ペラペラと紙を捲りながら、眼前のパソコンに打ち込む。
電話が鳴り、応対してまたパソコンに向かう。
資料を作っている間は、期限に追われて秒針の針が心臓の音と呼応しているようだ。
「お前、最近ちゃんと休めてるのか?」
「……お疲れ様です」
声がかかり、座ったまま振り向くと背後に立つ先輩が缶コーヒーを差し出した。
お礼を言って受け取ると、早速中身を喉に流し込む。
「顔色悪いの前からだけど、もっと酷いぞ」
ここしばらくトラブル続きで残業が多く、帰ってもゆっくり休めないまま始発で仕事に来ていた。
先輩も同じプロジェクトだが要領か体力の違いか、俺ほど疲れているように見えない。
「休みの日は、比較的寝れてるので大丈夫ですよ」
平日は業務のストレスか交感神経が高ぶっているか、眠りが浅く、ごろ寝のまま長い夜を過ごして気がつくと朝になっている。
「平日は寝れてないのか。ストレスの解消下手そうだもんな」
失礼な。気遣いもコーヒーも有り難くもらうが、余計な一言が玉に瑕だ。
だが、入社当初からお世話になっている先輩だ。業務上でとはいえ、俺のことはよくわかっているのだろう。
「そだ、たまには息抜きしてこいよ。その分の仕事引き継いでやるからさ。この店とか、今イチオシだぜぇ」
そう言いながら先輩が差し出してきたのは、とある店の紹介カードだった。
「『楽園で過ごしませんか』……なんですか、これ」
妙な宗教勧誘とかじゃないだろうな。
寝不足で余裕のない頭で勘繰るが、先輩は手のひらを左右に降って笑い飛ばす。
「ないない、怪しくない。ホテルみたいんなもんだよ。こういう夢見たいな〜って思いながら一人で寝るだけ」
夢なんて操作できるものだろうか。小学生の頃に流行ったお呪いじゃあるまいし。
「何度か行ってるけど普通のビジホとそんなに値段変わんないし、ちょっと変わったビジホで寝ると思って行ってみろよ。このカード持って行けば3割引きだからさ」
「……で? 先輩には何が懐に?」
「なんだよ、疑り深いな。可愛い後輩が目の下で真っ黒なクマを飼ってるのを気にかけてやってんだから、素直に受け取っとけよ」
肩を竦めながら大げさにため息をつく先輩だが、どうも嘘くさい。
「それじゃあ、有り難くいただきます……」
渋々ながら先輩が差し出すカードに手を伸ばし受け取ろうとするが、びくともしない。
顔を上げると、ニッといい笑顔の先輩と目が合う。
「もし店に行ったら、紹介特典で半額クーポン二枚貰えるから一枚くれな」
やっぱり目論見があるんじゃないか。
********
さっそく行ってこい、との後押しで翌々日半強制的に休みを取らされた(勝手に上司に相談された)。
目論見があるとはいえ、お世話になっている先輩の厚意も無碍にできず例のホテルに向かう。
ホテルとは言ってもアパートの様な建物で、各部屋の入口は見えない。外壁は石のようなデザインで、大理石ではないけど、なんというんだろう。
こうしてみると確かに怪しさはない。表に目立った看板もなく、ただの一風変わったアパートのようだ。
正面のくもり硝子の扉を潜り、エントランスの先に受付に向かうと、店員らしき女性が出迎えた。
「いらっしゃいませ。ご予約はございますか?」
「あ、いえ……紹介で来たんですけど」
そう言いながら例のカードを差し出すと、彼女は丁寧に受け取り、慣れた手つきで手元の端末を操作し始めた。
「ご来店ありがとうございます。確認が取れましたので、早速当店についてとシステムをご紹介します」
手元にあったのはタブレットらしい。カウンターにそれを置く。
「人にはそれぞれ、好きなものございます。好きなものに囲まれた空間、私どもはそれを『楽園』と呼んでいます」
タブレットには次々にイラストが表示され、女性はプレゼン資料の様に流していく。
「ストレス社会の現代に必要なのはストレス発散ができる場所……『楽園』はその一助を担えれば幸いでございます」
