拝啓
屋敷の窓から見えます木々が美しい新緑となり、お嬢様の新しい門出に相応しい景色にございます。
お嬢様。
この度はご結婚、誠におめでとうございます。
こんなにも幸せなことはありませんのに、私はどこか上の空で、お伝えしたい事が中々まとまらず、このようなお手紙でのご挨拶となってしまい申し訳ございません。
先日、お嬢様のお父上である旦那様からお話のあった通り、私は当家の屋敷に残ることとなりました。
お嬢様と遊んだお庭や、毎日学校に行く準備をしたり時折夜更かししたりしたお部屋が、既にもの悲しくございます。
本音を申し上げますと、お嬢様を失ったような、胸に空洞があるような気分なのです。
いえ、そもそも私のものではございませんのに、随分と厚かましくなったものですね。大変失礼いたしました。
お嬢様もご存知の通り、私は当家の使用人の子どもでした。
その私を、幼い頃より同年代だからと、遊び相手と身の回りのお世話を仰せつかり、大変光栄にございました。
図々しくも、きっと当家の誰よりもお嬢様の事を理解していると自負しておりました。
幼い頃は泣き虫弱虫と言われていた私を、聡明で芯のあるお嬢様がいつでも引っ張ってくださいました。
その姿に、昔も今も変わらずお慕いしております。
勿論、ご婚約者様も昔から知る方ですので、ご両親のみならず使用人一同、心よりお祝い申し上げました。
お嬢様は、新しい環境でもきっと直ぐに適応されることでしょう。
それでもいつの日か、少しの間でも懐かしく思い出してくださることがございましたら、いつでもお申しつけください。
それまでお嬢様との思い出は、私がひっそりと大事に保管しております。
旦那様や奥様、お嬢様の旦那様さえもご存じのない、お嬢様と私だけの秘密にございます。
それまでどうぞご自愛くださいますよう、お願い申し上げます。
急ぎ筆を執り、この様な乱筆乱文のお手紙になってしまったことをお許しください。
敬具
「婚姻が二人を分かつまで」
⊕二人だけの秘密
「その髪型素敵だね」
知ってる。
「その服、似合ってる」
知ってる。
「差し入れありがとう。これ僕が好きなお店のスイーツなんだ。覚えててくれたんだね」
当たり前でしょ。
だって今の私の全ては、あんたに近づくために用意したものだもの。
父を害し、その影響で母を再起不能に陥らせたこいつに仇なすため、いつだって好機を狙ってる。
やろうと思えば差し入れに毒だって盛れるし、ナイフで刺すことだってできる。
いっそ捕まったって良い。
けれどこいつに近づいてから、ナイフを握る手が緩んでしまうことが増えた。
こいつが気に入るメイク、服装、仕草……何でも好きなものを把握してそれを実行してるだけであって、褒められるのは想定内だった。
それなのに褒められる度、嬉しそうに目を細められる度にどこか喜んでいる自分がいた。
最近では、本当にこの優男がやったことなのか疑問が頭をもたげている。
その度に馬鹿げた思考を追いやる。
確実にこの男なのだ。
例えナイフを持とうとする決意の手を、優しく取られたとしても。
……もう少し、こいつの意図を探ってやろう。
*********
今日も彼女は可愛らしい。
僕に笑顔を振りまくその裏で、戸惑いながらナイフを握っているのはわかっている。
彼女を手に入れるのに障害となる、彼女の両親を排除して正解だった。
想定外だったのは、彼女が僕が思うより積極的だったこと。
そして、僕に近づくためだけに自分を捨てて、毎日僕の好きなことだけをしてくれること。
彼女の願いなら、仇を討たせてあげてもいいんだけど、優しくする度に決意の手が緩み、葛藤する彼女を見ているのはとても楽しい。
あとどれだけ堕とせるだろう。
できるなら、もう僕なしでいられなくなるまで。
「取る手を振り解くまでの間」
⊕優しくしないで
動くと汗ばむ季節。
今日は姉の家に来ていた。
「じゃあ悪いけど、よろしくね」
