緋鳥

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「透明」

 私はいつも、いてもいなくてもいい存在だった。

 親は出来のいい弟の面倒ばかり見た。元々男の子が欲しかったらしい。すぐに私の衣食住は子供でもわかるほど弟の方が良かった。親は弟が90点を取ると天才と褒めた。私が100点を取っても当たり前でしょと言った。そのうちテストを見せなくなった。

 クラスでも一人だった。本が好きだったのもあるが、親に喋りかけても欲しい言葉は返ってこないので口を開かないでいたら学校でも口を開かなくなっていた。ただ勉強と委員の仕事は真面目にしていたので、先生の目には止まっていた。
 学生時代は、クラスでたまに真面目だったり、明るい子だったりが一人の私を気にかけたり、面白がって声をかけてくる。その子達が私と最低限の人間との付き合い方を教えてくれたが、頻繁に遊びに誘ってくれるわけでもなく、彼女達曰く、私は「数合わせ要員」だったそうだ。

 社会に出ると、いてもいなくてもいい存在である私はそれが強く出た。
 社会の歯車として働くが、私の代わりは誰でもいる。たまたま入社して、あてがわれた位置に私という歯車がはまっただけだ。

 今日は一人、休みが出て、その人の分まで仕事をする。誰かが休んだ社員を恨んでいるがインフルエンザは仕方がない。
 そうすると、仕事とか社会というものは案外歯車が一つかけてもなんとかなるという事実がわかる。

 「お疲れ様でした。お先に失礼します」

 自分の分の仕事を終わらせ、挨拶をするが、返事は誰からも返ってこない。キーボードの音が虚しく会社の中に響いている。

 私は一人、会社を後にする。いつもの道を通って駅に向かう。たまたま私と帰る時間が一緒だったという人達が同じような顔で電車を待っていた。

 その人達に混じる。途端に、私がどこにいるかわからなくなる。雑踏に紛れた私に誰も気が付かない。気を向けない。スマホの画面に同じように視線を向けている。左右を見ても同じだった。同じようにスマホに目を向けていると、自分の輪郭が無くなって、透明になってしまった気がした。人の海に溶けた私は、波に流されて電車に乗る。

 私がここにいる実感がなかった。酷く自分の感覚が朧で、透明だった。人に圧迫されて、どこからどこまで私か分からなくなる。
 
 ぼんやりと外の景色を見る。灯りの下には誰かがいて、生活している。仕事をしている。私の知らない世界がある。私がいなくても、回る世界が広がっている。この電車の中にも、私の関係なく自分の世界を回している人がいる。

 社会の歯車の私は、酷く透明で小さい。それをいつも感じて生きている。

 微かに、バレないように息を吐く。

 それだけが、私がここにいる証だった。

 

 

5/22/2024, 6:22:45 AM