『朝日の温もり』
「セバスチャン、起きてくださいまし!」
名前を呼ばれ、微睡みの中にいた意識が
ゆっくりと浮上して行く。
瞼を開けば、艶やかな黒髪を耳にかけ、
己の体をゆさゆさと揺する主の姿が瞳に映る。
「主……?」
「セバスチャン。
私、朝のお散歩に行きたいですわ」
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鼻をつんと刺激するひんやりと澄み切った空気、
じっとりとした泥臭いにおいが漂う
暗い湿原の中を歩き続ける二人。
空を仰げば、藍色と橙色が入り交じり、
バラ色の小さな雲が幾つも浮かんでいる。
夜明けが近い。
さわやかな風が木々を吹きぬけ、
枝を揺さぶりざわめかせ、
鳥たちが朝のコーラスを歌う。
朝焼けが森を染めあげた頃、
二人は農村が見渡せる丘へと辿り着いた。
霞の中に佇む古びた風車、
朝の風を受けてさわさわと寝返りをうつ
大麦畑はまるで金色の大海原のようだ。
その眺めにセバスチャンは目が眩む。
なんと美しい光景なのだろう。
「あなたにこれを見せたかったのですわ」
隣に並び立ち彼の腕にそっと触れる主。
清々しい朝の空気を肺いっぱいに吸い込み、
素晴らしい景色を心ゆくまで眺めた二人は、
次に人気のない野原へ向かった。
海の滴と呼ばれる青い花を咲かせたローズマリー
小さな鐘のような姿をしたカンパニュラ。
暖かい日射しを浴びた花々は
風が吹く度に花弁を揺らし、
甘い香りを運んできてくれる。
朝露できらきら煌めく草原の上を
気持ちよさそうに駆け回る白銀の狼。
それを見て愛おしげに微笑む彼の主。
「セバスチャン!」
その声にピン!と耳を立てた狼は
一目散に主の元へやって来た。
彼女が頭を撫でると、耳を後ろに倒して
甘えるように顔を擦り付ける。
「えいや!」
彼女が体を軽く押せば、いともたやすく
ころんと転がり、無防備にお腹を見せる狼。
わしわしと豪快に撫でられた彼は、
穏やかな表情を浮かべながら
しっぽをぶんぶんと振り回した。
濡れた野草の感触とにおい、花の香り、
朝日の心地よい温もり、
それから彼女の優しさに触れた
セバスチャンは、その日一日を
幸せな気持ちで過ごすことができたのであった。
6/9/2024, 6:00:08 PM