特有の甘い臭いが立ち昇る。
壁には大量の落書きと
裸婦のポスターが貼られ、
街の灯りには蛾が群がり、
屋台の料理には蝿がたかる。
治安も衛生環境も劣悪だが、
同時に熱気と賑わいに満ちた
下町情緒が色濃く残る刺激的な場所だった。
屋台で買った肉まんを食べながら街を歩く二人。
「久しぶりだな、フェンリル」
突如、荒々しい目つきをした野犬のような
風貌の男が現れセバスチャンに声をかけた。
「ガルム」
「知り合いなのですか」
悪役令嬢が小声で問いかけると、
セバスチャンは僅かに頷く。
「しばらく見ない間に
随分と垢抜けたこった」
ガルムと呼ばれた男は不敵な笑みを
浮かべながら、悪役令嬢に視線を向ける。
「お前の連れからいい匂いがする。
ここの女とは違う上等な香りだ」
男の視線から遮るように
彼女を背後に隠すセバスチャン。
「この方に指一本でも触れれば、お前を殺す」
「ふん、ナイト気取りが」
男はつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「なあフェンリル、また一緒に組まないか。
そしたらこの街を俺たちの物にできる」
「お前の話に付き合っている暇はない」
セバスチャンは彼女の手を取り、
すぐさまその場を後にした。
薄暗い路地裏を通り抜けながら、
悪役令嬢は執事に尋ねる。
「あなたはここに
暮らしたことがあるのですか」
「はい、少しの間ですが」
セバスチャンと出会ったのはこの九狼城。
彼はボロボロの姿で路地裏に倒れていたのだ。
揺らめく街の灯りを横目に、
悪役令嬢は控えめにセバスチャンの横顔を仰ぐ。
彼の過去や混沌としたこの街との繋がりを
もっと知りたい。
静かな好奇心が彼女の中で募り始めていた。
『やりたいこと』
穏やかな日差しが降り注ぐ優しい昼下がり、
領地の修道院では恒例の
炊き出しが行われています。
悪役令嬢と執事のセバスチャンは、この日の
炊き出しを手伝うため修道院へ姿を見せました。
「スープはこちら側にお並びくださいませ」
手際よく案内を続ける若い修道女。
二人は彼女の指示に従い、
早速準備に取り掛かります。
炊き出しには、日雇い労働者や
職を持たない方々がたくさん訪れます。
「ありがとうございます」
「神の御加護がありますように」
悪役令嬢とセバスチャンは一人一人に
丁寧に声を掛けながら、
スープとパンを手渡していきます。
最初はぎこちなかった作業も次第に
滑らかになり、行列の先にいる人々の表情にも
少しずつ安らぎが見て取れるようになりました。
「お嬢様、ごきげんよう」
そこへ何人かの少女たちが、
悪役令嬢のもとにやって来きました。
スカートの裾をちょこんと摘んで挨拶をする
可愛らしいレディ達に、微笑みかける悪役令嬢。
「ごきげんよう、素晴らしい天気ですわね」
その光景を優しい眼差しで
見つめていたセバスチャン。
ふと視線を下に向けると、サッカーボールが
彼の足下に転がってきました。
一人の少年が呼びかけてきたので、
セバスチャンはボールを思わず
力強く蹴り返してしまいました。
疾風の如く少年の横を通り過ぎたボールに
子どもたちは最初唖然としましたが、
やがて大きな歓声が響き渡りました。
「セバスチャン?」
いつの間にか姿を消していた執事を探していると、
なんとそこには無邪気に笑う彼の姿が。
子どもたちと一緒にサッカーを楽しむ
セバスチャンを見て、悪役令嬢は
心底嬉しくなりました。
彼女のやりたいこと
それは領地の方々の暮らしを
もっとよく知ることです。
彼女のお父様が以前、領民を幸せにする事
こそが貴族の責務だと話しておられました。
このような日々を通して、悪役令嬢は
領民の暮らしをより身近に感じられるよう
になりましたとさ。
『朝日の温もり』
「セバスチャン、起きてくださいまし!」
名前を呼ばれ、微睡みの中にいた意識が
ゆっくりと浮上して行く。
瞼を開けば、艶やかな黒髪を耳にかけ、
己の体をゆさゆさと揺する主の姿が瞳に映る。
「主……?」
「セバスチャン。
私、朝のお散歩に行きたいですわ」
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鼻をつんと刺激するひんやりと澄み切った空気、
じっとりとした泥臭いにおいが漂う
暗い湿原の中を歩き続ける二人。
空を仰げば、藍色と橙色が入り交じり、
