緋鳥

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5/22/2024, 6:22:45 AM

「透明」

 私はいつも、いてもいなくてもいい存在だった。

 親は出来のいい弟の面倒ばかり見た。元々男の子が欲しかったらしい。すぐに私の衣食住は子供でもわかるほど弟の方が良かった。親は弟が90点を取ると天才と褒めた。私が100点を取っても当たり前でしょと言った。そのうちテストを見せなくなった。

 クラスでも一人だった。本が好きだったのもあるが、親に喋りかけても欲しい言葉は返ってこないので口を開かないでいたら学校でも口を開かなくなっていた。ただ勉強と委員の仕事は真面目にしていたので、先生の目には止まっていた。
 学生時代は、クラスでたまに真面目だったり、明るい子だったりが一人の私を気にかけたり、面白がって声をかけてくる。その子達が私と最低限の人間との付き合い方を教えてくれたが、頻繁に遊びに誘ってくれるわけでもなく、彼女達曰く、私は「数合わせ要員」だったそうだ。

 社会に出ると、いてもいなくてもいい存在である私はそれが強く出た。
 社会の歯車として働くが、私の代わりは誰でもいる。たまたま入社して、あてがわれた位置に私という歯車がはまっただけだ。

 今日は一人、休みが出て、その人の分まで仕事をする。誰かが休んだ社員を恨んでいるがインフルエンザは仕方がない。
 そうすると、仕事とか社会というものは案外歯車が一つかけてもなんとかなるという事実がわかる。

 「お疲れ様でした。お先に失礼します」

 自分の分の仕事を終わらせ、挨拶をするが、返事は誰からも返ってこない。キーボードの音が虚しく会社の中に響いている。

 私は一人、会社を後にする。いつもの道を通って駅に向かう。たまたま私と帰る時間が一緒だったという人達が同じような顔で電車を待っていた。

 その人達に混じる。途端に、私がどこにいるかわからなくなる。雑踏に紛れた私に誰も気が付かない。気を向けない。スマホの画面に同じように視線を向けている。左右を見ても同じだった。同じようにスマホに目を向けていると、自分の輪郭が無くなって、透明になってしまった気がした。人の海に溶けた私は、波に流されて電車に乗る。

 私がここにいる実感がなかった。酷く自分の感覚が朧で、透明だった。人に圧迫されて、どこからどこまで私か分からなくなる。
 
 ぼんやりと外の景色を見る。灯りの下には誰かがいて、生活している。仕事をしている。私の知らない世界がある。私がいなくても、回る世界が広がっている。この電車の中にも、私の関係なく自分の世界を回している人がいる。

 社会の歯車の私は、酷く透明で小さい。それをいつも感じて生きている。

 微かに、バレないように息を吐く。

 それだけが、私がここにいる証だった。

 

 

5/15/2024, 5:56:39 AM

「風に身を任せて」

 疲れていたと思う。
 気がついた時には会社へ行く電車を見送り、適当な電車へと飛び乗っていた。

「……チャージしといてよかった」

 的外れな言葉が口から漏れる。電車賃など気にしている場合ではない。今もスマホから上司からの電話がひっきりなしに来ている。煩わしくなってスマホの電源を落とした。とたん、ふっと肩の力が抜け、電車の背もたれに深く座り込んだ。

「なんかもう、どうでもいいや」

 少し、疲れていたのだと思う。慣れない仕事や、苦手な人間関係。毎日毎日何かに追われている感覚。それから逃げたかった。寝ているのに寝ていない感覚はずっと続いている。食事もまともなものを食べていない。そう思うと、久しぶりに胃の辺りがくう、と動いた。

 どこかで降りて、何か美味しいものでも食べよう。

 そう考えていると、ふと、斜め前の人と目が合った。
 寝癖がついたままのサラリーマンは、私と目があうとすぐ視線を逸らしたが、この人もきっと同じなのかもしれないと思った。
 見渡すと電車には数人、同じようにスーツ姿の人がちらほらと見える。そして、皆同じようにくたびれた顔で、外を見ていた。

 皆どこかへ逃げたいのだろうか。

 電車は動く。次の駅名を告げるが知らない名前だった。
 電車の窓の外は、流れるように景色が流れていく。
 このまま、行けるところまで行こう。終点まで行くのもいい。どこに行くかなんて知らない方がいい。そっちの方が、楽しそう。

