冬眠

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2/21/2025, 11:23:53 AM

「夜空を駆ける」


 あなたと初めて見た夜空は、病室の窓をおおうカーテンの中だった。

 カーテンを開けると廊下のわずかな明かりが外に漏れてしまうからとあなたが教えてくれて、少し小さな窓から夜空を見上げた。遠くの街の明かりは早々に落ちて、山肌に建てられたホテルでは星観賞会が行われている。

 入院していた私とあなたは星を見に行くことができなくて、でもその日は一年に一度の大切な日だったから、どうしても星が見たかったのだ。

「星、見える?」
 となりにいるあなたがそう聞いてくれる。ガラスが反射して外の景色はあまり見えなかったけれど、見える、と言った。

 お母さんが持ってきてくれた毛布にふたりでくるまって、星が流れるのを待つ。死んだ人は星になる、星が降る日は、亡くなった人が還ってくるのだ。まだ大切な人の死を見たことはないけれど、流れ星を見ていると、少しだけ胸が苦しくなる。とても美しくて、輝いているのに、名前のない星が空を駆ける夜。

「次はお外で一緒に見られたらいいな」
 ガラス越しじゃなくて、夜の空気を感じながら、ふたりで毛布にくるまって。その時にあなたに伝えたいと思った。退院してはなればなれになっても、私と一緒に遊んでくれますか?



2/20/2025, 2:49:31 PM

「ひそかな想い」


 好きだと思っていた人にフラれた。誰かに言った話が回り回って彼のもとに届いたらしく、わざわざ体育館裏に呼び出されて、「俺はお前のこと好きじゃないよ」と言われた。あ、そうなんだ、くらいにしか思わなくて、心も普段と変わらず動いていて、彼が去ってひとりになってからも涙は出なかった。その時に私は彼のことは好きではなかったのかもしれないと思った。だから、「好きだと思っていた人にフラれた」ということになる。

 ドラマや漫画では心がぎゅっと締め付けられてしばらくなにもできなくて、髪を短くして気持ちの整理をつけるらしい。元々短い髪を切るわけにもいかず、前髪を少しだけ切ったら「失恋?」と言われた。

「失恋して髪を切るなんて、お前も乙女なんだな」
 彼のことが好きだと言っていたからはたから見れば私は失恋をしたということになっていて、でも実はどうやら彼のことは好きではなかったから私からすれば別に失恋したわけではなかった。むしろ本当のことに気づけたくらい。これを失恋と言ってしまえば、世の中の失恋をした人たちに怒られてしまうかもしれない。

「乙女だったら良かったのになぁ」
「お前、女っぽくないもんな。だからフラれたんじゃね」
「そうかもしれない。フラれて当然だったかもね」
 好きでもない人のことを好きだと言っていたから、バチが当たったのかもしれない。でも私にとっては全然バツじゃない。失ったのは横髪数ミリ。これじゃまだ足りないくらいかも。
「いっそのこと、あんたくらい丸坊主にした方がいいのかな。こんな数ミリ切ったくらいじゃなんにも変わんないし」
 たった数ミリ。翌朝鏡を見れば髪を切ったことすら忘れてしまうほど、ほんの些細な変化。隣の席に座る男は、それによく気がついたものだ。

2/16/2025, 1:35:52 PM

「時間よ止まれ」


 日が沈むのが遅くなったから、十六時半、外に出る。

 歩くようになったころはルートが定まらなくて色んな道を歩いていた。ずっと暮らしてきた街なのに初めて見る景色ばかりで、一時間があっという間に過ぎていった。特に話しながら歩いていると足の痛みも風の冷たさも忘れてしまって、日が落ちてからも街灯を頼りに歩き続けた。夜の街は静かなんだねと言った彼女の言葉を聞いて初めて、ぽつりぽつりと街灯の灯る、中央線のない真っ直ぐな道が少し寂しく感じられた。だから一人で歩くときは明るいうちに帰るようにしている。

