神木 優

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7/30/2024, 11:53:10 AM

「師匠っていつも本読んでますよね。休憩時間中も昼休みも。なんなら自習のときも本読んでますよね」
 放課後の文芸部室で、赤信号を平気で渡る師匠に話しかけた。部員は師匠と私の二人。二人だけの異質な空間。
「休憩時間中は分かるが、自習のときは分からないはずだが……まぁ、本を読んでる」
 師匠は一つ上の先輩だが、なんとなく教室で一人ぼっちなのは想像できる。だって人を明確なる殺意を持って殺したことがあるのだから。
「なんでいつも本読んでるんですか? 英書とか、ミミズが這ったような文字の本なんかも読んでましたよね」
 いつものくだらない会話。
 師匠はライトノベルをパタリと閉じて机の上に置いた。裏表紙のバーコードには五十円と書かれたテープが貼ってある。いつも新書ではなく中古本を読んでいた。お金がない……というわけでもないのに。
「僕はね、知っての通り自他ともに認める倫理観の欠如した人間だ。他者と話してもいいんだが、それだと思考や行動がワンパターンになる…………」
 私の顔が理解できないという表情になったのかもしれない。それを察知してか分かりやすく話してくれた。
「例えば、太った人たちの集まりに標準体型の人間を入れたら同じように太ってしまう……みたいな。朱に交われば赤くなる、っていうのが一番分かりやすいと思うんだが、まぁ分からなくてもいいや」
 文芸部なのに国語の点数はいつも欠点だ。だから私は師匠の話の三割くらいしか分からない。一を聞いて百を知る人間にはいつも尊敬してしまう。師匠のことなんだけど。
「とりあえず、僕は本を読んで見識を広げているんだ。欠如した……というか人間が勝手に決めた暗黙のルールの答えを僕は他者ではなく本に求めた。本は一応作者の主観とそれを最初に読む編集の客観の両方が入っているからね。他者と話すより効率的だ」
 つまり師匠は自分に無い倫理観を、読書を通して補おうとしている……ということでいいんだろうか? 
「メグちゃんの、その何も分かってない目を見てると、僕の説明力はまだまだだなって実感させられるよ」
 やれやれと言った表情をしている。
「まぁ、そのすんだ瞳を見ていると、愚かな人間の知ったかぶりよりは、かなりマシだ。無知の知。メグちゃんくらいだよ。分からないことを正直に分からないと言ってくれるのは」
「師匠は私を馬鹿にしてるんですか?」
 まるで何もわかってないと馬鹿にされてる気がしたので聞いてみた。ホントのところ、師匠の話は分からないんだけと。
「昔の偉い人は言いました。『馬鹿と天才は紙一重』と」
 

7/29/2024, 11:50:22 AM

 師匠は人を殺している。
 精神的に追い詰めて自殺させた、とか、口論になって押し、その先に何かしらの突起物があって偶然殺してしまった、とかではなく、明確なる殺意を持って人を殺している。
 私が師匠と慕う人はニュアンスで駄目なこと、例えば赤信号で渡らないとか、エスカレーターで片方空けるとか、不倫とか、に理由を求め、己が納得できなければ平然とやってのけるような、そんな人間である。

 台風が来て学校は午前中で終わった。保護者なんかが迎えに来る生徒を尻目に私は師匠がいる教室……部室へと足を運んだ。
 文芸部。
 それが私と師匠の学校での唯一の居場所。
 もともとは師匠が一人で活動していた部活に、私が入学して入部した部活。師匠は一人でも行きていけるような人で、教室ではいつも、小難しい本を読んでいる。時々英語の本や、ミミズが這ったような文字の本を読んでいる。本当に読めて理解しているのかは不明だが。
「師匠は家に帰らないんですか?」
 いつもの席に座り児童文学の本を読んでいる師匠に聞いてみる。
 師匠はつまらなそうに本を閉じて私の顔を見た。
「メグちゃんがここに来ると思ったから、鍵を開けて待っていたんだ。優しいだろう?」
 恩着せがましい。
「でも台風なんですから、帰らないと怒られちゃいますよ」
 私がそう言うと師匠は「怒らないよ。そもそも怒らせない」と言って児童文学の適当なページを開いた。
 前に師匠は言っていた。
『僕の物語は、あの時に終わったんだ。そこから僕は死に向かって余生を歩くだけ。誰かの人生の、というか今は君の人生の脇役になったんだ』
 あの時とは殺人を犯した時だろう……犯したという言い方は間違ってるかな……。私が師匠のことを師匠と呼ぶ理由を話した時にも同じことを言っていた気がする。
『雨の日も、風の日も、雪の日も、夏の暑い日にも文芸部の扉を開けておこう。そして僕は君の物語の脇役となろう。勿論、嵐がこようとも』
 師匠の言っていることの三分の一も理解できない私。そのことについて師匠は『人の心っていうのは難しいんだよ。それこそ十、話して三、分かれば上出来さ』と言っていた。例え話が多い師匠。
 私はこれからも師匠のことを慕い続けるんだろう。
 師匠が師匠である限り。