 幼い頃見た、風に流される雲を思い出す。あの頃は風に乗れると信じていた。

 電車に身を任せて私はどこへ行くのだろう。
 きっと外を流れる風だけが知っている。
 

 

5/8/2024, 7:45:21 AM

初恋の日


 初めて恋をしたのは小学生の時だった。
 ただ同じクラスで、仲良くなった男の子。

 一緒にいるだけで楽しかった。校庭で遊ぶのも一緒に帰るのも楽しかった。「またね」と互いの家へ続く分かれ道で別れるまで、私と彼は一緒だった。

 中学校も一緒だった。小学生から少し成長し、恋愛や異性が気になる年頃に成長したクラスメイト達は、当然のように付き合ってると揶揄われたが、お互いに「こいつとはない!」と同じ答えをして、またそれを揶揄われるを繰り返した。
 面倒になりながら繰り返し繰り返し否定し、同じように一緒に帰り、時々、コンビニに寄り道して小腹を満たして、中身が無い話をして、帰る。

 それがずっと続くと思っていた。

「好きな子が出来たんだ」

 そう、彼が言ったのは私が期間限定の棒アイスを味わっていた時だった。その言葉に、甘いアイスの味は私の口の中から消えた。

「……だれ?」
「同じクラスの佐藤さん」
「ああ」

 誰より一緒にいて、誰より彼と付き合いがある私は、彼の異性の好みも知っていた。
 彼が名前をあげた佐藤さんは、まさに彼の好みとぴったりだった。たまに、クラスメイトと一緒に話しているのを見たことがある。

「そっか。好きな人ができたか」

 私はアイスを齧りながら、考える。
 彼は私の言葉を待っているようだ。

「告白して、それからじゃない?好きなんでしょ?彼女にしたいんでしょ?ほら、がんばれ」

 に、と笑う。彼は私がそう言うのを待っていたように、笑い返した。

「ありがとう。勇気出た」
「いつする?」
「近いうちに。覚悟はできた」
「それでこそ男だ!」

 骨は拾ってやると、背中を叩きながら言うと、思ったより力がこもってしまったらしく、彼は飛び上がった。

「いてぇよ」
「すまん」
「反省してねえ」
「ごめん」
「ごめんで済むなら」
「がんばれ」

 言葉を遮る。
 私が言うのもなんだが、彼はいい男だ。顔もいい。性格も少し優しすぎるが、それがモテるらしい。欠点は少し運動が苦手なところだが、本人はきっとこれから頑張るだろう。

「がんばれよ」
「おう」

 それから、本当に他愛の無い話を少しして、彼は見たいテレビがあるからと先に帰った。
 自転車に乗って、彼の背中が遠ざかって行くのをコンビニの駐車場で見送る。

 とっくに食べ終わったアイスの棒を齧りながら、一人、コンビニの駐車場で立ち尽くす。

「好きな人ができた、か」

 呟くと、急に胸が苦しくなった。わけもなく何かが喉の奥から込み上げてきた。込み上げたものを、言葉にして吐き出す。そうしないと、胸が燃えてしまいそうだった。泣き出しそうで、叫びそうで、でも、出来なくて、口から出たのは、巨大な感情のほんのひとかけらだった。

「私の方が、好きだったんだけどな」

 胸の中で、何かが崩れて、足元から消えていく。
 あんなに燃えていた火が急に消えて、体が冷たくなった。そして、私は恋が終わったと分かった。

 私の初恋の日は、あっけなく終わった。
 そして、彼の初恋の日が始まるのだろう。

 なぜ背中を押したかなど、簡単な話だ。

 好きな人には、彼の好きな人と結ばれて幸せに、笑っていてほしいじゃないか。
 隣に私はいなくても、笑っていてほしいほど、私は彼が好きだった。

「失恋おめでとう。私」

 家に帰って、部屋で思いっきり泣こうと思った。
 そしてやけ食いして、全てを忘れよう。関係がどうなるかなんて、明日考えよう。

 そして私は財布の中身を確認し、全財産をスイーツに変えるためにコンビニの中にもう一度入った。 

4/29/2024, 9:02:02 AM

(残酷表現、怪我表現。暴力表現注意)


