シュテュンプケ

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3/26/2023, 12:58:55 PM







 恋するあなたが見たかった。

 相手は誰だっていい。わたしでなくても、どこの馬の骨が相手でも……とはいかないけれど、あなたを幸せにできる人なら。

 恋の熱にうかされ、瞳を潤ませ、頬を夕陽の色に染めるあなたが見たかった。

 恋は世界を変えてくれるという。視界に宝石のかけらを散りばめてくれると。不安で眠れない夜を生み出し、同時に世界でいちばんになれるくらいの幸福感を与えてくれると。

 わたしの恋とは、恋と呼んでいいかもわからない醜い感情とは違って、あなたなら輝かしくうつくしい恋をできるはずだった。

 わたしにはあなたを幸せにしてやれなかった。生まれてきてよかった、このために生まれてきたと思わせてあげられるようなことなんてたったのひとつも、わたしは、終ぞ、あなたに、何も。

 棺の扉は閉まっていた。とても見せられるようなものではないと家族は泣き崩れた。頭から落ちたせいで、あなたの顔は復元もできないくらいにぐしゃぐしゃになってしまった。

 ……恋をして、しあわせになって、穏やかに眠るあなたが見たかった。







3/25/2023, 3:33:27 PM





 閉め切ったカーテン。大して広くはない部屋。質素で無機質なベッドやテーブルや椅子が置かれている、生活感の薄い中でケージの鉄色がひとつ異彩を放つ。

 なるべく大きなものを選んできたけれど、それでも少しばかり狭苦しかった。

 背中を丸めて脚を抱え込み、正体を確かめるように首輪に触れながら、あなたはじっとこちらを見上げていた。まるく見開かれた瞳は現状を何も理解してはいなかった。

 しっかり固定されたケージは内側からは持ち上げられない。扉も鍵がなくては開けられない。

 その鍵はわたしの手の中にある。首輪の鍵も同様に。

 どうして、とちいさな声が問うた。どうしてこんなことを。自分はなにかしてしまったのか。

 不安げで、頼りなく震えて、あなたは次の瞬間にわたしがドッキリ成功の札でも掲げるのを期待しているようだった。

 どうして。────負の感情ではない。あなたを憎んではいないし嫌ってもいない。かといって正の感情もなかった。

 あなたを手元に置いておきたいだけ。すべてを管理して、わたしがいなくては生きられないようにしたいだけ。好きじゃなくてただの独占欲だ。

 檻の隙間から手を差し伸べて頭を撫でたら、あなたは怯えた顔で身をよじらせた。






3/24/2023, 5:12:45 PM







 天気予報がよほど大事らしい。

 この地域のは気にも留めず、次の次に映った地域の予報をあなたは食い入るように見つめた。

 晴れ、ところにより雨。降水確率、気温、花粉の飛散度────

 ぁあ。あなたは小さくため息を吐いて、画面のすぐ近くで背を丸め、祈るように両手を組んだ。

 その背中に覆い被さって抱きしめる。怯えて震える体を包み、腹に腕をまわす。ちゃんと食べさせているはずなのに心なしか痩せたような気がする。

 かたかた揺れながらもしっかり組んだままの手、左の薬指。その根本をぐるりとひき攣れた傷跡が囲んでいる。

 自分の未来をわたしにくれたあなた。わたしのものになってくれたかわいい人。最初は触れるだけで泣きじゃくっていたのに、今は静かに抱きしめさせてくれる人。

 できるならわたしだけを見ていてほしいけれど、もう二度と会えない家族の日々の穏やかさを画面越しに祈るくらいは、許してあげよう。





3/23/2023, 2:44:37 PM






 土を掘る。

 掘る。

 肌を刺す寒さと月光の中、滲み出す汗を拭って掘り進める。大きなシャベルを振りかざす。土くれを抉る。

 腰まで埋まるほどに掘った穴を拡げ、側に山を積みあげて、地面に突き立てたシャベルにもたれて荒くなった息を吐く。

 真っ白いけむりが細くたなびいた。ひとりぶんだけ。

 やっとのことで見つけた棺の土を払った。木の色をしたそれはずいぶん汚れてしまっていた。

 蔦の生い茂った教会。隅の共同墓地。

 まともな墓石さえ刻まれない、こんなところにあなたを置いておくわけにはいかない。

 抱きあげたあなたの体は、誰より綺麗だった、誰より特別だったあなたは、葬ったときよりずいぶん軽くなってしまっていた。






3/22/2023, 10:33:19 AM





 夕暮れの教室。吹き込む風がカーテンとあなたの髪を揺らす。

 二人きりの勉強会、他愛ないお喋りと質問、ペンの音。外から聞こえるからすの声。

 夢か物語みたいな光景の合間に、あなたはこっそりとわたしに打ち明けてくれる。

 なんだか最近ものがよく無くなるんだって。
 どこかから見られている気がするんだって。
 ひとりのはずの帰り道、足音がひとつ多いんだって。

 怖がる顔をするあなたに笑ってしまいそうになって、わたしは頬の内側を噛んで堪えた。

 わたしには解けない問題だって解けてしまう、クラスの誰より賢いあなた。

 なのに誰が部屋にカメラを仕掛けたかはわからないんだね。







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