「師匠が夏祭りに来るなんて珍しいですね」
不正解がないといわれている道徳の授業で、当然のように不正解を答えてしまう師匠と夏祭りに来ていた。
「僕も人間だからね。人が多いところには興味があるよ」
夏休みなのに律儀にカッターシャツに学生ズボンと味気ない服装をしている。いつぞやの休日のときに、なぜ休日なのに学生服を着てるんですか? と、尋ねた時、服を選ぶのが面倒なんだよ、と答えていた。師匠らしい。
「あ、ヤキソバだ! 師匠も食べます? 私、今日お金たくさん持ってきてますよ」
師匠はヤキソバの屋台を呆然と見つめ呟くように言った。
「僕はヤキソバ食べない」
師匠の頭の中で水平思考論理でも展開されているのだろうか。せっかく小学校の頃から貯めてたお年玉を使う機会が来たと思ったのに。
「それなら私一人で買ってきますよ! 後で欲しいって言ってもあげませんから」
そう吐き捨ててヤキソバの列に並ぼうとした時、師匠に力強く手を掴まれた。まるで道路に飛び出そうとした子どもの手を加減できずに掴む親みたいに。
師匠の行動に少し驚いて振り返り師匠の顔を覗き込む。
すると、我に返ったような師匠はすまない、と短く言って手を離した。
「師匠? なんでヤキソバ止めたんですか?」
私は気になって師匠に聞いてみた。
コンビニでカップヤキソバを買い、祭りの飲食スペースに腰を下ろして食べてたときに聞いてみた。
「祭りの屋台って、あまり衛生的じゃない気がしてね。飲食物なんかは何かしらの申請を出してるんだろうけど、どうにも信用できない」
師匠にしては理由がいつもより弱い。もっと納得させてくれることを期待したのに。
「別に気が付かない人が食べるにはいいんだ。祭りの空気に当てられてお金を落とすことに善悪なんてものはないし、むしろ雰囲気的には善だ。ただ、僕の目には見えてしまったから、師匠と慕ってくれる後輩の君には食べてほしくなかったんだ」
お詫びと言ってコンビニにあったカップヤキソバを買ってくれた師匠。なんだかいつもより弱く見える。弱いというより一般人? っぽく見える。
「それで、師匠には何が見えたんですか?」
師匠は周りの人に配慮してか少し声のトーンを落として言った。
「ヤキソバを焼いてる店主の汗が、あのヤキソバに滴ってたんだよ」
それを聞いて、今食べているヤキソバにすら嫌悪感を少し覚えた。師匠の顔を見るといつものような倫理観の壊れた笑顔で白々しく「ヤキソバ食べる手が止まってるよ」と言っていた。
「メグちゃん、この世界に神様はいると思うかね?」
師匠は読書に飽きたらしい。放課後の教室でそんな質問をした。
「わかんないですよ。そんなこと急に言われても」
師匠の突発的な質問にはいつも困らさせられる。哲学かと思いきや歴史だったり、宗教かと思えば倫理観だったり。人とは違う考えを持っている師匠の脳の中を覗いてみたい。
「僕はね、神様はこの世界にいないと思う。でも、いてくれたらいいなって、そう考えてる」
師匠にしては珍しく結論がわかりやすい。明日は雨でも降るのだろうか? いや、雨じゃなくて槍かもしれない。
「もしも、だ。もしも神様が存在して、急に人間世界に降り立った時、なんて言うんだろうか?」
頭で考えず口先だけで答えてみる。
「それは『愚かなる人間よ、滅びなさい』ですかね?」
師匠は鼻でフッと笑った。私の答えがさぞお気に召したようだ。メグちゃんは野蛮だなぁ〜、と、師匠は言って言葉を続けた。
「多分だけどさ、神様って馬鹿なんじゃないかな? 宗教を批判するわけじゃないけどさ、世界で一番信仰されているキリストの神様、エデン作ってアダムとイヴ……エヴァだっけ? 作り出してさ、その土地に食べてはいけないとされている『知恵の木の実』なんてものを植えてね。そんなの食べるに決まってるじゃん。多分ヘビがいなくても食べたね。僕の人生のこれまでを賭けてもいい」
そう自分で言って笑っている。私にはどの部分が面白いのか分からない。ヘビがいなくても、の部分だろうか……。
「食べちゃだめなら最初から植えなければいいのに。そう考える人は多いだろう。でも神様は植えた。だから馬鹿なんじゃないか、と僕は考えている。それで、もし神様がこの世界に降り立って何か言うのであれば、そりゃー『個々人の願いを叶えに来ました』の一言じゃない?」
私の目の前には異常な人がいる。腕が三本とか、頭が二つある……みたいな外見の異常性ではなく、不正解がないと言われている道徳の授業で唯一不正解を導き出し、そしてそれが当然の正解であるように発表してしまうような、そんな異常な人。
「メグちゃん、君はさ、大人に早くなりたい? それとも子どものままでいたい?」
放課後の教室で異常者でありながら私が師匠だと慕っている神木くんは質問してくる。読書に飽きたらしい。私も読書をやめて神木くんの質問に答える。
「私は……子どものままでいいかな〜」
その理由は? と、問われるが理由なんて早々思いつかない。考えるふりをして神木くんに質問を返してみた。
「そういう神木くんはさ、大人になりたいの? 子どものままでいたいの?」
神木くんも悩む素振りを見せた。ブツブツと独り言を呟いている。真剣に悩んでるらしい。