7/28/2024, 10:47:38 AM

「師匠が夏祭りに来るなんて珍しいですね」
 不正解がないといわれている道徳の授業で、当然のように不正解を答えてしまう師匠と夏祭りに来ていた。
「僕も人間だからね。人が多いところには興味があるよ」
 夏休みなのに律儀にカッターシャツに学生ズボンと味気ない服装をしている。いつぞやの休日のときに、なぜ休日なのに学生服を着てるんですか? と、尋ねた時、服を選ぶのが面倒なんだよ、と答えていた。師匠らしい。
「あ、ヤキソバだ! 師匠も食べます? 私、今日お金たくさん持ってきてますよ」
 師匠はヤキソバの屋台を呆然と見つめ呟くように言った。
「僕はヤキソバ食べない」
 師匠の頭の中で水平思考論理でも展開されているのだろうか。せっかく小学校の頃から貯めてたお年玉を使う機会が来たと思ったのに。
「それなら私一人で買ってきますよ! 後で欲しいって言ってもあげませんから」
 そう吐き捨ててヤキソバの列に並ぼうとした時、師匠に力強く手を掴まれた。まるで道路に飛び出そうとした子どもの手を加減できずに掴む親みたいに。
 師匠の行動に少し驚いて振り返り師匠の顔を覗き込む。
 すると、我に返ったような師匠はすまない、と短く言って手を離した。

「師匠? なんでヤキソバ止めたんですか?」
 私は気になって師匠に聞いてみた。
 コンビニでカップヤキソバを買い、祭りの飲食スペースに腰を下ろして食べてたときに聞いてみた。
「祭りの屋台って、あまり衛生的じゃない気がしてね。飲食物なんかは何かしらの申請を出してるんだろうけど、どうにも信用できない」
 師匠にしては理由がいつもより弱い。もっと納得させてくれることを期待したのに。
「別に気が付かない人が食べるにはいいんだ。祭りの空気に当てられてお金を落とすことに善悪なんてものはないし、むしろ雰囲気的には善だ。ただ、僕の目には見えてしまったから、師匠と慕ってくれる後輩の君には食べてほしくなかったんだ」
 お詫びと言ってコンビニにあったカップヤキソバを買ってくれた師匠。なんだかいつもより弱く見える。弱いというより一般人? っぽく見える。
「それで、師匠には何が見えたんですか?」
 師匠は周りの人に配慮してか少し声のトーンを落として言った。
「ヤキソバを焼いてる店主の汗が、あのヤキソバに滴ってたんだよ」
 それを聞いて、今食べているヤキソバにすら嫌悪感を少し覚えた。師匠の顔を見るといつものような倫理観の壊れた笑顔で白々しく「ヤキソバ食べる手が止まってるよ」と言っていた。