冷蔵庫の中の物は好きにしていいから、という声に頷くと姉は買い物に出かけていった。
パチリ……パチ……パチ
ゴロゴロゴロ……コン
半分開いた襖の向こうから、弾くような音や何かが転がる音が聞こえる。
この襖の向こうにいるのは姪だ。
頭は襖に隠れているが、お腹から下が見えていた。
頭隠して尻隠さず。
そんな言葉が頭をよぎる。
最後に会ったのはいつだろう。
まだ歩き始めた頃位かもしれない。
あの時は言葉も喋れず、私をひと目見てぱちぱちと瞬きをしたあと、みるみるうちに顔を歪ませていた。
覚えていないだろうなぁ……。
また出会い頭に泣かれたらどうしよう。
小さい子のお守りはあまり得意ではない。
とはいえ、お昼ご飯も食べさせないといけない。
姉が用意してくれたご飯を温めるだけだが、食べてくれるだろうか。
今から3時間後の心配が胃を締め付ける。
とりあえず、襖の向こうに行かないことには始まらない。
脅かさないようにゆっくり近づき、できるだけしゃがんで身体を小さくする。
パチ……パチ……パチリ……
襖の影から覗くと、寂しげな横顔が見えた。視線は床に散らばったおはじきとビー玉に注がれている。
惰性でおはじきを当て、ビー玉は続いたあとは床に転がすに任せて手近な壁にぶつけている。
「こんにちは」
まずは挨拶から声をかけてみる。
姪は手遊びを止めて振り返った。
「……こんにちは」
「えっと……私は叔母さん。覚えてないかもしれないけど、前にもあったことあるんだよ」
耳は傾けているが、興味なさげに手元に目線を落としてしまった。
「お母さんはお買い物に出かけたから、帰って来るまで一緒に遊ばない?」
「…………」
完全に黙ってしまった。
ダメだ……コミュニケーションが途絶えると途端に居心地が悪くなる。
「何で遊んでたの?」
「……ビー玉とおはじき」
流石に、見りゃわかるでしょとは言われないが、億劫そうに彼女は答えてくれた。
「へぇ、懐かしいな。叔母さんも昔お姉ちゃんと…めいちゃんのお母さんと遊んでたよ」
「そうなの……?」
食いついた。
まるで魚が食いついた釣り竿をもつように体起こす。
「ほんとほんと! ちょっとまっててね!」
持ち込んだ鞄の中からビー玉とおはじきを入れた小さなタッパーを持ってくる。
おもちゃ入れとして昔使っていたのを実家から持ってきたのだ。
「ほらこれ、私の宝物」
昔のだけど、とは言わなかった。
今だってくすんで曇ったタッパーを開くと、キラキラと色鮮やかに光っている。
「……綺麗」
「でしょでしょ。私はこの色が特に好きかな。めいちゃんは?」
「……これ」
めいちゃんが指差したのは、昔姉が好きだったビー玉だった。
これを取り合いになって大喧嘩になり、母にこっぴどく怒られた。しかも仲直りの印に、と姉に譲ってもらってバツが悪かったからよく覚えている。
「良かったらあげるよ」
「いいの?」
先程の寂しげな表情とは打って変わって瞳が輝いていた。
その表情を見て漸くホッとする。
姪は、今年から小学生になる。
用意されたランドセルに浮足立つ時期なのに、こんなに大人しいのは性格や見知らぬ大人が来たからではないだろう。
半年前、姉に姪の父親である旦那のこと、姪のことを相談されたときは戸惑ったのが正直なところだ。
姉から実家の支援を求められ、まだ学生である私には大したことはできないだろうと高を括っていたが、先程の輝いた表情を見て決心がついた。
つい先日、父親を失ったばかりのこの娘には母親以外に縋るものをあげたい。
それがどんな些細なことでも――例えばこのおはじきのように、少しでも良い記憶が残ってくれればいい。
床に散らばったビー玉とおはじきは、日に当たって万華鏡のように美しかった。
姪は貰ったばかりのビー玉を手のひらで転がしている。気に入ってくれたようだ。
この景色が、彼女にとって良い記憶となりますように。
「おはじきとビー玉」
⊕カラフル
ペラペラと紙を捲りながら、眼前のパソコンに打ち込む。