最後の言葉を締めくくり、一通り紹介が終わったらしい。
タブレットの画面が切り替わり、実際に利用時に選択するらしい画面が並ぶ。
「例えば私は……美味しいご飯がゴロゴ…沢山ある空間こそが楽園たり得ます。お客様にはそういったお好みはございますか?」
「はぁ……」
突然問われると意外と思いつかない。間抜けな声出てしまった。
ここしばらく、趣味らしい趣味ができるほど気力がなかったので全然浮かばない。それに趣味ならば家でもできる。
「お客様は随分とお疲れのご様子。今回は初心者の方におすすめのコースをご提案しますね」
決めかねていると、ニッコリと営業スマイルを浮かべて三つほど画面に表示させる。
「お値段が三段階ございまして、今回各段階から一つずつご紹介いたします」
『ぐっすりリラクゼーションコース』
『イヌ・ネコもふもふコース』
『穏やかティータイムコース』
「リラクゼーションコースはマッサージの中お休みいただけます。もふもふコースはその名の通り、もふもふに囲まれて癒やされます。ティータイムコースはアフターヌーンティーをお楽しみいただけますよ」
「……あの」
ふと疑問に思ったことがあり、始める前に確認したかった。
「はい」
彼女は語尾にハートでも付けんばかりに声高に返事をした。
「もふもふは布団とかあり得るのでいいとして、マッサージとかアフタヌーンティーって、実際にマッサージ受けたり飲めたりするわけじゃないんですよね?」
「…………」
「せんぱ……紹介者の話では夢の中だって聞いたので。なんか、不毛かなって」
「当店は夢の中でお楽しみいただきながら、ストレス発散と疲労回復を目的にしております」
「夢って眠りが浅い状態で見るんですよね。睡眠って浅い深いを繰り返すのが良いとされているし……そんな浅い状態で疲労回復は望めるんでしょうか」
我ながら夢がなく、妙につっかかる言い方になってしまったが、どうにも怪しさは拭えなかった。
すると、タブレットがカウンター側に仕舞われた。流石に言い過ぎたかもしれない。
「失礼ですが、お客様は当店にはそぐわないようです。ご紹介いただいたお客様には、こちらをお渡しください」
まだ利用もしていないというのに、紹介特典の半額クーポンが二枚差し出される。
「えっ……」
ただ門前払いされるだけだと思ったので、意外な対応に面食らってしまった。
「現実主義傾向が強すぎるお客様は、残念ながらご利用いただけませんので」
最後まで欠かさず営業スマイルだったが、有無を言わせず帰れと圧をかけられている気がした。
「またのご利用、お待ちしております」
大人しく踵を返すと、出迎えとは打って変わって無機質な見送りの声を聞きつつ店を出た。
翌日、先輩にはクーポン二枚を渡して、感想をせがむ声にはバツの悪さから微妙な反応で返した。
それにしても、半額クーポンとはかなり破格だ。
数週間後、GWが明けると今度は先輩がやつれて出社してきた。聞くと休みの度にあの店に通っているという。
「お前もまた行けばいいのに」
受付の時点で門前払いを受けたことは言っていないので、先輩は純粋にそう思っているのだろう。
ヘラヘラと笑う姿は以前よりもだらしない。
あれってもしかして、夢魔とかそういうやばいやつだったんじゃなかろうか……。
利用者に夢を見させて、気力だかなんだかを吸うとかなんとか。
昔、好奇心で聞いた怖い話にあった気がした。
まさかな、と頭を振る。
何が現実主義者だ。聞いて呆れる。
気にかけてくれた恩もあるし、何も考えずにクーポンを二枚とも渡してしまったせいで、余計に通いやすくなってしまったのかもしれないと思うと罪悪感が募る。
とりあえず先輩をあの店から遠ざけるべく、次の休みは飲みにでも誘おうと決めた。
「誰のための楽園なのか」
⊕楽園
5/1/2024, 5:58:12 AM