 緩やかな坂を上がりきると、川を跨ぐ大きな橋に辿り着く。片側しかない歩道を歩きながら、腰の位置までしかない手すりから橋の下を覗く。凪いだ水面がわずかに揺れている。時折白く光る水面が鱗みたいだと言った彼女の言葉に共感ができなくて、あれから通るたびに川を見るけどいまだに分からない。端の両脇につけられたアーチ状の柱を見て、ここをスケボーで走るなんて怖くてできないねという言葉には共感できたから、見上げて、スケボーに乗る自分の姿を想像してみたりする。

 商店街に新しくできた店には、焼き立てのパンが並んでいる。今朝ショーウィンドウに並んでいたパンは数えられるほどに減っており、店内の客足もまばらなようだった。バレンタインの時期にはチョコをたくさん使ったパンを、クリスマスにはシュトーレンを、たまになんでもない日に。焼き立ての匂いに誘われてついつい購入して、お風呂から上がった後にパンを食べながらテレビでも見てゆっくりしよう。

 きっと彼女だったら喜んでくれるだろうと思うけれど、ふと思い出して、彼女が出て行ったことを思い出して、でも僕の頭からは出て行ってくれなくて、彼女との散歩道を歩く度に君が言ったことを思い出していると伝えたら、戻ってきてくれたりしないだろうか、なんてことを考えてしまう。パン屋だって、前に人気のパン屋に行った時に、「こんなに美味しかったら毎日通っちゃうかもしれないから、バレンタインとか誕生日とかクリスマスと、特別な時にだけって決めないといけないね」って言ったからで、それがなければ、パン屋ができたことすら気づかなかった。

2/12/2025, 1:58:24 PM

「未来の記憶」


 はっ、と思い浮かぶその光景にいるのは、今よりも少し大人びた君で、それは記憶でも思い出でもなくて、未来の君の姿なのだと気付いたのは、

「世界が終わる日は、あの丘で夕日を見ながら最期を迎えたら、少しだけ痛く見えて、非現実感を味わえるかな」

と、君が教えてくれたからだった。

 横に伸びる山々の縁を色濃く照らしながら、ゆっくりと沈んでいく夕日を見ていた君は、「最後に叶えられてよかった」と言っていた。好きな小説の物語の最後、夕日を眺めながら最期を迎える、静かに墜ちていく命が軽くて儚くていいのだと語ってくれた君の横顔が夕日に照らされて、暗い影の落ちた反面は既に死に沈んでいるようだった。

 世界最期の日の君はちゃんと望みを叶えられているようで、橙色に染まった街は少しも最期らしくなかった。むしろその美しい景色を見て、明日からもがんばろうと思えるような優しさを含んでいる。

「最期の日、好きなことをできているといいな」

 そんな不安を口にする、目の前の君。大丈夫、ちゃんと叶えられてるよ。でもそれは世界最期の日が来ることを示唆しているわけで。だから僕は、君の願いが叶わないことを祈ることにした。

2/7/2025, 4:19:39 PM

「誰も知らない秘密」


 人差し指を立てた後に小指を立てて、ぐーを作ってから手を振る。

 カーテンを開けた先の向かいの家のベランダにいる幼馴染みと目が合うと、彼女はにっと笑みを浮かべて大きくうなずいた。私がこれをして彼女に伝わらなかったことはなくて、でもいつか伝わらない日が来るんじゃないかと思うと少し怖い。

 別に二人で決めた訳じゃなかった。声が届かないから、手話のような感覚で、手を動かしてみただけだ。別に伝わらなくてもよかったのに、彼女はにこりと笑顔を浮かべてくれた。それ以降、毎朝彼女にこれをするのが日課になった。

 一体なにに気付いてくれたのだろう、なにと捉えたのだろう。
 私と彼女が直接会う機会はないから答えは分からないけれど、例え分からなくても、彼女が頷いてくれるだけで、認められているような気持ちになるのだ。

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