電話が鳴り、応対してまたパソコンに向かう。
資料を作っている間は、期限に追われて秒針の針が心臓の音と呼応しているようだ。
「お前、最近ちゃんと休めてるのか?」
「……お疲れ様です」
声がかかり、座ったまま振り向くと背後に立つ先輩が缶コーヒーを差し出した。
お礼を言って受け取ると、早速中身を喉に流し込む。
「顔色悪いの前からだけど、もっと酷いぞ」
ここしばらくトラブル続きで残業が多く、帰ってもゆっくり休めないまま始発で仕事に来ていた。
先輩も同じプロジェクトだが要領か体力の違いか、俺ほど疲れているように見えない。
「休みの日は、比較的寝れてるので大丈夫ですよ」
平日は業務のストレスか交感神経が高ぶっているか、眠りが浅く、ごろ寝のまま長い夜を過ごして気がつくと朝になっている。
「平日は寝れてないのか。ストレスの解消下手そうだもんな」
失礼な。気遣いもコーヒーも有り難くもらうが、余計な一言が玉に瑕だ。
だが、入社当初からお世話になっている先輩だ。業務上でとはいえ、俺のことはよくわかっているのだろう。
「そだ、たまには息抜きしてこいよ。その分の仕事引き継いでやるからさ。この店とか、今イチオシだぜぇ」
そう言いながら先輩が差し出してきたのは、とある店の紹介カードだった。
「『楽園で過ごしませんか』……なんですか、これ」
妙な宗教勧誘とかじゃないだろうな。
寝不足で余裕のない頭で勘繰るが、先輩は手のひらを左右に降って笑い飛ばす。
「ないない、怪しくない。ホテルみたいんなもんだよ。こういう夢見たいな〜って思いながら一人で寝るだけ」
夢なんて操作できるものだろうか。小学生の頃に流行ったお呪いじゃあるまいし。
「何度か行ってるけど普通のビジホとそんなに値段変わんないし、ちょっと変わったビジホで寝ると思って行ってみろよ。このカード持って行けば3割引きだからさ」
「……で? 先輩には何が懐に?」
「なんだよ、疑り深いな。可愛い後輩が目の下で真っ黒なクマを飼ってるのを気にかけてやってんだから、素直に受け取っとけよ」
肩を竦めながら大げさにため息をつく先輩だが、どうも嘘くさい。
「それじゃあ、有り難くいただきます……」
渋々ながら先輩が差し出すカードに手を伸ばし受け取ろうとするが、びくともしない。
顔を上げると、ニッといい笑顔の先輩と目が合う。
「もし店に行ったら、紹介特典で半額クーポン二枚貰えるから一枚くれな」
やっぱり目論見があるんじゃないか。
********
さっそく行ってこい、との後押しで翌々日半強制的に休みを取らされた(勝手に上司に相談された)。
目論見があるとはいえ、お世話になっている先輩の厚意も無碍にできず例のホテルに向かう。
ホテルとは言ってもアパートの様な建物で、各部屋の入口は見えない。外壁は石のようなデザインで、大理石ではないけど、なんというんだろう。
こうしてみると確かに怪しさはない。表に目立った看板もなく、ただの一風変わったアパートのようだ。
正面のくもり硝子の扉を潜り、エントランスの先に受付に向かうと、店員らしき女性が出迎えた。
「いらっしゃいませ。ご予約はございますか?」
「あ、いえ……紹介で来たんですけど」
そう言いながら例のカードを差し出すと、彼女は丁寧に受け取り、慣れた手つきで手元の端末を操作し始めた。
「ご来店ありがとうございます。確認が取れましたので、早速当店についてとシステムをご紹介します」
手元にあったのはタブレットらしい。カウンターにそれを置く。
「人にはそれぞれ、好きなものございます。好きなものに囲まれた空間、私どもはそれを『楽園』と呼んでいます」
タブレットには次々にイラストが表示され、女性はプレゼン資料の様に流していく。
「ストレス社会の現代に必要なのはストレス発散ができる場所……『楽園』はその一助を担えれば幸いでございます」
最後の言葉を締めくくり、一通り紹介が終わったらしい。