僕はね。そう言って答えた。
「僕はね、大人になりたいかな。大人になれば見た目にそぐわない……とか言われなさそうだし、学生服を脱ぐことができる」
どういう理論でその結論に至ったのか私には分からなかった。そんな顔をしていたんだと思う。だから神木くんは一から説明してくれた。
「まずは大人と子どもの違いだ。子どものメリットは少年保護法で守られていることと子供料金が適応されることの二種類しかないと思う……反論は認めるよ。その点大人は子供料金が使えない代わりに、いくらでもお金を稼ぐことができる。少年保護法がなくても、法律さえ守っていれば警察の厄介になることもない」
そう言ってニヤッと笑った。
「学生服のルーツを知っているかい?」
そう聞かれて私は首を横に振った。
「学生服は軍服をモチーフにして作られている。もちろん、メグちゃんが着ているセーラー服もイギリスの海軍水兵が、巷でお洒落だと話題のブレザーもイギリス軍艦ブレイザー号の制服だったとされている。ここまで言えば分かるかな?」
そう言われても私には分からない。
「僕は自由が好きだ。そんな自由が大好きで大好きで愛している僕の着ている服が自由とは真反対の、規制と規律の象徴だなんて、不自由に袖を通してるも同じじゃないか?」
実際に面と向かって話していると、その悪魔じみたカリスマ性が、蛇を目の前にして死を悟ったカエルのような私の心に入り込み、納得させにきている。
質問を変えよう。そう神木くんは言って目を細める。子どものままでいたい、そう理由もなく願っている私の心にヒビが入って、大人になりたいという悪水が心の中に浸水している気がした。
「安心と安全ではあるが、鳥かごに囚われた鳥のように空を夢見て見上げるだけの青空と、青い空に背を向けていても自由に飛べる鳥、君はどっちがいいんだい?」
タイムマシンと聞いて一番最初に思い浮かぶものはなんだろうか? 僕はとある青い色をしたネコ型ロボットを思い浮かべる。未来の子孫が現状を変えるために、主人公の元へやってきて、過去を改変しようとする物語。僕は好きだ。
「それじゃあ三十路手前の君は現状を変えるために小学生の自分に会いに行くのかい?」
とあるカフェのテラス席。作家志望でフリーターを続けている僕は、営業で外回りをしていた友人とばったり出くわし、他愛もない会話に花を咲かせていた。彼はこのまま直帰で僕と話していても問題はないらしい。
「僕の場合だと、小学生の自分に会ったら、それこそ作家を志すと思うよ」
僕はカフェオレを一口飲んだ。
「そんな体験をしてしまったら現実に戻ってくることはできないだろう。空想に空想を重ね、妄想を膨らまさせてしまうのが目に見えてしまうよ」
それを聞いた友人はケラケラと笑っている。
「過去に戻っても現実は変わらないってか? そうかもしれねーな」
そうは言ってないはずだが、そう聞こえたなら仕方がない。
「そういうお前はタイムマシンがあったらどうするんだよ?」
投げやりに聞いてみたが、彼は空をちらっと見上げ、考える素振りをして答えた。
「多分……多分だけどな…………自分自身を殺すんじゃないかな? 堕落論の大磯のどこかで心中しようとした学生と娘じゃないけどさ、美しいものを美しいままで終わらせるんじゃないかなって思うのさ。俺の場合、その美しい時期ってのが小学生の頃ってだけでさ、今みたいに心のどこかに必ず不安を抱えて、それに怯えて生きる苦しさを知らないうちに、誰でもいいから殺してくれないかなって思うのよ。俺には自殺する勇気はない」
そこで彼は真っ黒なコーヒーを一口飲んで続けた。
「でもさ、過去に戻って自動車の一つでも奪い取ってアクセルを全開に踏み込んで小学生に突っ込むことは出来ると思うぜ? だって、過去の俺を殺したら俺も消えてなくなって、罪に問われることはないんだからさ」
作家を目指して早十数年。三十路手前の僕はこの人生の分岐点について色々考えることがある。
普通に恋人を作って、普通に就職をしていたら、普通の人生が送れたんだろうか?
作家ではなく、作家に費やした時間全てを楽器にしたら、そこそこ売れるバンドマンになっていたんだろうか?
そんな人生もあったのだろうが、多分作家という茨の道を進むことを選んだ僕に、後悔の二文字はなかった。
イフの物語を考えることは好きだ。
あの時ああしていれば、なんて人生で腐る程考える。
それが僕の小説のネタの大半だ。
そんなことはさておき、今一番欲しいものは何かな? と、散歩中に自称神を名乗る存在に出会う妄想をしたことがある。そう問われたときに、僕はなんて答えるのだろう?
遊んで暮らしてもお釣りが返ってくるほどお金?
人を導く事が出来るほどの影響力?
それとも、死んでしまった友人を生き返らせる?
不老不死?
そんなシチュエーション、物語の中だけだよ、と笑う人がいるかもしれないが、現実に起こるやもしれない。
でも、欲しいものと、急に言われて思いつくわけもなく、卑屈に過ごしてきた人生と、作家になりたいという間で苦悩して、僕はこう答えてしまうのだろう。
「売れない作家になりたいです。作家になれるのであれば、僕は喜んで苦悩の奴隷となりましょう」