神木 優

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「師匠っていつも本読んでますよね。休憩時間中も昼休みも。なんなら自習のときも本読んでますよね」
 放課後の文芸部室で、赤信号を平気で渡る師匠に話しかけた。部員は師匠と私の二人。二人だけの異質な空間。
「休憩時間中は分かるが、自習のときは分からないはずだが……まぁ、本を読んでる」
 師匠は一つ上の先輩だが、なんとなく教室で一人ぼっちなのは想像できる。だって人を明確なる殺意を持って殺したことがあるのだから。
「なんでいつも本読んでるんですか? 英書とか、ミミズが這ったような文字の本なんかも読んでましたよね」
 いつものくだらない会話。
 師匠はライトノベルをパタリと閉じて机の上に置いた。裏表紙のバーコードには五十円と書かれたテープが貼ってある。いつも新書ではなく中古本を読んでいた。お金がない……というわけでもないのに。
「僕はね、知っての通り自他ともに認める倫理観の欠如した人間だ。他者と話してもいいんだが、それだと思考や行動がワンパターンになる…………」
 私の顔が理解できないという表情になったのかもしれない。それを察知してか分かりやすく話してくれた。
「例えば、太った人たちの集まりに標準体型の人間を入れたら同じように太ってしまう……みたいな。朱に交われば赤くなる、っていうのが一番分かりやすいと思うんだが、まぁ分からなくてもいいや」
 文芸部なのに国語の点数はいつも欠点だ。だから私は師匠の話の三割くらいしか分からない。一を聞いて百を知る人間にはいつも尊敬してしまう。師匠のことなんだけど。
「とりあえず、僕は本を読んで見識を広げているんだ。欠如した……というか人間が勝手に決めた暗黙のルールの答えを僕は他者ではなく本に求めた。本は一応作者の主観とそれを最初に読む編集の客観の両方が入っているからね。他者と話すより効率的だ」
 つまり師匠は自分に無い倫理観を、読書を通して補おうとしている……ということでいいんだろうか? 
「メグちゃんの、その何も分かってない目を見てると、僕の説明力はまだまだだなって実感させられるよ」
 やれやれと言った表情をしている。
「まぁ、そのすんだ瞳を見ていると、愚かな人間の知ったかぶりよりは、かなりマシだ。無知の知。メグちゃんくらいだよ。分からないことを正直に分からないと言ってくれるのは」
「師匠は私を馬鹿にしてるんですか?」
 まるで何もわかってないと馬鹿にされてる気がしたので聞いてみた。ホントのところ、師匠の話は分からないんだけと。
「昔の偉い人は言いました。『馬鹿と天才は紙一重』と」
 

7/30/2024, 11:53:10 AM