タブレットの画面が切り替わり、実際に利用時に選択するらしい画面が並ぶ。
「例えば私は……美味しいご飯がゴロゴ…沢山ある空間こそが楽園たり得ます。お客様にはそういったお好みはございますか?」
「はぁ……」
突然問われると意外と思いつかない。間抜けな声出てしまった。
ここしばらく、趣味らしい趣味ができるほど気力がなかったので全然浮かばない。それに趣味ならば家でもできる。
「お客様は随分とお疲れのご様子。今回は初心者の方におすすめのコースをご提案しますね」
決めかねていると、ニッコリと営業スマイルを浮かべて三つほど画面に表示させる。
「お値段が三段階ございまして、今回各段階から一つずつご紹介いたします」
『ぐっすりリラクゼーションコース』
『イヌ・ネコもふもふコース』
『穏やかティータイムコース』
「リラクゼーションコースはマッサージの中お休みいただけます。もふもふコースはその名の通り、もふもふに囲まれて癒やされます。ティータイムコースはアフターヌーンティーをお楽しみいただけますよ」
「……あの」
ふと疑問に思ったことがあり、始める前に確認したかった。
「はい」
彼女は語尾にハートでも付けんばかりに声高に返事をした。
「もふもふは布団とかあり得るのでいいとして、マッサージとかアフタヌーンティーって、実際にマッサージ受けたり飲めたりするわけじゃないんですよね?」
「…………」
「せんぱ……紹介者の話では夢の中だって聞いたので。なんか、不毛かなって」
「当店は夢の中でお楽しみいただきながら、ストレス発散と疲労回復を目的にしております」
「夢って眠りが浅い状態で見るんですよね。睡眠って浅い深いを繰り返すのが良いとされているし……そんな浅い状態で疲労回復は望めるんでしょうか」
我ながら夢がなく、妙につっかかる言い方になってしまったが、どうにも怪しさは拭えなかった。
すると、タブレットがカウンター側に仕舞われた。流石に言い過ぎたかもしれない。
「失礼ですが、お客様は当店にはそぐわないようです。ご紹介いただいたお客様には、こちらをお渡しください」
まだ利用もしていないというのに、紹介特典の半額クーポンが二枚差し出される。
「えっ……」
ただ門前払いされるだけだと思ったので、意外な対応に面食らってしまった。
「現実主義傾向が強すぎるお客様は、残念ながらご利用いただけませんので」
最後まで欠かさず営業スマイルだったが、有無を言わせず帰れと圧をかけられている気がした。
「またのご利用、お待ちしております」
大人しく踵を返すと、出迎えとは打って変わって無機質な見送りの声を聞きつつ店を出た。
翌日、先輩にはクーポン二枚を渡して、感想をせがむ声にはバツの悪さから微妙な反応で返した。
それにしても、半額クーポンとはかなり破格だ。
数週間後、GWが明けると今度は先輩がやつれて出社してきた。聞くと休みの度にあの店に通っているという。
「お前もまた行けばいいのに」
受付の時点で門前払いを受けたことは言っていないので、先輩は純粋にそう思っているのだろう。
ヘラヘラと笑う姿は以前よりもだらしない。
あれってもしかして、夢魔とかそういうやばいやつだったんじゃなかろうか……。
利用者に夢を見させて、気力だかなんだかを吸うとかなんとか。
昔、好奇心で聞いた怖い話にあった気がした。
まさかな、と頭を振る。
何が現実主義者だ。聞いて呆れる。
気にかけてくれた恩もあるし、何も考えずにクーポンを二枚とも渡してしまったせいで、余計に通いやすくなってしまったのかもしれないと思うと罪悪感が募る。
とりあえず先輩をあの店から遠ざけるべく、次の休みは飲みにでも誘おうと決めた。
「誰のための楽園なのか」
⊕楽園
風に乗って 青い匂い
見上げれば緑 生い茂る
風に乗って 鳥の声
仲間の呼び声 空を翔ける
風に乗って 甘い香り
誘われて見るは白い花
風に乗って 冷気と湿気
雨雲の気配 すぐそこまで
「皐月の気配」
⊕風に乗って