7/27/2024, 9:52:01 PM

「メグちゃん、この世界に神様はいると思うかね?」
 師匠は読書に飽きたらしい。放課後の教室でそんな質問をした。
「わかんないですよ。そんなこと急に言われても」
 師匠の突発的な質問にはいつも困らさせられる。哲学かと思いきや歴史だったり、宗教かと思えば倫理観だったり。人とは違う考えを持っている師匠の脳の中を覗いてみたい。
「僕はね、神様はこの世界にいないと思う。でも、いてくれたらいいなって、そう考えてる」
 師匠にしては珍しく結論がわかりやすい。明日は雨でも降るのだろうか? いや、雨じゃなくて槍かもしれない。
「もしも、だ。もしも神様が存在して、急に人間世界に降り立った時、なんて言うんだろうか?」
 頭で考えず口先だけで答えてみる。
「それは『愚かなる人間よ、滅びなさい』ですかね?」
 師匠は鼻でフッと笑った。私の答えがさぞお気に召したようだ。メグちゃんは野蛮だなぁ〜、と、師匠は言って言葉を続けた。
「多分だけどさ、神様って馬鹿なんじゃないかな? 宗教を批判するわけじゃないけどさ、世界で一番信仰されているキリストの神様、エデン作ってアダムとイヴ……エヴァだっけ? 作り出してさ、その土地に食べてはいけないとされている『知恵の木の実』なんてものを植えてね。そんなの食べるに決まってるじゃん。多分ヘビがいなくても食べたね。僕の人生のこれまでを賭けてもいい」
 そう自分で言って笑っている。私にはどの部分が面白いのか分からない。ヘビがいなくても、の部分だろうか……。
「食べちゃだめなら最初から植えなければいいのに。そう考える人は多いだろう。でも神様は植えた。だから馬鹿なんじゃないか、と僕は考えている。それで、もし神様がこの世界に降り立って何か言うのであれば、そりゃー『個々人の願いを叶えに来ました』の一言じゃない?」

7/25/2024, 11:21:34 AM

 私の目の前には異常な人がいる。腕が三本とか、頭が二つある……みたいな外見の異常性ではなく、不正解がないと言われている道徳の授業で唯一不正解を導き出し、そしてそれが当然の正解であるように発表してしまうような、そんな異常な人。
「メグちゃん、君はさ、大人に早くなりたい? それとも子どものままでいたい?」
 放課後の教室で異常者でありながら私が師匠だと慕っている神木くんは質問してくる。読書に飽きたらしい。私も読書をやめて神木くんの質問に答える。
「私は……子どものままでいいかな〜」
 その理由は? と、問われるが理由なんて早々思いつかない。考えるふりをして神木くんに質問を返してみた。
「そういう神木くんはさ、大人になりたいの? 子どものままでいたいの?」
 神木くんも悩む素振りを見せた。ブツブツと独り言を呟いている。真剣に悩んでるらしい。
 僕はね。そう言って答えた。
「僕はね、大人になりたいかな。大人になれば見た目にそぐわない……とか言われなさそうだし、学生服を脱ぐことができる」
 どういう理論でその結論に至ったのか私には分からなかった。そんな顔をしていたんだと思う。だから神木くんは一から説明してくれた。
「まずは大人と子どもの違いだ。子どものメリットは少年保護法で守られていることと子供料金が適応されることの二種類しかないと思う……反論は認めるよ。その点大人は子供料金が使えない代わりに、いくらでもお金を稼ぐことができる。少年保護法がなくても、法律さえ守っていれば警察の厄介になることもない」
 そう言ってニヤッと笑った。
「学生服のルーツを知っているかい?」
 そう聞かれて私は首を横に振った。
「学生服は軍服をモチーフにして作られている。もちろん、メグちゃんが着ているセーラー服もイギリスの海軍水兵が、巷でお洒落だと話題のブレザーもイギリス軍艦ブレイザー号の制服だったとされている。ここまで言えば分かるかな?」
 そう言われても私には分からない。
「僕は自由が好きだ。そんな自由が大好きで大好きで愛している僕の着ている服が自由とは真反対の、規制と規律の象徴だなんて、不自由に袖を通してるも同じじゃないか?」
 実際に面と向かって話していると、その悪魔じみたカリスマ性が、蛇を目の前にして死を悟ったカエルのような私の心に入り込み、納得させにきている。
 質問を変えよう。そう神木くんは言って目を細める。子どものままでいたい、そう理由もなく願っている私の心にヒビが入って、大人になりたいという悪水が心の中に浸水している気がした。
「安心と安全ではあるが、鳥かごに囚われた鳥のように空を夢見て見上げるだけの青空と、青い空に背を向けていても自由に飛べる鳥、君はどっちがいいんだい?」
 

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