テリー

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10/25/2024, 1:34:21 AM

白い軍服を肩から羽織り、まるで外套のようにはためかせながら、男は大股で急いていた。
表情は険しく肩で風を切る姿に、すれ違うものは皆驚き男に道を譲った。
「—レイ!」
扉を開くと同時に男—ウォーカーは吠える様に呼びかけた。呼ばれ振り向いた赤毛の男は、ウォーカーを見とめるや否や和かに応えた。
「ウォーカー!こっちから声掛けに行くつもりだったのに。わざわざ来たのか?」
数名の部下と共に荷造りしていたようで、既に部屋の半分程が片付き殺風景に見えた。それがウォーカーの心境を逆撫でした。
「あのふざけた辞令は本当なのか」
—レイ・ウォーリア少佐をダマスカス国境地帯第二戦闘区域第十四番隊部隊長へと任ずる。
「ふざけたってお前なあ。映えある抜擢って言ってくれよ」
「馬鹿言え!あそこは…」
死にに行く様なもんだ。ウォーカーは言いかけて喉が詰まる。国境地帯の戦闘区域は何処も激しい戦闘が続いている。
前任がヘマをした尻拭いを誰かがしなければ、必ずそこから敵は攻め込んでくる。早急に対処が必要だった。
そんなこと誰もが理解していた。ただ納得がいかないだけで。
「分かってる。遊びに行くつもりなんて無い。でも心配要らない。俺の悪運知ってんだろ?な、大佐?」
レイは茶化すようにウォーカーの胸を小突くも、その手をがっしりと取られる。怒気をはらんだ顔がぐっと近付く。
「だからって、見送れって言うのか?!友が、死地に赴くのを!黙って!!」
あまりの気迫にレイは口をぽかんと開けて呆けた表情で固まった。二人の様子に、側にいたレイの部下達も荷造りの手を止めて見守っている。
この口下手な男が必死に何か伝えようとしている。長く側にいた友だからこそ、レイには分かりきっていた。それが嬉しくも心苦しかった。
「ウォーカー。俺が行かなきゃ他の誰かが行く羽目になるだろ」
「ならお前じゃなくていい」
これは長引くぞ。レイは苦笑し部下に目配せする。二人は静かに頷きそそくさと部屋を後にする。
「そういうわけにはいかないだろ。国の危機なんだから」
「ならこんな国滅んじまえ」
「そんな悲しいこと言うなよ」
レイはそっとウォーカーの手に自分の手を重ねた。手首を握る彼の手は情けない程小さく震えていた。ウォーカーは何度も何かを言いあぐね、漸く虫のさざめき程小さな戦慄く声で告げた。
「……行くなよ」
なんて弱々しい姿だろう。味方を鼓舞し、自ら敵陣へと斬り込む、皆が知る勇敢な姿とは全くの別人だった。
「帰ったらさ、愚痴でも何でも全部聞くから。だからさ…」
レイの頭上から小さな嗚咽が聞こえる。肩口に覆い被さるように、ウォーカーが額を擦り付けた。
まるで母に縋る子供のようだ。レイは困った顔で微笑んだ。
「そんな顔すんなよ」

≪行かないで≫

10/24/2024, 12:29:36 AM

トゥルーブルー—誠実な人。
貴方と聴いた曲。大好きだった。

徹夜明けの皺々の顔で、明美は朝日を拝んだ。
社会人3年目。学生時代から付き合っていた彼氏から別れのメッセージが来たのは10日ほど前だ。
返す暇もない程の多忙な一週間が過ぎ、そのうちアプリを立ち上げることすら億劫になっていた。
追撃が来たのは数時間前。『さよなら』と淡白な4文字だけが送られていたのに気がついたのは、つい先程締切のデータをサーバーに格納した後だった。
女々しいやつめ。あたしより”悲劇のヒロイン”してやがる。明美はその4文字に顔を顰めた。
院に進んだ彼にはこの苦しみは分かるまい。と思う気持ちと、ここまで頑張っても受注しなければインセンティブすら入らないのかという徒労感と。
好きな業種に就けた喜びと、ここを逃せば同業に再就職は厳しいだろうという焦り。第二新卒という括りにも期限があった。
友達は好き勝手「辞めなよ」と心配だけして、親は「折角の正社員なのに」と無責任なことばかり言った。
明美は理想と現実の狭間で雁字搦めになっていた。疲れ果てていた。

二徹の後の土曜。朝6時の帰り道は、この世に明美以外は存在しないかのように静まり返っていた。
ビルとビルの合間から差し込む朝日と、イヤホンから流れる美しい旋律。トゥルーブルー。明美が大好きな曲だった。
「……辞めよ」
ぼんやりと、だが確信を持って呟く。リセットしよう。なにもかも。疲れてしまった。
あんなくそくらえな仕様書も、あんな自己愛まみれの男も、全部無かったことにしよう。
明美は晴々としていた。迷いは無かった。理由なんて要らなかった。
この空と同じ。どこまでも果てなく晴れ渡っていた。

