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1/24/2025, 11:03:42 AM

「優しい嘘」


「貴方なんて、大嫌い」
初めて貴方についた、嘘。
貴方の気持ちが、既に彼女に移ってる事は知ってる。
でも、優しい貴方は、私に言い出せない。
だから、私から言い出さなければ、きっとこのままで何となく居られる。

でも、それで私の悲しみは癒される?
貴方の心は、ここにないのに?
貴方も、彼女も、私も、誰一人幸せになれないのに?

貴方と、笑い合いたかった。
貴方と歩みたかった。
貴方と、時間を紡ぎたかった。

でも、それは2人の心がここにあるからで。
心もないのに、そんな事をしても、ただただ辛くなるだけ。
実際に目の前に貴方が居ない寂しさと、目の前に貴方が居るからこその寂しさと。
一体どちらがより寂しいのだろうか。辛いのだろうか。

でも、もしかしたら。
又一緒の時間を過ごす内に元に戻れるかも、とか。
色んな事をつらつらと考えて。

そして出した私の答え。

私は、人の気持ちを大事に出来ない人にはなりたくない。
自分の好きな人を、苦しめる人にはなりたくない。
「頑張ったね」って、自分を褒められる自分で居たい。

そして何より。
貴方に幸せで居て欲しい。
貴方に、笑顔で居て欲しい。
だって、貴方が大好きだから。

だから。
「貴方なんて大嫌い。」

心おきなく彼女の所に行って。
私から別れを言い出したんだから、気にしないで。
彼女の元に行って、心からの笑顔を見せて。

ねぇ。
貴方はいつも笑っていて。
私は、その笑顔に何度も救われたのだから。
貴方はいつも幸せで居て。
私は、貴方に幸せを沢山貰ったから。
私は、貴方の優しさに、沢山の事を教わったから。

だから、私に出来るただ一つの事。
優しい貴方の為に、優しい嘘をつかせて。

1/23/2025, 1:15:21 PM

「瞳をとじて」


瞳をとじて、と言えば、平井堅さんのあの有名な曲を思い出す。

その当時は特に失恋した訳ではなかったし、長い間付き合ってる彼氏もいた。でも、この歌が流れてくる度に、この歌詞の様に思えたあの恋を思い出して、あの人に想いを馳せてた。

今となっては、正直日々の生活にいっぱいいっぱいで、ときめきとか切なさを感じる事は、殆どない。
って言うか、そもそも恋もしてない。
夫に恋したまま居られたら良かったけど、世の中そんなに上手くはいかず、あの頃の恋心はいつの間にか生活に変わってしまってた。
そして、夫の居る身で新しい恋なんて勿論出来る訳もないし、しようとも思わず。

そんなこんなで、今の私にはあの頃の気持ちは、遠い遠い昔の出来事だけど。

でも、忘れない。忘れていない。

あの人を想った事。嬉しかった事。愛しかった事。
ときめいた事。切なかった事。苦しかった事。 
それでも、あの人と出逢えた事を感謝した事。

あの人との全てが、今の私を形作ってる。
今でも、私の中にあの人の欠片が存在していて。
それはきっと、一生の宝物で。
少女だった、純粋だったあの頃の私の、大切な一部。
何があっても汚れない、失くさない、私の芯の一部。

1/22/2025, 11:16:39 AM

「あなたへの贈り物」


貴方に何を贈ろうか。
貴方は何が嬉しいんだろう?
どうせプレゼントするなら、喜んでくれる物がいい。

靴?鞄?アクセサリー?食べ物?
それとも、手作りの何か?
旅行とかライブチケットとか、そういうのは?

って、悩むフリしてるけど、ホントは、私は気づいてる。
貴方が一番欲しい物。

いつも、貴方の視線は彼女を見てる。
眩しげに目を細めながら。
これ以上愛しい物はない、っていう眼差しで。
その眼差しが時々悲しげになるのは、彼女が彼と居る時。

貴方の想い人は、彼のもの。
悲しいけど、貴方が一番欲しい物は手に入らない。

だから、せめて。
一番欲しい物ではないけど。
彼女の心は手に入らないけど。
でも、彼女の心の入れ物なら。

赤い血の滴る、彼女のハートを、貴方に。

1/21/2025, 1:33:46 PM

「羅針盤」


もし人生が航海だとしたなら。
きっと私の羅針盤は母だと思う。

幼い頃は、母が大好きだった。
でも、思春期から大人になるにつれて、嫌で嫌で堪らない時期があった。
真面目で、融通が効かなくて。
すぐに人を信じて利用されて。
お節介だし、世話焼きで煩がられるし。
もう、言う事、やる事全てが鬱陶しいし、言ってる事もやってる事も、全て何だか的外れだと思ってた。

すぐに人を信じて騙されて、利用されて、馬鹿にされて。
若い頃は見ていて腹も立ったし、正直、馬鹿だとも思ってた。
そんな母に反発して、道を逸れてしまった事もあった。

でも、自分があの頃の母の年齢になって、母の正しさや善良さを、やっと理解出来た。
ただただ母は善人で、私に身を持って「正しさ」を、「道徳」を、教えてくれていた。

あの頃から又何年も経って。
自分自身も経験を積んで、色んな事を考えて。
あの頃の母の年齢もとうに通り越して。
それでも、やっぱり何かをする時に、迷ったり悩んだして。
そんな時には、考える。

「これは正しい事なのか?」
「あの、善良で、堅実な母が眉を顰める様な事じゃないか?」

損得ではなく、人として正しいかどうか。
自分を誤魔化していないか、ズルをしていないか。
自分にも、人にも、言い訳をしていないか。

勿論最終的に決めるのは私自身なのだが、母の生き様はずっと私の羅針盤になっているし、これからもずっと、私の生きる指針となるだろう。

1/20/2025, 10:35:06 AM

「明日に向かって歩く、でも」


人は皆、明日に向かって歩いてる。
生まれ落ちたその瞬間から、避けられない明日へ、その先にある死へ向かって、歩いてる。

老人も若者も。金持ちも貧乏な人も。
人種も性別も関係なく、皆に平等に時は過ぎ、死が訪れる。

でも。

それを無駄にするのか、有益にするのかはその人それぞれで。
同じ方向を向いて歩いて居ても、同じ物が見えているとは限らない。
それぞれに見えるモノ、感じる事は違っていて。
だからこそ、一人一人が、それぞれの力でしか作れないモノがある。

どうせ避けられない、いつかはやって来る「死」ならば。
精一杯、生きよう。笑える位、足掻こう。

自分が歩いた道を、誇りに思える様に。

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