神木 優

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 師匠は人を殺している。
 精神的に追い詰めて自殺させた、とか、口論になって押し、その先に何かしらの突起物があって偶然殺してしまった、とかではなく、明確なる殺意を持って人を殺している。
 私が師匠と慕う人はニュアンスで駄目なこと、例えば赤信号で渡らないとか、エスカレーターで片方空けるとか、不倫とか、に理由を求め、己が納得できなければ平然とやってのけるような、そんな人間である。

 台風が来て学校は午前中で終わった。保護者なんかが迎えに来る生徒を尻目に私は師匠がいる教室……部室へと足を運んだ。
 文芸部。
 それが私と師匠の学校での唯一の居場所。
 もともとは師匠が一人で活動していた部活に、私が入学して入部した部活。師匠は一人でも行きていけるような人で、教室ではいつも、小難しい本を読んでいる。時々英語の本や、ミミズが這ったような文字の本を読んでいる。本当に読めて理解しているのかは不明だが。
「師匠は家に帰らないんですか?」
 いつもの席に座り児童文学の本を読んでいる師匠に聞いてみる。
 師匠はつまらなそうに本を閉じて私の顔を見た。
「メグちゃんがここに来ると思ったから、鍵を開けて待っていたんだ。優しいだろう?」
 恩着せがましい。
「でも台風なんですから、帰らないと怒られちゃいますよ」
 私がそう言うと師匠は「怒らないよ。そもそも怒らせない」と言って児童文学の適当なページを開いた。
 前に師匠は言っていた。
『僕の物語は、あの時に終わったんだ。そこから僕は死に向かって余生を歩くだけ。誰かの人生の、というか今は君の人生の脇役になったんだ』
 あの時とは殺人を犯した時だろう……犯したという言い方は間違ってるかな……。私が師匠のことを師匠と呼ぶ理由を話した時にも同じことを言っていた気がする。
『雨の日も、風の日も、雪の日も、夏の暑い日にも文芸部の扉を開けておこう。そして僕は君の物語の脇役となろう。勿論、嵐がこようとも』
 師匠の言っていることの三分の一も理解できない私。そのことについて師匠は『人の心っていうのは難しいんだよ。それこそ十、話して三、分かれば上出来さ』と言っていた。例え話が多い師匠。
 私はこれからも師匠のことを慕い続けるんだろう。
 師匠が師匠である限り。

7/29/2024, 11:50:22 AM