≪どこまでも続く青い空≫

10/22/2024, 1:31:22 PM

「ゆかりさん、はい乗って」
新しいスリッカーを片手に膝を叩く。
彼女—縁(三毛/3歳/メス)は非常に利口だ。指示通り俺の膝へひらりと乗った。
この時期になるとゆかりさんの抜け毛は増量する。なので俺がその”衣替え”のお手伝いをする。
ここでフォローしておくが、彼女は決してズボラなわけではない。毎朝しっかりと顔を洗い、毛繕いも欠かさない。
逆を言うと、彼女が美意識高く居続けると、身体中舐めまわし、部屋中が毛玉だらけになってしまうというわけだ。
なので、お手伝いと称して彼女のブラッシングを定期的にしているのだ。この時期は特に念入りに。
「どう?前回のラバーブラシより気持ちいい?」
「にゃあん」
ゴロゴロと喉を鳴らし嬉しそうに答えるゆかりさんに俺は満足げに頷く。
彼女の背に彼女の頭と同じくらいの毛玉がモコモコと出来上がっていく。
「もう冬が来るねぇ」
ゆかりさんは三毛だから、俺が黒を着ても白を着ても抜け毛が目立つ。なんせ毛色が三色もあるオシャレさんだから。
だが、ようやくこれで夏服に着いていた毛ともおさらばだ。ブラッシングしまくって、衣替えをすれば暫くは抜け毛の付いていない服を着られる。
俺はウキウキしながら彼女のブラッシングを続けた。
—そんな苦労など、二日も持たないなどとは…つゆほども知らずに。

≪衣替え≫

10/21/2024, 2:01:55 PM

—打てよ、打てよ。打て打てよ。お前がやらなきゃ誰がやる。
「かっ飛ーばせー!たーかちほ!」
固く結ばれた指が、祈りを乗せて一層締め付けられる。
—さあ、フルカウント満塁。ピッチャー振りかぶって……。
キィン、と響く鋭い金属音と共にドッと湧き上がる歓声。
ピッチャーが青ざめた顔で振り返る。客席も、カメラも、茶の間も、一斉にその視線の先を追った。
美しい放物線を描いた打球は些か伸び悩み、天高く掲げられたグラブへと吸い込まれて行った。

学校総出で応援に行った甲子園地区予選決勝。9回裏、逆転のチャンスが訪れたが、センターフライでゲームセット。敗退してしまった。
瑞樹は散々日焼け止めを塗ったものの、顔も腕も真っ赤に腫れ上がってしまった。
今日は振替休日であったが、日焼けで身体が怠いからと、瑞樹は冷房の効いた部屋で二度寝をしていた。
だが母の言葉で飛び起きる。
「みずきー。リョウタ君来てんで」
「…は?!」
慌ててパーカーを羽織り、瑞樹は玄関まで向かう。
「うっす」
「っす…」
ランニング途中で寄ったのか。涼太は上下ランニングウェアを身に纏っていた。少し汗ばんでいる。
すぐ瑞樹は後悔した。寝起きそのままで出迎えてしまったし、なにより。
「いや、自分声枯れ過ぎやろ」
「……うっせ」
昨日応援で叫び過ぎたせいか、喉はささくれ立って聞き取りにくくなってしまった。
「…ごめんな。応援してくれたんに」
「…ぇぇょ」
カッスカスの声で答える。わざわざ謝りに来たんだ。そう思うと、胸がギュッと苦しくなった。
もっと気の利いた事を伝えたいのに。瑞樹は必死に唾を飲み込み声を発した。
「…また来年で、ええよ」
同時に鼻の奥がツンとした。ウチが泣くんは違うやろ。そう言い聞かせ、俯く。
「…おう。来年は絶対連れてったるよ」
チラリと目をやった涼太の顔は、瑞樹よりもっと日焼けして黒々としていた。肌が坊主頭と一体化して、まるでタピオカみたいだ。
気を揉んだかと思ったが、少し目が赤くはあるもののその表情は清々しいものであった。
「お前ん声、めっちゃ聞こえたわ。来年も頼むで」
「アホ。聞こえるかいな」
軽く小突くと涼太は嬉しそうに笑い、踵を返した。軽く手を振りその背を見送る。
(来年も、いくらでも応援したるから。やから)
がんばれ。瑞樹は小さくなる背に檄を入れた。

≪声が枯れるまで≫

10/21/2024, 2:03:55 AM

きっかけはいつも些細なことだった。
「大体貴方は…!」
女特有の金切声が開始の合図だ。萌は「またか」と小さく溜息を吐いて自室へと引っ込んだ。
一階から両親の言い合いがくぐもって聞こえる。夕飯後はいつもこうだ。
母の小言が積み重なって、父が弱々しく言い返す。すると母のヒステリーが爆発してゴングが鳴る。
(こんなに相性悪いのになんで離婚しないんだか)
離婚するとなればどちらに着いて行こうか。母に着いていけば小言の矛先は自分に向かうだろう。だが父に着いていけば家事は必然的に萌の役割になるに違いない。
ただ金銭的に父に着いて行った方が得はする。進学も出来るだろう。
そこまで考えて、萌は自分の打算的な発想に辟易とした。
ベッドに横たわり、癖のようにスマホを弄った。SNSに機械的ないいねを送りつつ、ぼんやりと考える。
(自分もああなっちゃうのかな)
いつも不機嫌そうな母の顔を思い返し、自分の将来の姿を想像した。自分そっくりな子供を前に、イライラした自分の姿。隣には—。
(やだな。タケル先輩はお父さんみたいにヘラヘラしなきゃいいけど)
そこまで思案し、萌は急に我に返る。頬がじんわりと熱くなる。勢い良く枕に顔を突っ伏し小さく唸った。
「めぐみー。降りといで。メロン切ったよ」
先程の不機嫌さなど微塵も感じられない母の声。
ダイニングへ向かえば、瑞々しいメロンが皿に並んでいた。
「どしたんこれ」
萌の問いに父が小声で答える。
「こういうの買っといたらママの機嫌治るでしょ」
手慣れてる。でも父の言う通り母は鼻歌混じりで上機嫌だ。本当、始まるのは突然だけど終わるのも突然。巻き込まれる身にもなってほしい。
(お似合いだわ、あんたら)
萌は呆れつつも、その美しい緑の半月にかぶりついた。

≪始まりはいつも≫

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