 気がつけば私の体は宙に浮いていた。
 酷くゆっくりと感じるのは、今から死ぬという事実を脳が処理できていないからだろう。
 壊れたフェンスと共に、私の体はゆっくりと屋上から地面へと落下し始める。宙へと倒れ込む私を、三人は呆気に取られた顔で見ている。
 今まで散々、「落としてやる」「飛び降りろ」「動画撮るから早く落ちて」と楽しげに高い声で私に迫っていたが、いざ私が抵抗して、一人が私をフェンスへ突き飛ばしたら、思ったより勢いがあって、私はバランスを崩してフェンスに倒れ込んだ。

 そこがたまたま錆びたフェンスで。
 たまたま私の体重を支えきれず根本から折れて。
 酷く耳障りな音と共に私の体は宙にあっさりと投げ出されて。
 とても青い空が、目に映って。
 三人のポカンとした顔がとても面白い顔で。

『あ』

 その場の全員が同じ言葉を口にした。

 刹那。

 風を切る音が耳元で流れる。体が、落ちていく。
 屋上が遠くなる。景色が流れる。
 死ぬな、と思った。嫌だ、とは思わなかった。

 いつも、死にたいと思っていた。
 一人でこっそり首を吊ろうとした。
 一人で刃物を手首に当てた。
 一人で川の上の橋から川面を見下ろした。
 だがいつも、出来なかった。
 あと一歩が踏み出せなかった。
 それが、こんな、簡単に、しかも、誰かの手で死ぬとは。

 落ちる。
 ああ。死ぬのは案外簡単なのだと思った。

 最後に見たのが、私を苛めていたあの三人の間抜けな顔で、笑えた。

 そう思った刹那。

 潰れる音。割れる感覚。折れる音。裂ける。折れる。砕ける。潰れる。裂ける。鉄の味。激痛。激痛。痛い。痛い、いた、赤い。あか。あか。黒。くろ。

 ヒュ、と、無意味な息が、最後だった。

4/17/2024, 4:57:28 AM

 夢を見たことは誰にでもあるだろう。
 
 昔は漫画家になりたかった。かっこよくて綺麗な女の子が主人公の漫画を描いて、有名になりたかった。
 小さい頃に読んだ漫画に憧れて、という簡単な理由で私の夢は決まった。
 夢中で絵を描いた。プリントの裏、チラシの隅、百均で買ったノートを一冊丸々絵で埋めた。そして、大きくなって持たせてもらったタブレットで、デジタルイラストも描き始めた。それはとても楽しい時間で、夢を見るようだった。ここに私の漫画があった。

 だが、夢は現実には叶わなかった。

 部活で入った漫画研究部には、私より上手く絵を描ける人間が大勢いた。楽しみで入った漫画研究部は、突然居場所のない針の筵のように変わった。そして、色々な画法を使えるタブレットを通じて知った電子の世界には、私より、漫画研究部の人達より、遥かに画力もストーリーもある人物が絵を描いていた。それも、趣味で。片手間の暇つぶしで描いた落書きが、バスって日の目を見る。そんな光景が当たり前のように広がっていた。
 その現実を知った時私はスマホの画面から目を離せなかった。感動ではなく、敗北感だった。
 私の絵を比べた。比べたくなかったが、比べてしまった。

 バランスがおかしい。
 色の配色がおかしい。
 有名漫画家のキャラと同じようなキャラ。
 よくあるストーリー。

 突出したもののない、非凡な漫画。
 
 好きだからこそわかってしまった。私には漫画の才能がなかった。その現実を、自分でも驚くほど私は理解した。いや、ネットに投稿し、誰にも見られず消えていく自分の投稿を見ている時から、察していた。

 いつの間にか、ネットに投稿するのもやめ、人前で絵を描くのはやめてしまった。

 だが、不意に、無性に描きたくなる時がある。

 頭に浮かんだキャラクターが喋り出す。どこか遠くの異世界の光景が浮かぶ。現実の綺麗な景色を見た瞬間、これを描きたいと思う。

 それは長年描き続けた絵を描くのが好きという感情だった。夢は諦めた。だが、絵を描くのはやめられなかった。

 一人、部屋で誰も見せないフォルダに、イラストがまた一枚増える。描き終わった時に思うのは、達成感と、ほんの少しの胸の痛み。私の絵は誰の心にも響かない。

 夢を見る心はもう死んでしまった。
 現実に、殺されてしまった夢が、まだこのペイントアプリの中でわずかに息をしている。まだ死んでいない夢が、私を動かす。

 私は今日も、誰にも見せないイラストをデジタルペンで描いている。

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