バラ色の小さな雲が幾つも浮かんでいる。
夜明けが近い。
さわやかな風が木々を吹きぬけ、
枝を揺さぶりざわめかせ、
鳥たちが朝のコーラスを歌う。
朝焼けが森を染めあげた頃、
二人は農村が見渡せる丘へと辿り着いた。
霞の中に佇む古びた風車、
朝の風を受けてさわさわと寝返りをうつ
大麦畑はまるで金色の大海原のようだ。
その眺めにセバスチャンは目が眩む。
なんと美しい光景なのだろう。
「あなたにこれを見せたかったのですわ」
隣に並び立ち彼の腕にそっと触れる主。
清々しい朝の空気を肺いっぱいに吸い込み、
素晴らしい景色を心ゆくまで眺めた二人は、
次に人気のない野原へ向かった。
海の滴と呼ばれる青い花を咲かせたローズマリー
小さな鐘のような姿をしたカンパニュラ。
暖かい日射しを浴びた花々は
風が吹く度に花弁を揺らし、
甘い香りを運んできてくれる。
朝露できらきら煌めく草原の上を
気持ちよさそうに駆け回る白銀の狼。
それを見て愛おしげに微笑む彼の主。
「セバスチャン!」
その声にピン!と耳を立てた狼は
一目散に主の元へやって来た。
彼女が頭を撫でると、耳を後ろに倒して
甘えるように顔を擦り付ける。
「えいや!」
彼女が体を軽く押せば、いともたやすく
ころんと転がり、無防備にお腹を見せる狼。
わしわしと豪快に撫でられた彼は、
穏やかな表情を浮かべながら
しっぽをぶんぶんと振り回した。
濡れた野草の感触とにおい、花の香り、
朝日の心地よい温もり、
それから彼女の優しさに触れた
セバスチャンは、その日一日を
幸せな気持ちで過ごすことができたのであった。
『世界の終わりに君と』
年代物のシャンパンを片手に
悪役令嬢の屋敷へ訪れた魔術師。
来たる終末の日────
悪役令嬢のお屋敷では
お別れパーティーが開かれていた。
悲しいことに彼女は友達が少ないので
呼べる相手はごく僅か。
父からの返答は「行けたら行く」
お父様、それは絶対に来ない方の常套句ですわ。
限られた友人たちも
最期の日は家族と過ごすと決めていたので
参加者は悪役令嬢と執事のセバスチャン、
魔術師の三人だけ。
ろうそくの仄明かりの中、
純白のテーブルクロス上にご馳走が並べられる。
ローストポーク、ラザニア、マルゲリータ、
焼き立てのパンが入ったバスケット。
バターのコクとレモンソースの風味が
加わったリッチな味わいの白身魚のムニエル。
さわやかなトマトの酸味が口いっぱいに
広がるカチャトーレ。
エビと野菜のアヒージョは、
カリカリに焼いたパンと一緒に召し上がれ。
「セバスチャンの料理は絶品ですね」
美食を堪能する魔術師が執事へ
賛辞を送ると、悪役令嬢が口を尖らせた。
「私も一緒に作りましたわ」
(野菜を切ったりしただけですけれど)
お次にシャンパンのコルクがポン!と
小気味好い音を立てながら解放され、
ぱちぱちと弾けるシトリン色の美酒が
フルートグラスに注がれてゆく。
「乾杯!」
グラスを合わせると涼やかな音が鳴る。
フルーティーかつ芳醇な香りと味わいに
うっとりとした笑みを浮かべる悪役令嬢。
「はぁ、素晴らしいですわ」
「ふふ、実家の酒蔵からくすねてきた
甲斐がありました」
美味しい食事とお酒に和やかな会話。
和気あいあいとした雰囲気から突如、
悪役令嬢がわっと泣き出した。
「主!どうなされましたか」
「私……もうあなた方に会えないと思うと、
悲しくて涙がちょちょ切れてしまって」
巷ではノストゥラサムスンによる
終末論が世間を騒がせている。
悪役令嬢もその噂に感化された一人だ。
アルコールで涙腺が緩んだ彼女は
ナプキンでちーんと鼻をかむ。
それを見た魔術師がセバスチャンに耳打ちする。
「まさか、お嬢様はあの胡散臭い予言を
信じておられるのですか」
「ああ……」
ヒソヒソと密談する二人を
じろりと睨む悪役令嬢。
「あら、殿方たちで私の悪口でも
お話されているのかしら?」
「そんな訳ないじゃないですか、ねえ」
魔術師がセバスチャンに促すと、
見目麗しい執事は目を泳がせた。
隕石の襲来に恐れ慄きながら、
いつの間にか眠りに落ちていた悪役令嬢。
目が覚めると宝石のような朝日が東の空に
浮かんでおり、あの予言がでたらめだった
ことにようやく気がついたのであったとさ。
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※『明日世界が終わるなら』
と話が繋がってます!